文=千葉正樹
ベスト8まで勝ち進んだ活躍を、ドイツメディアが「神童」と称賛
ドイツの地での日本選手の活躍は、日本のスポーツニュースで大きく取り上げられた。ただ、その中で最も注目が集まったのは、男子シングルスの張本智和(JOCエリートアカデミー)の躍進だったと言っても過言ではない。
男子シングルスの日本代表として出場した張本は、2回戦で日本のエースでありリオデジャネイロの団体銀、個人銅メダリストである14歳年上の水谷隼を破った。許キン(中国)にベスト8で敗れたものの、その快挙はさまざまなメディアで取り上げられた。「世界選手権で、13歳の中学生が日本のトップ選手を破った」という事実は大きく報じられ、「チョレイ」「ハリバウアー」といったキーワードも話題になり、張本は広く知られることになった。張本の活躍を地元ドイツメディア『ビルト』は“Wonderkind”(神童、天才児)という表現で最大級の賛辞を贈っている。
成長途上にある13歳の少年が、年齢制限のない世界の舞台でなぜそこまで勝ち進むことができたのか。張本智和がどんな人物なのか、紹介しよう。
中国出身の両親の下で卓球に親しむ
©Getty Images 張本智和が生まれたのは2003年6月27日。中国出身の父、宇さん、母の凌さん夫婦の間に生まれた。父の宇さんは中国の元ジュニア代表で、母の凌さんは1995年の世界選手権天津大会に中国代表として出場した経歴を持つ。
宇さんは指導者として経験を積み、1998年に「仙台卓球センター」のコーチとして招かれた。以来、20年近くにわたって宮城県仙台市に住み続けている。
本場中国の“卓球夫婦”の間に生まれた智和は、当然のように身近な卓球に触れるようになる。子供の面倒を見てくれる人が近くにいないこともあり、両親は職場である「仙台卓球センター」に我が子を1歳の頃には連れてきていた。そんな環境下、子供にとっての“遊び”は当然、卓球になる。幼少の頃の張本選手は球拾いを手伝ったり、他の子の真似をするうちに、自然と卓球に親しんでいったという。後に本人は「いつから卓球をやり始めたか分からない」と語っているが、父親の宇さんによると1歳の時にはすでにラケットを握っていたとのことだ。
その後の上達のスピードはすさまじく、練習中に負けても悔し泣きをするようになり、どんな相手にも勝ちたいというどん欲な精神を身につけていった。6歳の時には全国大会(全日本卓球選手権大会)のバンビの部(小学2年生以下のカテゴリー)出場し、ベスト16で敗退。その敗戦を機にさらに“勝ち”への意欲が高まり、その翌年はバンビの部で全国優勝を果たす。それ以降小学6年間は常に年代別の頂点に立ってきた。これは史上初の快挙である。
普段はおとなしい子だが、卓球台の前では無類の負けず嫌いになる。ポイントを取った時の掛け声「チョレイ!」は“試合では声を出したほうがいい”という両親からの助言を受けて、自然に発するようになった。また、勝負を決する際に見せる、大きくのけぞって雄叫びを上げる姿は「ハリバウアー」として大きく報じられた。これらは彼にとって今や欠かせない試合でのルーティーンとなっている。
「幼少の頃から負けず嫌いで負けると涙を見せる」この言葉を聞いて、かつての“天才卓球少女”こと、福原愛選手を想起する方もいることだろう。実は仙台出身の福原選手と張本選手は、仙台ジュニア卓球クラブの先輩と後輩の間柄でもある。
1988年生まれの福原選手は張本選手と15ほど年齢が離れているが、2016年春に張本選手の両親が、自宅兼練習場として仙台市内に「張本卓球場」をグランドオープンさせた際には、同郷の縁もあり福原選手がサプライズで登場。この時には張本選手との混合ダブルスをメディアの前で披露した。
また「張本卓球場」は仙台ジュニアクラブの練習場となっており、張本夫妻は次世代を担う選手の育成も行っている。
ハイレベルな環境でさらなる成長を見せる
©Getty Images 2014年、張本選手は将来の日本代表選出を見据え、日本国籍を取得して帰化。普段から日本語でコミュニケーションを取るが、自宅では家族と中国語を話すという。
張本家は卓球一筋の英才教育で我が子を育てているかというと実際は異なる。卓球の練習は毎日行っているが、宇さんは「勉強が一番、卓球が二番」という教育方針であり、勉強の時間も疎かにさせることはなかった。文武両道を貫き、勉強でも持ち前の集中力が磨かれていったのである。
そんな張本少年は仙台市内の小学校を卒業し、中学生になった2016年4月から、親元を離れて東京にある「JOCエリートアカデミー」に新天地を求めた。将来のメダリストを育成するハイレベルな環境に身を投じた中で、張本選手はいきなり躍進を見せる。
2016年6月のワールドツアー、スロベニアオープンではベスト8まで勝ち上がり、ラオックス卓球ジャパンオープン荻村杯のU-21カテゴリーで優勝を果たした。このレーティングが加算された翌月の世界ランキングでは63位まで一気にジャンプアップを果たしている(2017年5月の最新ランキングでは69位)。
8月の全国中学校体育大会(全中)では、全国の強豪を次々に撃破し、1年生ながら中学チャンピオンに輝いた。
この時の張本選手の凄みについて父親の宇さんに聞くと「実は、1ポイントも落とせない状況に追い込まれて、そこからひっくり返した試合があったんです。メンタルは教えてもなかなか強くなるものではないけど、智和は持っている。私にもその強さはありませんでした。技術でも精神面でも、私では絶対できないことがすでにできている」と、愛息の勝負度胸を称賛している。
続けて“智和くんはもう父親を超えたのでしょうか?”と聞くと、「ええ、身長でも卓球でも、あっという間に僕を超えちゃいましたね(笑)」と即答し、宇さんは目を細めた。JOCエリートアカデミーに入って1年が経過し、中学2年生になった2017年4月時点で、背は171センチまで伸びている。
張本選手は東京に移り住んだが、現在も宇さんは毎週のように東京に通い、張本選手を指導しているという。世界の強さを知る父親が太鼓判を押すほど、張本選手は13歳にして完成度の高い選手になった。だがその成長は底が知れず、まだまだ伸びしろを残している。
張本選手のその後の快進撃はメディアで広く報じられているとおりだ。2016年12月には、南アフリカで開催された世界ジュニア卓球選手権(U-18)で団体、男子シングルスで優勝を果たした。男子ダブルスでは準優勝に終わり、惜しくも“ジュニア3冠”とはならなかったが、13歳163日でのジュニア世代シングルス制覇は史上最年少記録だ。
2017年5月末からドイツで開催された「世界卓球選手権」では、男子シングルス2回戦で自身のアイドルである水谷隼選手を撃破。張本選手は、メダルを狙う日本のトップ選手に匹敵する地力があることを証明してみせた。
4回戦では20歳ほど年の離れたリュボミル・ピシュティ(スロバキア)と戦い、クイックなサーブやジャッジへの猛抗議を見せた試合巧者を4-1で一蹴。メンタル面でも、ベテランの揺さぶりに屈しない強さを身に着けているのだ。
張本選手の快進撃は世界ランキング3位の許キン(中国)に敗れてベスト8で終わってしまった。試合後には「相手も強かったけど、本当に悔しい。0-4でボコボコにされていなかったので、もしかしたらワンチャンスがあった。(ベスト8は)うれしいけど、メダルとそれ以外は一緒だと思うので悔しい。自分を成長させてくれた最高の舞台だった。水谷さんにも勝って、世界ランキング一桁の選手にも通用すると分かった」と述べているように、自信を深めたようだ。
同大会は張本選手にとって、世界の頂点との距離を計ることができた、十分な成果があったと言っていいだろう。それほどまでに13歳張本選手の躍進は、世界に強烈なインパクトを残したのである。
張本智和が目指す2020年の栄光とは
©Getty Images 張本選手は今後の目標を聞かれると「東京五輪で金メダルを2つ!」と常々断言している。“2つ”とは、言わずもがな男子団体と、男子シングルスの頂点だ。これは雲をつかむような“夢”ではなく、近年の躍進ぶりからして明確な目標として現実味が増している。
これまで日本の卓球界は、世界最強の中国に及ばない時代が続いていた。しかし、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは男子団体で決勝進出を果たし、銀メダルを獲得した。男子シングルスでは水谷隼選手が銅メダルを獲得している。これより上で待ち構えるのは、“王者”中国しかいない。
張本智和という超新星が加わったことで、日本卓球界には今後どのような未来が待ち受けているのだろうか。近い将来「日本が中国を下して表彰台の真ん中に立つ」と言ったら今は“夢物語”に思えるかもしれないが、張本選手はその夢を現実のものにすべく、2020年を見据えている。
東京オリンピックが行われる2020年に張本選手は高校2年生になっている。彼が現在、見上げている頂点との距離は、3年後にはゼロになっているのではないか――。張本智和というプレーヤーはまだ13歳の少年だが、そんな期待を抱かせてくれるトッププレーヤーなのだ。
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