インタビュー=平野貴也 写真=松岡健三郎

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失敗を生かす

©共同通信

(写真=アテネ五輪第7日。柔道男子100キロ級敗復戦。男子100キロ級敗者復活2回戦で敗れ、ぼうぜんとする井上康生)

――実際に、銅メダルを獲得した選手は、井上監督の言葉があったからという話をされていました。大舞台では、シミュレーション能力が非常に重要なのですね。

井上 選手も「準備が大事」とばかり言われて、なぜだと思ったかもしれません。でも、五輪はほかの大会とはちょっと違うんです。世界選手権やほかの国際大会であれば、今回ほど細かく言うことはありません(笑)。自分は変わらないつもりでも、五輪では周りが変わります。五輪に関しては、周辺の環境が大きく反応して来ます。だから、選手には「審判も、いつもの大会とは違ってくるよ」と言いました。審判も普段とは異なるプレッシャーにさらされますから。だから、驚くような誤審が生まれることもあります。そのときにパニックにならないように、選手は想定して準備をしなければいけません。それができなければ、あの1日で終わる大会を制することはできません。私は、読書を通じて、他者の失敗例は非常に参考にさせてもらった部分がありました。自分の失敗に関しても、アテネ五輪で負けて「指導者になったときに生かされるんでしょうかね」と言われたときには、「いや、勝ちたかったですよ!」という気持ちでしたし(笑)、負ける経験なんてしなくないのが正直な気持ちでした。でも、今になって振り返ると、あの失敗を生かせる環境を作れている部分があるので、今の選手に勝ってほしいから、どんどん話していますね。

池田 本当に、すごいですね。成功、栄光だけじゃなくて、失敗とか悔いのようなものを持ち合わせている人は、指導者としてすごい力を発揮しますね。選手は、めちゃくちゃ心強いと思います。日本のプロ野球は、元スター選手ばかりが監督になる傾向が強いから、あまり失敗を知らないというケースが多いような……あっ、これは批判ではありませんよ(笑)。メジャーリーグは、成功者ばかりではなく挫折を知っている人が監督をやることも多いので、マネージメントが強いのではないかと思います。井上さんの話を聞いていて、やっぱり現役時代の失敗の経験が大きいんだなと思いました。成功ばかり体験している人は「できるだろ? なんで、できないんだ?」という思考が強いですから。でも、それは、その人だからできることで「できない人もいますよ」と言いたくなってしまう(笑)。

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――ビジネス面以外での失敗は?

池田 僕は競泳をやっていて、結構良い成績を出していたんです。でも、自分で勝手に「もう通用しない」と思って辞めてしまいました。あれが、一番後悔していますね、たぶん(笑)。50メートルと100メートルの年間記録で国内1位になったことがありました。全国大会では準優勝が最高成績です。でも、好成績を出した翌年、僕と同じ175センチ前後だったオーストラリア人選手の身長が185センチくらいに伸びていたんです。飛び込んで入水した瞬間に、ものすごく先にいるんですよ、彼が。僕自身は身長が止まって来ていましたし、ああいうのを見て「このまま続けても五輪には行けないだろうし、彼らには勝てないだろう」と思って辞めてしまいました。腰を痛めていたということもあったんですけど。あの先の景色を見ていたら、どうなったんだろうと思うことはあります。世界を目指したかもしれないし、そうでなくても今の僕には見られないものを経験して、何かしら強くなれたかもしれない。貴重な経験を得られる道を、自分で遮ってしまいました。井上さんのお話を聞いていて、あの先の経験をした人がこういうふうになるのかと思って、やっぱり後悔ですね(笑)。

――その後悔の念は、仕事の面で役立てていますか?

池田 スタッフが「僕にはできません」と言うときですね。勝手に無理だと思わないで、挑戦すれば必ず何かが見えて来ると思います。挑戦し続けてダメだったら、それは止めてもいいかもしれません。でも、自分で勝手にゴールを決めないでほしい、できると思う、やる価値があると思うから、その仕事を託すわけですから。ああ、そうか。あの失敗があるから、僕もそういう話をできているんですね。

――意識していなくても、バックボーンとして経験は生かされるのですね。

池田 超、後悔していますからね(笑)。高校生のときは、大学から推薦入試の話をたくさんいただきました。続けていたら、どうなったんだろうな……。

井上 でも、前に進まれていますよね。次の進路の扉を開いたら、もう戻ることはできません。失敗したことを振り返って分析したり反省したりすることは必要ですけど、いつまでも後悔して暗い顔をしていても、何も進みません。でも、違う進路を選んでいたらどうだったかなということは、私も考えますね。小学5年生のとき、相撲界からスカウトを受けていましたから、そっちに進んだらどうなっていたかなって(笑)。モンゴル勢にどうやって立ち向かうのかなと考えると面白いですね。

人間の性

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――お二人の話を聞いていると、失敗から立ち直る強さも重要だと感じます。考えてみれば、リーダーが落ち込んでいたら、周りは着いていけないですよね。

池田 周りが見ていますし、仲間を引き連れて進まなければいけない立場ですからね。一度、やると決めたら、腹をくくらないといけません。それができない人は監督や社長といったリーダーになってはいけないんですよ。それなのに、誰かの力で覚悟もなしになれちゃったというのは、最悪のパターンです。なぜかというと、覚悟のない人間はポストにしがみつき始めるからです。責任感よりも、辞めたくない、離れたくないという思いが先に来てしまい、自分の失敗を認めずに他人のせいにしたり、自分の言いたいことだけを言ったりするようになります。そうなったら、マネージメントは絶対にうまくいきません。井上さんも腹をくくって監督を引き受けられたから、マネージメントに成功されたのだと思います。

井上 人間は、そんなに強くないです。やっぱり、自分がかわいいものですから、ポストに就きたいという欲を持つとか、失敗を他人のせいにしてしまうということは、気をつけないと、やってしまいやすいことだと思います。

池田 「人間は、そういうものだ」と知ることで、そうしない、そうならないことが可能なんだと思います。みんな、置かれている立場がどれだけ違っても、各々に悩んでいるじゃないですか。弱いんですよ、みんな。テニスの錦織圭選手が子どもたちから質問を受けていて「悩みは、ありますか」って聞かれていましたけど、やっぱり「どんなレベルの選手にも、それぞれのレベルで悩みはあります」って答えていましたよ。人間の弱さを知ることで、知った人間は克服しようとするのだと思います。

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今回対談した2人の書籍がポプラ社より発売中

『改革』(著・井上康生)、『しがみつかない理由』(著・池田純)、それぞれが書いた書籍を読めば、今後連載される2人の対談内容の理解が深まります。

井上康生・著『改革』(本体1500円+税)は、「なぜ井上康生は日本柔道を再建できたか?」をテーマにロンドン五輪後からリオ五輪までの4年間の「井上改革」について記したものです。柔道に関心のある方だけなく、停滞する組織に関わる方などにも参考になる一冊です。


井上康生(いのうえ・こうせい)

全日本柔道男子監督。東海大学体育学部武道学科準教授。柔道家。シドニー五輪100kg級金メダル、アテネ五輪100kg級代表。2016年のリオデジャネイロ五輪においては、1964年の東京五輪以来となる「全階級メダル獲得」を達成する。同年9月に、2020年の東京五輪までの続投が発表された。著書に『ピリオド』(幻冬舎)、監修書に『DVD付 心・技・体を強くする! 柔道 基本と練習メニュー』(池田書店)がある。

池田純・著「しがみつかない理由」(本体価格1500円+税)は、「ベイスターズ社長を退任した真相」がわかる一冊で、赤字球団を5年で黒字化した若きリーダーが問う組織に縛られず、自分だけができることをやり抜く生き方について書かれています。


池田純(いけだ・じゅん)

1976年1月23日横浜市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、住友商事株式会社入社。その後、株式会社博報堂にて、マーケティング・コミュニケーション・ブランディング業務に従事。企業再建業務に関わる中で退社し、大手製菓会社、金融会社等の企業再建・企業再生業務に従事。2005年、有限会社プラスJを設立し独立。経営層に対するマーケティング・コミュニケーション・ブランディング等のコンサルティングを行う。2007年に株式会社ディー・エヌ・エーに参画。執行役員としてマーケティングを統括。2010年、株式会社NTTドコモとのジョイントベンチャー、株式会社エブリスタの初代社長として事業を立ち上げ、1年で黒字化。2011年、株式会社ディー・エヌ・エーによる横浜ベイスターズの買収に伴い、株式会社横浜DeNAベイスターズの初代社長に就任。2016年までコミュニティボールパーク化構想、横浜スタジアムの運営会社のTOBの成立など様々な改革を主導し、5年間で単体での売上が52億円から100億円超へ倍増し、黒字化を実現した。2016年8月に初めてとなる自著「空気のつくり方」(幻冬舎)を上梓。


平野貴也

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト『スポーツナビ』の編集記者を経て2008年からフリーライターへ転身する。主に育成年代のサッカーを取材しながら、バスケットボール、バドミントン、柔道など他競技への取材活動も精力的に行う。