[特別対談 第1弾]野村克也×池田純「監督が決まらないなら、俺に相談してくれりゃ良かったのに」[特別対談 第3弾]野村克也×池田純「恵まれているチームって好きじゃないんだ。弱いチームが好きだね」[特別対談 第4弾]野村克也×池田純「監督の器の人間がいないんだよな。こんなんで野球界、大丈夫かね」

インタビュー=日比野恭三、撮影=松岡健三郎

「球団社長とか代表という立場の人と一回も食事に行ったはない」

©松岡健三郎

池田 野村さんが監督をしていたときは、球団社長とのコミュニケーションをどのように取られていましたか?

野村 4球団で監督やったんだけど、野球談議では俺にかなわないと思っているのか、ほとんど話をしに来なかったね。補強の話をしに来てくれればよかったんだけど……まあ、近寄り難いんだろうな。取っつきにくい。それが俺の最大の欠点だと思うよ。

池田 でも、球団社長に野球の話をされても、きっとかみ合いませんよね。

野村 合わないだろうね。

池田 私は結構しましたけどね。とんちんかんに思われても。補強についての相談もなかったんですか?

野村 編成会議だけ。言いたいことはそこで言う。

池田 飲みながらざっくばらんに、という機会は?

野村 球団社長とか代表とかっていう立場の人と一回も食事に行ったこともなければ、銀座に行ったこともない。それで通算24年も監督をやったんだから、俺も大したもんだ。実力が認められていたってことじゃないの。

池田 たしかに(笑)。

野村 編成部に言ったのは終始一貫、一つだけ。いいピッチャーを取ってくれ、それだけです。忘れられないのは(1992年の)ドラフトで、松井秀喜を取るか、伊藤智仁を取るかで、最後の最後までもめたんだ。スカウト連中は「この先10年、4番バッターはいらない」と言って、さかんに松井を推してきた。だから俺は言ったんだよ。「あんたらは10年先を考えているけど、俺は来年、結果を出さなければクビなんだ」と。だから伊藤を取ってくれって。そしたら相馬(和夫)社長の一声。「つべこべ言わんと監督の言うとおりにせい」。それで終わり。だから俺が結果を出せたのは相馬さんのおかげだよ。すべて俺に任せてくれたから。

池田 球団経営に対して、野村さんの側から何か要望を出されたことは?

野村 一切ない。いかにして客を入れるかはあんたらの仕事、我々は勝つのが仕事。だから一切、そういうことに要求はしなかったね。

池田 じゃ、ファンサービスには協力してくれるんですね?(笑)

野村 ああ……。

「選手を育てるということは、自信を育てるということ」

©松岡健三郎

池田 野村さんはGMになろうと考えたことはないんですか?

野村 一切ない。そんな話も微塵(みじん)もないしね。

池田 やっぱり野球人として最もおもしろいのは監督ですか。

野村 監督だな。自分でイメージを描いて、その方向へ進めるのは監督だから。24年も監督やったけど、終始一貫、変わらない。補強ポイントはピッチャー。野球って0点で抑えれば100パーセント負けないじゃん。10点取ったって、11点取られりゃ負けなんだ。0点で抑える主役はピッチャーなんだから、ピッチャーを中心に補強してくれと。

池田 でも、ブルペンではいいボールを投げるのに試合になると実力を出せないピッチャーもいますよね。

野村 ああ、“ブルペンピッチャー”ね。

池田 あと、二軍ではいい投球をするのに、一軍に上がるとそれができなくなるピッチャーも。

野村 いる、いる(笑)。

池田 そういう部分というのは変えられるんですか?

野村 選手を育てるということは、イコール、自信を育てるということだと思っている。だから選手育成にあたっては、どうしたら自信を持ってくれるかという、その一点に絞ってやっていたけどね。特に、声のかけ方、褒める言葉とかタイミングっていうのがすごく大事になる。

池田 野村さんは選手を褒めていたんですか?

野村 ずっと野球人生を送っている中で、必ずどっかで影響を受けた人っているんだよな。振り返ってみると、俺は無意識に鶴岡(一人・元南海監督)さんの影響を受けている。褒めない。鶴岡さんも絶対に褒めない人だったから。

池田 そうだったんですね。

野村 鶴岡さんに20年ほど仕えたけど、あの人が自分のチームで褒めたのは杉浦忠だけ。「チームに貢献したのは杉浦だけや」とかって言うんだよ。俺は「一人で野球ができるか」って反抗していたけど、全然届いてなかった。まあ軍隊野球の最たるもんでね。気合いだ、根性だって。それ以外に何もない。

池田 でも名将として知られていますよね。

野村 説教はうまかったんだよ。あれが優勝の要因じゃないかな。選手全員を集めての訓示は上手でね。あのガラガラ声だから余計に貫禄があるんだ。

池田 弱いチームでも、そうやってモチベーションを上げると、全く違う力を発揮したりしますよね。去年のベイスターズにも、それに近いものがあったような気がします。

野村 困ったら原点に返れって言葉があるけれども、じゃあ人間の原点って何かと言ったら、感情の動物ですよ。感情がある。だから、そこへ戻ればいいわけだ。選手の感情をくすぐるというのは、プロ野球の監督にとって大事な才能の一つじゃないかな。

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野村克也(のむら・かつや)
1935年京都府生まれ。27年間の現役生活で、三冠王1回、MVP5回、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回、ベストナイン19回と輝かしい成績を残す。三冠王は戦後初、さらに通算657本塁打は歴代2位の記録。90年、ヤクルトスワローズの監督に就任。低迷していたチームを立て直し、98年までの在任期間中に4回のリーグ優勝(日本シリーズ優勝3回)を果たした。


日比野恭三

1981年、宮崎県生まれ。PR代理店勤務などを経て、2010年から6年間『Sports Graphic Number』編集部に所属。現在はフリーランスのライター・編集者として、野球やボクシングを中心とした各種競技、またスポーツビジネスを取材対象に活動中。