「100年以上の歴史の中で初めて2月に開幕する全豪オープンは、2021年に選手たちに最高のプレー体験を提供できることを楽しみにしています。選手たちが全豪オープンに向けて最高の準備ができるようにすることはもちろんのこと、この6カ月間、ビクトリア州のコミュニティが信じられないほどの犠牲と努力を重ね、そして築き上げてきた新型コロナウイルスに惑わされない貴重な環境を常に守ることが最重要課題でした」

すでに予選は1月10~13日に、男子はドーハ(カタール)で、女子はドバイ(アラブ首長国連邦)でそれぞれ開催された。予選が早く行われた理由は、オーストラリアへの入国は、選手だけでなく関係者全員に検疫期間を課し、14日間の隔離生活を必須としたためだ。これは、大会開催決定の際に当初から定められた約束事だ。

振り返れば、ビクトリア州都であり、全豪オープンの開催地であるメルボルンは、過酷なコロナとの戦いを強いられた。
2020年3月に、新型コロナウイルスのパンデミックを受けて、ビクトリア州政府は、緊急事態宣言を発出。対象地域の住民は、夜20時以降の外出禁止など厳しい制限を受け、もちろんマスク着用も義務付けされた。さらに8月には、第2波による感染拡大を防止するために災害事態宣言も発令。メルボルン都市圏では、2度のロックダウン(都市封鎖)が行われた。

オーストラリア国内では、州と州の行き来でさえも厳しく制限しながら何とか危機を乗り越えてコロナを抑え込んできた。また、海外からの厳しい入国制限も行われ、オーストラリア国籍の人でさえ帰国がままならないという背景もあった。
コロナの難局を乗り越えて、全豪オープン開催にこぎつけたタイリー氏には、地元経済復活への強い思いがある。

「この8カ月間、ここビクトリア州、全国、そして州間の政府当局と協力して、メルボルンとビクトリア州の経済的、心理的な復興と若返りに大きな役割を果たす全豪オープンを開催する機会を得ることができました。全豪オープン2021は、テニスコーチ、農家、食品やワインの生産者、シェフ、アーティスト、ミュージシャンなど、地元のビジネスを支援し、メルボルンとビクトリア州を中心に、パンデミックで大きな打撃を受けた人々に機会を提供するだけでなく、この国の素晴らしいところすべてを祝福することを目的としています」

コロナショックで打撃を受けた経済の回復への気持ちは、オーストラリアも日本も変わらない。全豪オープン2020年大会の観客動員は81万2174人で盛況を博したが、2021年大会では、当初会場となるメルボルンパークの収容人数の35%の観客を入れる予定としていた。だが変更され、開幕日から8日間は1日最大3万人の観客収容とし、準々決勝から決勝までは1日に2万5000人とする見込みだ。ちなみに、選手に目を向けると、全豪オープンシングルス本戦出場者は、1回戦敗退でも10万オーストラリアドル(約800万円)の賞金を獲得でき、プロテニス選手たちの生計への大事な要素になっている。

困難な状況で大会に臨む選手たち

だが、それでも全豪オープンの開催に関して、拭いきれない違和感を覚えずにいられないのは私だけだろうか。北半球で新型コロナウイルスの感染拡大が起きている時に、南半球にある全豪オープンは、本当に開催する必要があるのだろうか。大会開催国のオーストラリアは現在夏だが、北半球の各国は冬で、ウイルスの感染拡大が起きやすくなっている深刻な状況だ。日本も、10都道府県で3月7日まで緊急事態宣言が延長され、期間は2カ月目に突入しようとしている。

まず、全豪オープン開催に向けて尽力している大会関係者には敬意を表したい。ただ、新型コロナウイルスのワクチンが世界中すべての人間にまだ行き渡っておらず、特効薬も開発されていない状況は続いている。依然として感染リスクは必ず存在する。もちろんテニス観戦を心待ちにしているファンもいるかもしれないが、一方でスポーツどころではないという人々も世界には存在する。
この困難な状況が続く中でプレーすることになる心中を、錦織圭(ATPランキング41位、2月1日付け、以下同)と西岡良仁(57位)が吐露してくれた。

「たぶん答えを出すのは難しいですけど。僕らはなるべく試合で100%出し切って、何とかいいニュースなど、いいところを見せたいというところはある。もちろんそういうマイナスの意見もあると思いますけど……。特に今回はかなり安全にみんな2週間隔離して、その中で(陽性が)出た選手もいたりしましたけど、この2週間の隔離はかなり安全に進んでいたと思う。なので、かなり選手的には安心して取り組めるとは思います。もちろん毎週毎週これ(検疫14日間)をできるわけではないので、あれなんですけど。安心して僕らは戦えていて、選手的にはタフな場面もありましたけど、オーストラリア協会(テニスオーストラリア)はすごくよくやってくれているのかなとは感じます」(錦織)

「両サイドというか、たぶんいろんなサイドからの意見がいっぱいあると思う。選手が思う意見。それに対応してくれている政府やテニス協会の意見。あと、メルボルンに住んでいる方々の意見。いろいろな方向からの意見が出ていたので、どれが正しいか、というのはすごく難しいです。
(隔離生活の)2週間があけて最終的には今のところ落ち着いて、選手たちは外に行ける喜びをかみしめています。僕は、(毎日外に)5時間出られていましたけど、街に行けるようになることを楽しみにしていました。昨年(秋頃)のヨーロッパの大会だと、会場とホテルにしか行けない厳しさがありましたが、この大会(全豪)では2週間を経て、街に行けるようになった。僕としては、最初ちょっとつらかったですけど、将来的なことを見込んで、2週間後に外に行ける楽しみがあったので、(大会側に)すごくうまくやってもらえたかなと思う。今は外にゴハンを食べに行けて楽しいし、これでいいメンタルで試合に臨めるかなとは思います」(西岡)

今回全豪オープンは、選手たちをオーストラリアへ入国させ、隔離生活へスムーズに移行させるために、世界7都市からのチャーター機15便(飛行機内は定員の25%以下にする)を手配した。日本から出発した選手や関係者は、シンガポールからチャーター機でメルボルン入りした。
2020年12月に、全日本男子プロテニス選手会(JTPU)の第2代代表理事に就任したばかりの内山靖崇(106位)はシンガポールから搭乗したが、チャーター機や隔離生活について教えてくれた。

「(チャーター機の)片道旅程全体の予約はテニスオーストラリアが行いましたが、東京→シンガポールが個人負担、シンガポール→メルボルンの費用は大会負担です。隔離期間中の滞在費は大会負担です。お金がかかるのはUber eatsなどデリバリーを頼む場合のみです。
練習、トレーニングができていてもメンタル面で少し難しい部分はあります。普段の大会だと、現地で3~4日調整期間があってから試合ですが、(今回はすでに)会場にいたのに試合までしばらく時間がかかった。その辺りで試合に向けてスイッチを入れるタイミングが難しく感じます。テニス、フィジカル的には特に問題はありません。僕はインドア派なので、部屋にいる時間が長いこと自体は苦にも感じないです」

しかし、予想外のアクシデントが起きた。ロサンゼルス(アメリカ)、アブダビ(アブダビ首長国)、ドーハからのチャーター機搭乗者の中からコロナ陽性者が発生したのだ。ロサンゼルスからの便には錦織、ドーハからの便にはダニエル太郎(117位)が同乗していたが、2人を含む合計72人は、コロナ対策のプロトコルに従ってホテルの部屋から出ることのできない完全隔離となった。本来1日5時間以内の屋外での練習が認められていたが、練習できないことによって混乱も起こった。そこでは、プロテニス選手としての品格というより、人間の品格を疑うような言葉も飛び交った。

ビクトリア州政府の対応は、選手への特別扱いはしないということ。隔離なのだから至極当然の対応であった。不公平と嘆く選手もいたようだが、そういう次元の話ではない。実際、完全隔離となった72名からコロナ陽性者が発生した。人間のエゴや本性によって引き起こされる分断は、下手をすれば、メルボルン市民やオーストラリア国民のこれまでのコロナ対策を無駄にしかねない。

全豪オープン開催のため、北半球の各国から選手や関係者約1000人がメルボルンに押し寄せて来たが、テニスやスポーツに関係ない人たちからすれば、心よく思っていない人がいても不思議ではないだろう。プロテニス選手は、世界中を移動することが仕事の一部であるため、コロナ禍においては何とも因果なことになってしまっていて、自粛警察の偏見や白い目にさらされるリスクもあるかもしれない。

想定すべき“たられば”

テニス一競技で、しかもチャーター機を用意したのに、全豪オープンでは混乱が起きた。果たして、1年延期になった東京オリンピック&パラリンピックでは大丈夫だろうか、と疑問に思った人も多いのではないだろうか。もしもの時に、日本のオリパラ関係者や日本政府が混乱を制御できるだろうか、と。今少なくとも言えるのは、もし開催するのなら、日本に入国する選手を含めたオリパラ関係者全員に対して検疫期間14日を必須条件にするべきではないか。

東京オリンピックは自分にとって特別だと語る大坂なおみ(WTAランキング3位、2月1日付け)は、自分には2週間の検疫を受け入れる心の準備があり、そして、多くの外国人を受け入れる日本国民の安全が何よりも大事だと慮った。

よくスポーツでは“勝負に、たられば、は無い”といわれるが、今後も続くコロナとの長期戦においては、“たられば”を、可能な限り想定すべきで、最悪のことも頭の片隅にいれておくべきだ。日本独自のコロナ変異株の発生や、ワクチンに対抗できるような進化したコロナウイルスも登場してくるかもしれない。全豪オープン終了後、南半球に冬が訪れた時にコロナ感染爆発が再発するかもしれない。コロナの感染力の強さやウイルスのしたたかさも侮れない。

スポーツやテニスを見て、元気や勇気をもらえる。平常時ならそうかもしれないが、パンデミックが続いている非常時に、全豪オープンを見て、本当に生きる活力を得ることができるだろうか。コロナショックによって仕事が減り、あるいは職を失い、お金の不安がつきまとい、食べていけるかどうかわからないほど追い詰められている人々にとって、本当に希望になるのだろうか。ごく稀にではあるもののスポーツ関係者からのメッセージが、先を見とおせない人々にとっては配慮と思いやりに欠ける場合があり、それは傲慢とも受け止められかねないこともある。

2月1日の週には、全豪オープンと同じメルボルンパークで、男子は国別チーム戦・ATPカップとATP2大会、女子はWTA3大会が、全豪の前哨戦として行われ、14日間の検疫を終えた選手たちがプレーしている。

全豪オープンは、“ハッピースラム”と呼ばれるほど選手や関係者に手厚い歓待をしてくれることで有名な大会だが、まずは大きなトラブルなく大会が開催されて終了することを願わずにはいられない。コロナ禍での大会開催意義を世界中へどれだけアピールできるかも注目したい。

ただし今回ばかりは、大会開催の華やかさとパンデミックの厳しい現実の間で、どうしても心の底に生まれる違和感を抱きながらテニスを見届けることになりそうだ。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。