インタビュー=平野貴也 写真=松岡健三郎

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組織作りの肝

©共同通信

(写真=講道館杯全日本体重別選手権で、初仕事をこなす柔道男子日本代表の井上康生新監督。左は当時強化委員長だった故・斉藤仁)

――大胆な決断を下すリーダーは大変ですが、スタッフと一丸になって実行していくことはもっと大変ですよね。改革を可能にする組織作りの点では、どのような工夫をされましたか

井上 非常に良かったのが、周りから批判を受けても、ほかのスタッフやコーチ、サポートスタッフが我々の考えを強く信じて一緒に戦ってくれたことです。先ほどの世界選手権における男子100キロ級代表選手派遣見送りの件で言えば、同階級を担当した鈴木桂治先生にとっては一種の屈辱だったと思います。鈴木先生は自身が100キロ級の世界王者(2004年アテネ五輪は100キロ超級で金メダル)で、単に担当というだけでなく思い入れのある階級のはずですから。それでも彼は、私と一緒に「やらなければダメでしょう、やりましょう」と言って、一緒に戦ってくれました。あの仲間の力がなかったら、ここまで柔道界を変えことはできなかったのではないかと思いました。もし、鈴木先生に「やっぱり、代表選手は出しておきましょう」と言われていたら、私は思い切った決断をできなかったかもしれません。

池田 選手の派遣を見送る話は、井上さんのリーダーとしての立場から、リーダーとしての役割から、鈴木さんに言ったんですね。それを斉藤仁さん(故人)が応援してくれたという話ですよね。代表チームのコーチスタッフは、井上さんが選んだのですか?

井上 シニアにおいては、私が選ばせてもらいました。私が選べないのであれば、私は責任を持てませんし、覚悟を決められません。ですから、シニアのコーチ陣の編成は、私自身で選ばせて下さいと斉藤強化委員長(当時)に伝えさせてもらって、その中で決めていきました。

池田 正直に言って、スポーツ界はまだまだ「組織」の重要性、組織が成せる人間1人以上に圧倒的な大きな仕事を、感覚的にわかっているのかもしれませんが、体系的にわかっていない人が多いと実感することが多かった。でも、井上さんのチームは、組織が盤石ですよね。意識や方向性の共有からスタートされたのではないですか? 最初の組織作りは、とても重要です。井上さんの著書で各コーチについて1人ずつ名前を出して紹介されているのを読んで、組織作りに対する意識の高さを感じました。

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井上 実は、私に打診があったのは、就任するわずか1週間前でした。柔道界にとっては、あまり良くないことかもしれません。一般の方々は、そんなことで大丈夫なのかと思われるでしょうけれど、実際に、そうだったのです。1週間後には監督もスタッフも発表しなければならないという状況でした。表向きは「先生、ちょっと待って下さい、1週間では……」という話をしましたけど、実は、私の中には、海外に留学(2008年、現役引退後にスポーツ指導者海外研修員としてスコットランドへ2年間留学)していたときに、考えていたプランがありました。もちろん、留学当時は全日本の監督の就任要請を受けることはイメージできませんでした。それでも、東海大学時代の恩師であり、山下泰裕先生を育てられた人物でもある佐藤宣践先生が「常に、自分自身の人生における『if』(もし~)ということを考えておけ」と言われていました。海外留学の前には現在の東海大の監督である上水研一朗先生から「いろいろなことを想定して案を練っておけ。もし、お前が東海大学の監督になったら? もし、お前が全日本の監督になったら? そのとき、どうするのかを考えておけよ」と言われました。ですから、留学中に色々なメモをしていました。自分が監督になったら、こういうチームを作りたい、こういう選手を育てたいというメモです。監督就任の打診を受けたとき、このメモに当てはまる人材を探していって、実際に候補者と話をしてみて、これは行けるなと思ったので、やりますという形になりました。あのメモがなかったら、とても1週間ではまとめ切れなかったと思います。

池田 井上さんが考えられた「こういう事態には、こういう組織が重要だ」というイメージは、僕からすれば経営側の論理です。野球界は、自分の「仲間」「お友だち」で組織をつくることが多いです。監督が、自分の昔からのスタッフやコーチを呼んでくるみたいな。そうではなく、現在のそのチームの課題からスタッフィングをし、適切な能力を持った人材を揃えていかなくてはなりませんからね。本来は。元スポーツ選手がどうやって、その理論にたどり着いたのか不思議に思っていました。誰に教わったのですか? 普通に考えて、監督になって1週間で組織を作れと言われてできる人間は、ほとんどいないと思います。以前から、準備していないといけませんし、組織作りの重要さを理解していないと、1週間では組織作りなんて決してできないですよね。

人材のバランスと明確な役割分担

井上 何から学んだのかと言われると、歴史かもしれません。私は、歴史に非常に興味を持っています。特に、日本の戦国時代や、太平洋戦争、日露戦争の時代について、好んでいろいろな書物を読んでいます。その中でも、特に組織において失敗した例については、よく読んでいます(笑)。そこで学んだことが、多かったかもしれません。組織がうまくいくパターン、壊れていくケース、編成の仕方などは、歴史から学んだ部分が大きくあったかもしれません。例えば、江戸時代の徳川幕府は、一つの組織に文官と武官を必ず入れていました。一方で、これまでの柔道界の組織図を見てみると、必ず五輪王者、世界王者といった、いわゆる武官ばかりでした。彼らは誰もが知っている存在で、勝負度胸も持っていて、階級の顔のような存在です。しかし、リオ五輪の男子90キロ級でベイカー茉秋を優勝させた担当コーチの廣川充志は、競技者としてはそこまで大成した選手ではありません。しかし、大学の監督もしていて、あらゆる知識を持っている、いわば文官として優れた人材でした。彼は、柔道だけでなく、サッカーやラグビーのことまで語ることができますし、女子マラソンの話まで出て来るほどでした。だから、この人は、何か困ったときに我々を助けてくれるだろうというところがありました。武官と文官は、端的な例ですけど、そういうバランスはすごく考えて組織を作らせてもらいました。

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池田 実は、私も結構、戦国時代の大名のような気分でいるんですよ、いつも(笑)。作りたいゴールやビジョンがあっても、1人では成しえませんから、組織が重要になります。ベイスターズのときも、野球に関しては素人だけどイベントを盛り上げることに長けているスタッフなどを用いました。それぞれの目的、ポジション、課題解決に適した人材が必要。これから挑戦する、立ち向かう領域に適した人材が組織内部にいなければ、関係のない世界からでも引っ張ってくるというのが、私のやり方です。この点に関しても井上さんと考え方が似ているなと思うのですが、私は大学に行って経営を勉強をしたり、企業でそういったマネジメント論などに触れて、自分で学ぶことになる機会も多かったので、ある程度はわかっていて当然なのですが、スポーツをやり続けてきた人で同じ感覚を持っている人がいることに驚きました。著書を読んでいても、組織作りの感覚が備わっていることがすごく伝わって来ましたから。

――全日本の担当コーチ制も井上さんが復活させられた制度ですよね。

井上 そうです。私がコーチをしていたときに「全体を見てくれ」と言われたことがあったのですが、正直に言うと、何を見れば良いのかわからない部分があったのです(笑)。仕事においては、目標を明確にしなければ生き甲斐を感じられないと思っています。4年間というスパンが見えていることなので、コーチには担当階級を持ってもらい、それ以外のことは何も見なくて良いというくらいに全力で取り組んでもらおうと考えました。ただ、コーチたちもどういう世界で選手を作り上げていけば良いのかわからない部分があったと思うので、仕事の分担を明確化するだけでなく、常に指導スタッフのミーティングを開いて、情報を共有するようにして進めていきました。

池田 役割を明確することは、リーダーとして大切ですね。役割を明確にし、ミッションを明確にし、自分の役割について強く意識するようになると、その集合体としての組織は強くなります。僕も野球だけでなく、サッカーなどほかのスポーツにも関わるようになっていますけど、井上さんのように現場トップの立場の人が私たちと同じ考えを今後は持つようになるべきだと思っています。元選手が職人的な感覚で「昔からそうだった」「ビジネスとスポーツは違う」「やればわかる、とにかくやらせれば後はやるのは選手だ」みたいな形で進めるのではなく、井上さんの本を読んでもらって、組織作りを学んでほしいですね。私のような経営に携わる立場から「情報共有のミーティングが必要だから、やるようにしてほしい」とリクエストをしても、私たち自身はトップアスリート上がりではないので「社長が言っていたから、仕方がなくやる」という受け入れ方になってしまいがちです。経営者だからって、その組織のトップだからって、権限任せでプロに対して、プロアスリートに対して頭ごなしに「僕の言うことを聞きなさい」なんていうことは、やっぱり絶対に言えないし、言ってはいけないことだと思っています。でも、当たり前に必要なことができていなくて、チームが強くなるために言わなくてはならないと思うときがあまりに多いのです。そもそも人間は、言ってもやらない、自分で意識して、納得しないとやらない。だから、井上さんみたいに現場で理想的な考え方を持たれている方は、すごく重要だし、正直に言って、そういう人に初めて会ったような気がします。現場に組織作りの意識や感覚がある人が多ければ、ビジネスと融合させる必要性なども合理的に理解してくれるでしょうし、「自分が持っていないものを持っている人」と融合させたときにすごい世界が生まれることも容易に理解してくれるんだと思います。

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今回対談した2人の書籍がポプラ社より発売中

『改革』(著・井上康生)、『しがみつかない理由』(著・池田純)、それぞれが書いた書籍を読めば、今後連載される2人の対談内容の理解が深まります。

井上康生・著『改革』(本体1500円+税)は、「なぜ井上康生は日本柔道を再建できたか?」をテーマにロンドン五輪後からリオ五輪までの4年間の「井上改革」について記したものです。柔道に関心のある方だけなく、停滞する組織に関わる方などにも参考になる一冊です。


井上康生(いのうえ・こうせい)

全日本柔道男子監督。東海大学体育学部武道学科準教授。柔道家。シドニー五輪100kg級金メダル、アテネ五輪100kg級代表。2016年のリオデジャネイロ五輪においては、1964年の東京五輪以来となる「全階級メダル獲得」を達成する。同年9月に、2020年の東京五輪までの続投が発表された。著書に『ピリオド』(幻冬舎)、監修書に『DVD付 心・技・体を強くする! 柔道 基本と練習メニュー』(池田書店)がある。

池田純・著「しがみつかない理由」(本体価格1500円+税)は、「ベイスターズ社長を退任した真相」がわかる一冊で、赤字球団を5年で黒字化した若きリーダーが問う組織に縛られず、自分だけができることをやり抜く生き方について書かれています。


池田純(いけだ・じゅん)

1976年1月23日横浜市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、住友商事株式会社入社。その後、株式会社博報堂にて、マーケティング・コミュニケーション・ブランディング業務に従事。企業再建業務に関わる中で退社し、大手製菓会社、金融会社等の企業再建・企業再生業務に従事。2005年、有限会社プラスJを設立し独立。経営層に対するマーケティング・コミュニケーション・ブランディング等のコンサルティングを行う。2007年に株式会社ディー・エヌ・エーに参画。執行役員としてマーケティングを統括。2010年、株式会社NTTドコモとのジョイントベンチャー、株式会社エブリスタの初代社長として事業を立ち上げ、1年で黒字化。2011年、株式会社ディー・エヌ・エーによる横浜ベイスターズの買収に伴い、株式会社横浜DeNAベイスターズの初代社長に就任。2016年までコミュニティボールパーク化構想、横浜スタジアムの運営会社のTOBの成立など様々な改革を主導し、5年間で単体での売上が52億円から100億円超へ倍増し、黒字化を実現した。2016年8月に初めてとなる自著「空気のつくり方」(幻冬舎)を上梓。


平野貴也

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト『スポーツナビ』の編集記者を経て2008年からフリーライターへ転身する。主に育成年代のサッカーを取材しながら、バスケットボール、バドミントン、柔道など他競技への取材活動も精力的に行う。