尚弥の活躍に、驚きはありません
――旧聞になり恐縮ですが、改めて井上尚弥選手の資質について伺います。ロドリゲス戦の勝因は、どこにあると分析されておられますか?
大橋 やはり「天性の素質があり、非常に謙虚である」という井上の資質に尽きるのではないかと思います。めったに見られない天才的な素質がある選手で、こういう実績を残すことは全く驚きではありません。前チャンピオンをあっという間に倒し、世界が驚くような戦績を残しました。でも、私個人に驚きはなく、当然の結果だと思っています。
唯一懸念したのは、井上が天狗になってしまうこと。でも、彼はまったくそういう部分がない。素直で、謙虚で、練習熱心。練習一つにしても、注目を浴びると練習のためではなく「見せる」ための練習をしてしまう。井上はそんなことはまったくなく、練習の終わりにはボクシングの基本であるワンツーを必ずお父さんとみっちりと行なう。かつ、誰のアドバイスも取り入れる素直さがある。彼の強みは、そういう部分です。
――他の選手と比べて、最も違う部分はどのあたりですか?
大橋 集中力の高め方が、他の選手と違うかもしれません。ウチにいるチャンピオンの川嶋勝重、八重樫東は試合前になるとものすごい集中力を見せ、それこそ身体から湯気が出てくるような気迫を見せます。でも尚弥はそういうものではなくて、普段のまま、フラットに入場していく。
いつもよりも集中する、というのではなく普段通りで戦う。つまり、これは24時間を通して波がないということ。一番驚いたのは、初の世界戦。デビューして最速6、7戦目のことです。緊張しても当然なのに、いつもどおりの感じで出ていった。入場するときのテレビの映像を見ながら松本トレーナーに「あれ、これで大丈夫なの?」なんて話をしていたんですが、それが彼の強みなんですよね。
――こうして伺うと、弱点らしい弱点がないですね。一部ではインファイトに課題があるという報道もありましたが。
大橋 いやいや、そんなことはないですよ。接近戦に弱かったら、もっと早く倒されています。離れてもくっついても彼は強い。手のつけようがないですよ、相手からしてみれば。
尚弥は、左のジャブが普通のボクサーの右ストレートぐらい強いんです。相手にしてみたら左のジャブも嫌なので、そこを意識すると今度は右ストレートが来る。かと思えば、ボディも打ってくる。くっついてどうにかしようとすれば右アッパーが来る。僕が自分で戦うと思っても、対策を非常にやりづらい、すごく嫌な選手だと思います。
――加えて、オーソドックスからサウスポーにスイッチすることもできる。そうした切り替えはいつからできるようになったのですか?
大橋 いつからでしょうね……? ただ一つ言えるのは、練習の賜物だということです。スパーリングではしょっちゅうやっていて、(本来右利きであるにもかかわらず)サウスポーで世界ランカー相手に圧倒していました。おそらく、尚弥はサウスポーでも世界チャンピオンになっているでしょう。今回も、スパーリングで頻繁にサウスポーでやっていたので「これは試合でもやるな」と思いましたが、その通り2ラウンドで出してきました。
ベストコンディションなら、誰にも負けないでしょう
――これまで負傷に見舞われることもありましたが、準備の過程で変えてきた部分はありましたか?
大橋 食事等を大きく見直したわけではないですが、オーバーワークしなくなったことは大きいですね。昔はスパーリングを12ラウンド、1日おきにやっていました。それが遠因で、腰や拳を痛めることもありました。今はスパーリングを4ラウンドぐらいにし、バンテージの巻き方も研究し、負傷を減らすことに成功しています。
去年の9月、腰を痛めながらやった試合はひどい状況でした。とても試合を行なえる状況ではなくて、途中から立てないほどになった。それでも、尚弥は意地で相手を倒した。足を使えば判定で勝てたのに、プロ意識で倒しに行った。世間からは評価の低い試合でしたが、私の中では一番印象に残った試合です。
――実際、そんなコンディションでは逆に倒されるリスクもあるわけですよね。腰が入ったパンチを打ちにくく、手打ちになってしまう部分もあったはずです。
大橋 でも、手打ちでさえ倒したわけです。尚弥は、非常にKOに対するこだわりが強いんですよ。常に相手を倒しに行く姿勢は、セコンドをやっていても非常に楽しいですね。
――むしろ「倒しに行くな、抑えろ」と言いたくなるような瞬間もありますか?
大橋 いえ、それが「今は行くべきだ」「いや、いなしたほうがいい」とセコンドが思ったとき、尚弥はとっくに実行しています。臨機応変で、万能なんですよ。状況を見て、ここぞというときに攻めることができる。不安要素は、負傷だけです。今回に関しては、腰も万全であり、ベストコンディション。そういうときは、もう誰にも負けないんじゃないですかね。
「世界チャンピオンは、作ることもできる」と教わりました
――井上尚弥選手含め3人のチャンプを育てた大橋会長から見て、「チャンプに共通する資質」という部分はございますか?
大橋 やはり「毎日の単調な練習を継続できること」だと思います。その次が、生まれ持ったボクシングの才能。1人目のチャンプであるスーパーフライ級の川島は、21歳からボクシングを始めたズブの素人でした。友人の試合を見て感化され、「会社を辞めてでもボクシングをしたい」と言ってきたんです。
私は「甘くないぞ、止めておけ」と促しました。実際、それからボクシングを始めても才能を感じさせず、プロテスト受検も二回止めたほど。後楽園で行われるプロテストはスパーリング形式なので、「危ないからやめろ」と2回伝えたんですね。
それでも、川島は諦めなかった。「アマチュアの試合に勝ったら受けていいぞ」という条件を与え、死に物狂いで3ヶ月練習したのに、当日になったら相手が試合に来なかったということもありました。
――運もなかったんですね。
大橋 だから「世界チャンピオンになるには運も必要だ、諦めてちゃんと仕事したほうがいいよ」と伝えました。でも、川島はめげなかった。ボクシングの才能はなくても、身体の頑丈さ、継続力、そしてメンタルの強さが並外れていました。
ふつう、ボクシング界の横綱である私に「やめたほうがいい」と言われたら誰でも諦めるところ、彼は何度言っても諦めずに食らいついてきた。川島より素質のある選手は、ざらにいました。ロードワークやダッシュ等、呼ばれてもいないのにやってきて、死に物狂いでアピールするんです。結果、ダッシュで一番を取ったり。
私は、世界チャンピオンは作られるのではなく、生まれてくるのだと考えていました。でも、川島を見ていて初めて「作ることもできるんだ」と教えられましたね。それからは、第一印象で選手を判断しなくなりました。川島と出会えて、良かったです。
そうした生き様、不屈の闘志は八重樫、そして尚弥にも確実に引き継がれています。尚弥は特に、ただでさえ一番才能があるのに、川島の生き様を受け継いでいるんですから。
ローマン・ゴンザレスとの再戦はあるか?
――井上尚弥選手は、筋力や反射神経、動体視力といった数値は一般人と変わらないそうですね。
大橋 そうなんです。なぜ数値に現れないか不思議なんですけどね。ただ、動体視力だけでなくカウンターのタイミング、ステップなど、ボクサーとしての技術一つ一つが十点満点です。ディフェンス、距離のとり方、ボディ打ち、すべて。
井上はパンチ力が注目されがちですが、実は技術的な部分が一番だと思っています。それもある一部分じゃない、すべてにおいて高い。ロドリゲス戦でも、ステップを踏んで相手のパンチを紙一重でかわすシーンが何度もありますが、なかなかできない芸当ですよ。もちろん、見てからよけるのは遅いので、感覚で相手の手筋を読んでいる感じです。そして、よけるだけじゃなくよけながらパンチも打てる。上のレベルのディフェンスができる。日本から出た最高傑作の1人だと思います。
――9月にアメリカでの防衛戦が控えているそうですが、今後の目線は海外に向いておられますか?
大橋 そうですね。おそらく日本で2試合、アメリカで1試合というスタイルで年間をこなしていくことになります。この間の海外の試合も強烈なインパクトを与えたみたいで、ロスの会場でももみくちゃ。クルマを出たら出待ちのファンがいて囲まれて写真を撮られて。“石の拳”と異名を取った伝説のボクサー・ロベルト・デュランからも「ヘイ、チャンプ! 一緒に写真撮ってくれよ」と言われたり。みんなYouTubeで尚弥の試合を見ているんですね、すごいことです。
――今後、井上選手が対戦を熱望していたローマン・ゴンザレス選手との試合はありえますか?
大橋 そうですね、次回の試合でローマンが王座に返り咲けば十分可能性はあります。
――ローマンを倒してからバンタム級に移る、というシナリオになれば美しいですね。
大橋 実際、スーパーフライ級は減量にも限界が来ていますから。適正体重は、二階級上のスーパーバンタム級くらいです。無理に体重を落とす必要はないんですよ、尚弥はどこでも通用するんだから。
だから、階級を上げることにデメリットはないです。スパーリングでも、ライト級やスーパーフェザー級をバッタバッタ倒していますから。スーパーフェザー級のパートナーは、尚弥のボディブローを腕で止めて骨折しちゃったほどなんです。
――それほどのハードパンチャーでありながら、筋力等の数値に現れないのは本当に不思議です。
大橋 才能とはそういうものなんでしょうね、そこは謎ですね。
<後編に続く>
井上尚弥をパッキャオの再来に 大橋会長が描くモンスターの未来
「史上最強の高校生」としてロンドン五輪に肉薄し、プロデビュー後はわずか8戦で2階級制覇を成し遂げた井上尚弥。今年8月には、アメリカ進出を果たし、アントニオ・ニエベスを相手に6ラウンドTKO勝利を収め、WBO世界スーパーフライ級タイトルの6度目の防衛を果たした。アメリカでの注目度も高まっている「モンスター」は、今後、どう羽ばたいていくのか。自身もボクシング経験がある前横浜DeNAベイスターズ社長の池田純氏が、大橋ジムの大橋秀行会長との対談を行い、その核心に迫った。(文=善理俊哉)
那須川天心と井上尚弥 格闘技界を若返らせる2人の天才
格闘技エンターテイメントは、主軸のファン層の年齢が上がってきたこともあって、興行のノリも「大人向け」に落ち着いてきた印象がある。もちろん例外はあり、特にボクシングの井上尚弥(24=大橋)とキックボクシング(以下、キック)の那須川天心(19=TARGET)の存在は、新時代を切り開く若きカリスマとして、異彩を放っているだろう。異種格闘技の2大スターが、その天才を輝かせるために、どんな共通性を持っているのか。そこを探れば、日本が次世代にスター・ファイターを量産するためのヒントも見えてくるはずだ。(文=善理俊哉)
井上尚弥、2018年はバンタム級へ 「緊張感のある試合を」
その強さは圧倒的だった。30日に7度目の防衛戦に臨んだ井上尚弥は、世界ランク6位のヨアン・ボワイヨを相手に第1ラウンドから力の差をまざまざと見せつける。そして3ラウンドのうちに3度のダウンを奪い、TKO勝利を収めた。試合後、スーパーフライ級への物足りなさを隠さなかったモンスターは、自身の野心を口にした。(文=VICTORY SPORTS編集部)
井上尚弥、圧巻の米国デビュー! 新時代到来を告げるニエベス戦TKO
スーパーフライ級の世界的強豪を集めて行われた「スーパーフライ」が9日に行われた。この日、アメリカでのデビュー戦を行ったWBO世界スーパーフライ級王者の井上尚弥はTKO勝ちを収めて、6度目の防衛に成功。直後に行われた試合ではWBC世界スーパーフライ級1位のローマン・ゴンサレスが同級王者のシーサケット・ソールンビサイに敗れ、2連敗を喫している。