妄想スポーツショー 第3回 和のテイストを加えての巻
漫画家、荒井清和氏による漫画連載「妄想スポーツショー」。毎週月曜、木曜に更新予定。
【後編】スポーツ写真家・高須力が描く、アスリートの『情熱の欠片』取材・文/いとうやまね
人と同じ写真が好きじゃない。一年かけてひとつのプログラムを表現する感覚
©高須力――フィギュア人気で競技会には毎回たくさんのカメラマンがいますが、高須さんの撮る選手はちょっと他とは違う印象があります。
高須 いつも他のカメラマンとは違う瞬間を狙うように心がけています。例えばビールマンスピン(片脚を後方から頭上に伸ばし、その脚を手で保持した状態で行なうスピン)だと、ブレードをしっかりつかんでいるところを撮る人が多いですが、ぼくはちょっと手が離れた瞬間を狙ったりしています。
――Numberの表紙になった『オペラ座の怪人』も仮面を顔に着ける“ちょっと前”です。
高須 あれも、怪人(羽生)がしっかり顔を隠している写真が一般的ですが、ぼくは顔から手が少し離れたところ、顔が半分見えているところを意識しました。性格が捻くれているのか、人と同じ写真が好きじゃないんです。
――やはりNumberですが、昨シーズンのフリー『Hope & Legacy』の写真も、すごく綺麗ですね。
高須 本当のことをいうと、違う瞬間を狙っていました。練習でやっていたちょっとした仕草なんですが、本番にはありませんでした。直前で少し乱れたので抜けちゃったのかも知れませんね。撮影ポジションも最終グループの直前までいろいろ考えて、審査員席の反対側に陣取りました。
昨シーズンのフリーは、ショートの『Let's go crazy』とは対象的に繊細な表現が多いので、写真で表現するのがすごく難しいプログラムでした。昨シーズンはすべての試合を撮影しましたが、写真的には惨敗続きだったので、すごく苦労させられましたね。
――前もって動画などでプログラムの構成を研究するのでしょうか?
高須 見ますよ。もちろん生で練習も見ますし、新しいプログラムは、ここで飛ぶとか、ここで何をするとかチェックします。例えば羽生選手の場合だと“見せ場”があるじゃないですか。それをリンクのどの位置でやるのかは、前もっておさえておきます。どの角度で撮るのがこの技は一番綺麗に見えるのか、とか。
――撮影ポジションは、日本と海外では違うと聞きましたが。
高須 日本だと決められた場所でしか撮れません。海外だと空いていれば客席で撮ってもかまわない国も多いです。だから、年間の撮影スケジュールを考えて、日本で撮れるポジションは外して、違うアングルを優先するようにしています。一年かけてひとつのプログラムを表現する感覚です。
浅田真央の苦悩とオフィシャル写真集
©高須力――浅田真央さんの写真は以前から撮られています。オフィシャル写真集の撮影もされてますよね。
高須 ぼくは彼女がシニアデビューした年からフィギュアの撮影を始めました。15歳から1~2年は撮っていましたが、そこから2年ほど空いた時期がありました。他のスポーツも撮影しているので、単純にスケジュールが合わなかったというのもありますが、正直、当時は浅田真央というスケーターにあまり興味がなかったんです。これはぼくの性格の問題なのですが、順風満帆な人よりも、壁にぶつかって、それを乗り越えようとしている人の方が面白いというか。
――写真集の撮影は2008年と2009年です。
高須 2008年の秋にサッカー取材で渡欧するスケジュールをたてていました。そうしたら、たまたまパリで浅田選手が出場すると聞き、せっかくなので撮影しようと。フィギュアを海外で撮ったのもこのときが初めてでした。撮影ポジションなどの違いにも刺激をもらいましたが、何よりも浅田選手に強い興味が湧いた試合でした。
強力なライバルが台頭してきた時期で、なかなか勝てない。焦りやプレッシャー、負けず嫌いでまっすぐな性格、広いリンクで18歳の少女がたったひとりで挑む孤独。この頃からフィギュアの撮り方も大きく変わりましたね。
――具体的にはどのような変化がありましたか?
高須 それまでは400ミリの望遠レンズで浅田選手だけを追っていました。でも、それだと彼女しか写せない。引きで周りの状況と絡めることで、彼女の心の内や置かれている状況を表現できるんじゃないかと、他のレンズも使うようになりました。
――この写真集には笑顔が少ないですよね。
高須 苦戦が続いたシーズンだったので、笑顔が際立つようにあえて減らしました。デザイナーさんのアイデアで、最初の10ページくらいは顔がはっきりと見えない写真、シルエットだったり薄暗いバックヤードに佇む彼女だったりを並べて、それから、タラソワさんと抱き合う満面の笑顔、みたいな魅せ方にもこだわりました。
笑顔だけじゃない19歳の苦悩を表現したかった気持ちと、それでもやっぱり彼女の笑顔は最高ですよね、って。他とは違うアプローチで伝えたかったんです。賛否両論でしたが、そういう写真集が一冊くらいあっても良いかなって、今でも思っています。そういう風に考えられるようになったのは、浅田選手がいてくれたからだと思います。
羽生結弦は、羽生結弦という役になり切る
©高須力――羽生選手の苦悩はどうでしょう。
高須 どうなんでしょうね。彼はそれすら楽しんでいる気がします。羽生選手の場合は、自分で自分をコントロールしているイメージがあります。自分自身にあそこまで入り込める人って、そういないですよね。映画の役者さんが撮影が始まるとその人になり切っちゃう、そんな感じです。
――興味深いですね。確かにどこまでが素なのかわからない印象はあります。
高須 先輩カメラマンで野球のイチロー選手を撮っている人がいるのですが、「イチローよりも自分に入り込める人って見たことがない」って言うんです。イチローよりも入り込めるっていう部分で、羽生選手は相当凄いかもしれないって。
アスリートって色々あって、例えばサッカーの本田圭祐選手だったら、自分で言って自分を追い込む。そういう人もいるし、モチベーションの持っていき方は人それぞれだと思うんです。羽生選手やイチロー選手は、“自分になりきる”というか。
――役者さんを撮影する感覚になりますね。
高須 写真を撮る方としては、そういうタイプのアスリートを撮るのはすごく楽なんです。いい表情を作ってくれますから、黙っていてもいい写真が撮れる、むしろ撮らされてしまう。それだと面白くないので、本人の想像以上の瞬間を撮ってやろうって変な燃え方をしてます。
作品に自分の人間性を落とし込めないと、一人前じゃない
――高須さんの好きなプログラムは何ですか?
高須 ぼくは浅田選手の『鐘』です。僕自身、初めて写真集を手がけさせてもらって、初のオリンピック取材となったバンクーバーにも行かせてもらったプログラムなので、一番思い出深いです。今でも重厚な前奏を聞いただけで、その時のことがブワーって思い出されます。あのプログラムがなければ、今の僕はいなかったかも知れません。
――ラフマニノフは「鐘」のモチーフが多いんです。街に教会がたくさんあって、ロシア人にとって教会の鐘は切っても切れないものらしいです。 それこそ、生まれてから死ぬまで鐘とずっと一緒という感じで。ロシアの作曲家で鐘に影響されていない人はひとりもいないと、ラフマニノフの自伝に書いてありました。
高須 そういうのは大事ですよね。結局、表現には自分のアイデンティティが関わってくる。写真もそうですけど、作品に自分の人間性を落とし込めないと、一人前じゃないと思うんです。音楽も絵画もスケートも、自分の生まれ育った環境はとても大事だと思います。それを生涯かけて表現していくんだと思います。
――高須さんの背景は?この色調になるベースはなんですか?
高須 多分…、カッコつけなんだと思います。ただ単に、そんな気がします。
――写真展で探ってみようと思います。
(※後編では、間もなく開催される写真展に焦点を当て、髙須氏のスポーツ写真哲学に触れる)
髙須 力(たかす・つとむ)
1978年3月20日。東京生まれ。2002年より独学でスポーツ写真を始め、2003年より水谷塾に入塾、2006年よりフリーランスに。ライフワークでセパタクロー日本代表を追いかけている。日本スポーツプレス協会及び国際スポーツプレス協会会員。撮影作品に『浅田真央公式写真集 MAO』『寺川綾公式フォトエッセイ夢を泳ぐ。』など。
髙須 力 報道写真展
THE AMBIENCE OF SPORTS 2013-2017 情熱の欠片
キヤノンギャラリー銀座:2017年7月13日(木)〜2017年7月19日(水)
キヤノンギャラリー福岡:2017年8月31日(木)〜2017年9月12日(火)
キヤノンギャラリー大阪:2017年09月21日(木)〜2017年09月27日(水)
キヤノンギャラリー名古屋:2017年10月05日(木)〜2017年10月11日(水)
10時30分~18時30分(写真展最終日15時まで/日・祝日は休業)
スポーツ写真家・高須力が描く、アスリートの『情熱の欠片』(後編)
スポーツ写真家・髙須力のインタビュー後編は、作品に対するこだわりと哲学について。7月13日の銀座を皮切りに、全国4か所で開催される写真展『THE AMBIENCE OF SPORTS 2013-2017 情熱の欠片』は、5年間に撮影された様々な競技の中から“ブレ”という手法に焦点を当てた作品群である。選手たちの息遣い、一瞬の中にあるスピード感、浮かび上がる内面、その魅力を語ってもらう。
羽生結弦が自らのスケート人生を投影したFS/『Hope & Legacy』あの“ハビ”がリーガをPR? ハビ・フェルナンデスインタビュー音響デザイナー・矢野桂一が紡ぐ『フィギュアスケート音楽』の世界(前編)フィギュアスケートはいかに“頭”を使う競技か