文武両道は「能力を制限している状態」か?  

「文武両道」というと、現代の日本の教育システム上、部活に代表されるスポーツと学業の両立ということになる。この2足のわらじの状態では、本来ならアスリートとして100パーセントの力を傾けられるところを、自分で制限してしまっているのではないか、という考えもあるだろう。イメージは分かるが、では、その選手はトレーニング外の時間に何をしているのだろう?
 
ここでは、筆者がある程度状況を把握しているドイツの現状を紹介しながら、トップレベルで活躍した選手たちの学業の両立とセカンドキャリアについて紹介したい。
 
1.現在のドイツの状況
2.ドイツの若手監督たちが成功している理由
3.トップレベルで活躍した選手たちのセカンドキャリアの代表例

1.現在のドイツの状況

2017年2月の日刊紙『ターゲスシュピーゲル』によると、現在のブンデスリーガでプロ契約を結んでいる選手の中で、「アビトゥア(総合大学入学資格)」および「ファッハアビトゥア(単科大学入学資格)」を取得している選手たちは3分の2に及ぶ。同紙によると、20年前では考えられなかった状況のようだ。他の選手たちがこの資格を持っていないからといって、学校を卒業していないかと言えば、そうではない。このあたりは日本との教育システムが違うため、次の章で別途説明する。

現在では、ドイツ全国で40校あるサッカー連盟によって指定された『エリートシューレ(エリート学校)』が各ブンデスリーガおよびトップレベルのサッカークラブが各学校と連携を取りながら、選手たちが十分な教育を受けられるようにできる限りの調整をしている。

例えば、トップレベルのU19(19歳未満)のカテゴリーではブンデスリーガや州代表の大会に加えて、クラブによってはUEFAユースリーグに参加し、トップチームと共に平日にもかかわらず欧州中を巡るような状態に加えて、代表の試合も入ってくるという過酷なスケジュールのなか、学校卒業を目指して勉強するという日々が続いている。

例えば、日本代表サイドバックの酒井高徳や日本人MF伊藤達哉が所属するハンブルガーSVに所属する18歳になったばかりのヤン=フィーテ・アルプは、ブンデスリーガでプレーをしながら現在アビトゥアの資格取得を目指し、試験への準備をしている。ハンブルガーSVは、アルプが通う提携先の学校の教師たちと日程を調整しながら、アルプのトップチームでの活動を支えている。

ドイツの教育制度の中で最も高い卒業資格が『アビトゥア』であり、それに準ずる資格が『ファッハアビトゥア』なのである。ブンデスリーガには、現役でプロとして生活しながら、大学で勉強を続ける選手や、引退後に再び学業を再開する選手たちがいる。とりわけ、現在は私立の通信制大学も整備されて来ており、時間のない選手たちでも学位を取れるような状況が整いつつある。

2.ドイツの若手監督たちが成功している理由

現在、ドイツ国内では「ラップトップ・トレーナー(監督)」という言葉が流行っている。この言葉は、ドイツで台頭している若手監督たちが常にノートパソコン(ラップトップ)を携帯していることから付けられた呼称だ。元ドイツ代表のメーメット・ショルのように、こういったデータや映像を駆使して、戦術のディテールにまでこだわって作業する様子に対して批判的な態度を示すオールドスクールも多く、議論になっている。だが、成功を収めている彼らには共通項がある。それは、「大学を卒業している」ということだ。どの学科を専攻しているかには違いがあるが、彼らは学生として一度「サッカーの外の世界」を経験している点で共通している。

この流れの先駆者とも言えるユルゲン・クロップは当時2部のマインツに所属(1990年から2001年までで325試合出場)しながら、1995年にフランクフルト大学でスポーツ学科を卒業している。彼の卒業論文は、当時米国で取り入れられ始めたウォーキングの効果を調べるものだった。それに加えて、彼は選手兼学生だった1992年にはドイツの大手民間放送局『Sat1』で研修生として働く経験も積み、テレビやメディアの裏側、制作側の見方も熟知している。マインツの監督を務めながら、ワールドカップの解説者も務めている。ユルゲン・クロップが国内外のメディアを通じ、ドルトムントで圧倒的な存在感を放ったのは、結果はもちろんのこと、この時代の経験から学んだメディア対応が役に立っている。

マインツで彼の後継者となったトーマス・トゥヘル氏も、ドイツのU-18代表に選ばれたり、アウクスブルクで全国一になるなどの成功を収めた。大学生時代、現在RBライプツィヒのマネージャーを務めるラルフ・ラングニック監督のもと3部、2部のウルムでプレーしたが、怪我もあり早めの引退を決断。その後は彼の紹介で引き受けた育成年代のコーチを務めていたシュトゥットガルトのデュアル制度の単科大学で、経営学の学位を取得している。この間、生活費を稼ぐためにバーテンダーを務めるなど、さまざまな人々と交流する機会を持ち、ここで得られた社会経験も大きかったと自身は振り返っている。

余談ながら、バーという環境の繋がりで、アーセナルのアーセン・ベンゲル監督について触れても良いだろう。彼は幼少期に両親の経営する大衆食堂のなかでさまざまな人間を観察する機会に恵まれたと述懐している。ベンゲル監督も3部でプレーしながら、ストラスブール大学で政治経済学の修士号を取得している。

現在話題を集めているシャルケのドメニコ・テデスコ監督は、前者たちと比べて全く高いレベルでのプレー経験がないにもかかわらず、素晴らしい手腕が評価されている。10代の頃には研修生として新聞社のスポーツ部で働いていたこともあるテデスコ監督は、セールスマンとしての職業訓練を積んだ後、大学では経営工学で学士を取得し、そのままイノベーションマネージメント学科で修士号を獲得している。この間、彼は大衆紙『ビルト』の日曜版の配達など、普通の学生としての生活をしている。卒業後は、一般のコーチとしてアマチュアクラブでコーチをしながら、エンジニアとして働き、サッカー指導者としてのキャリアも着々と積んでいった。

ドイツサッカー連盟の指導者養成で責任者を務めるフランク・ヴォアムート氏は、こういった台頭する若手監督たちの特徴を次のように評価している。

「サッカーの理論的な部分をディテールまで包括的に理解しています。彼らは現場でも、その知識や理論を選手たちに伝える能力に長けており、彼らはそのためのレトリック(修辞方法)を身に着けています。選手たちとコミュニケーションを取る際の高い社会性も備えており、素晴らしいリーダーシップも発揮できます。彼らは選手たちの内面に迫るような話し合いができ、選手たちをチームの責任を負う一員としてプレーしたいという気持ちにさせることがでるのです(『キッカー』2018年1月4日付け)」
 
ここから読み取れるのは、学ぼうとする意欲自体がひとつの能力であり、抽象的な情報を咀嚼し、具体化してみせる能力や、監督(マネージャー)という人を率いる役割を担ううえで、一般人としての社会性経験は貴重な能力の糧となる、ということである。若手のみならず、ドイツで名将と呼ばれ、人心掌握術に優れたオットマー・ヒッツフェルト氏も、元々はプロ選手をしながら教育学部を卒業していることも含めると、自分が所属する世界以外のことにも身を置くことは大きな財産であり、強みになることが分かる。

現在では、実際にブンデスリーガおよび代表レベルで活躍した選手たちが経営学を学び、マネージャー職に転身するケースや比較的若くして引退した有名選手がスタートアップ企業を立ち上げるケースも増えており、セカンドキャリアを考える選手たちの大学進学という選択肢も珍しくなくなっている。

3.トップレベルで活躍した選手たちのセカンドキャリアの代表例

○オリバー・ビアホフ
現在は敏腕マネージャーとして現ドイツ代表の成功の一端を担うビアホフ氏。90年代後半、世界で隆盛を極めていたイタリアのセリエAで得点王に輝き、元日本代表監督のアルベルト・ザッケローニ監督が率いるACミランでスクデット(優勝)を獲得したこともあるストライカーだ。商業化が一気に進み試合数が急激に増え続けた90年代の欧州サッカーの中心に身を置き、まだ今ほどシステムが整備されていない環境の中で13年かけて通信制の大学で経営学の学位を取得した。彼の卒業論文にはサッカークラブが株式上場する際の適正価格の設定の仕方について書かれている。

2004年にマネージャーに就任してからのドイツ代表の成功に伴い、ドイツ国内で選手からマネージャーという道筋を切り開いたパイオニアだ。DFBアカデミーという「知」の体系を築くためのプロジェクトで責任者として動いているのも、彼自身の経験や知識からその重要性を感じているためだろう。
 
○オリバー・カーン
2002年ワールドカップでの活躍が未だに語り継がれる元ドイツ代表のオリバー・カーンは、"常勝"バイエルン・ミュンヘンで国内優勝はもちろん、欧州チャンピオンズリーグの優勝も経験している。こうした実績から誰もが認めるスーパースターのひとりだ。彼は、バイエルンに移籍する前に通信制の大学で経済学を専攻しており、現在の学士にあたる資格を取得している。引退後は、ドイツ国営放送の解説者を務めながら、MBAを取得している。 

現役を引退してからの学生生活を振り返りながら、「勉強の仕方をはじめから学び直さないといけなかったんだ。本当に最後までやりとげられるかどうか、自分でも懐疑的になってしまったよ。(プロ選手としての経験が生きた?)そうだね。目標を立てて、諦めないで規律正しく最後までやり遂げるんだ」と話している。
 
現在は自身のキーパーとしての経験を活かしたビジネスを展開しているカーン氏は、2018年ワールドカップに出場するサウジアラビアサッカー協会のパートナーとしてキーパーの育成や指導者養成のサポートをすることが発表されている。

○ミヒャエル・プリーツ
日本代表のサイドアタッカー原口元気が所属するヘルタ・ベルリンのプリーツマネージャーは、現役時代は点取り屋としてリーグ得点王にも輝いたこともある名を馳せたヘルタのレジェンドだ。

2003年に現役を引退する前から、すでにセカンドキャリアを見据えてスポーツマネジメントの学位取得に励んでいた。ちょうどこの世代の選手たちからマネージャー職を意識して学位取得をめざす傾向が出始めており、プリーツマネージャーはその先駆けだといえる。2003年に現役を引退するタイミングで学位を取得すると、そのままアシスタントマネージャーに就任。2009年に現職に就任すると、2度の降格を経験するものの、ブンデスリーガ1部クラブとしての地位を再び定着させた。現在は、現役時代に共にプレーしていたパル・ダルダイ監督とともに安定して上位に顔を出すチームを作り上げた。

日本の教育システムでも、こういったキャリア形成をすることは不可能ではない。また、ドイツとは違い、大学を卒業した後でプロになるという道も残されており、見方を変えればセカンドキャリアを積極的に作れる条件が整っているとも言える。

ドイツでも、先のビアホフ氏やプリーツ氏のようなモデルケースが出来て、初めて積極的なキャリア形成について意識が向けられた。日本でもそういったキャリア形成について、10代や高校生のうちの早い段階から意識付けられるような環境が整えば、国内外を問わずさらに大きな可能性が開けてくるかもしれない。プロになるまでではなく、プロになってからどうしたいのか、という全体像を示せる存在が必要になっている。

<了>

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VictorySportsNews編集部