ドイツ代表のW杯優勝、陰の立役者はSAPのテクノロジーだった

まだ記憶に新しい、2014年のFIFAワールドカップ。同大会で24年ぶりの優勝を果たしたドイツ代表は、準決勝で開催国ブラジル代表に7対1で勝利するなど、圧倒的で高次元なプレーパフォーマンスを見せつけ、サッカー界のトレンドすらも塗り替えてしまうほどの衝撃、“イノベーション”をサッカー界にもたらした。

このイノベーションを陰で支えたのは、SAPのテクノロジーだった。

ドイツ代表のヨハヒム・レーブ監督は、2006年の就任以来、「試合中に1人の選手がボールを保持する時間を短縮化すること」を一つの目標として掲げていた。この目標を達成するうえで活用されたのが、SAPとドイツサッカー連盟(DFB)で共同開発したビッグデータ分析ツール『SAP Match Insights』だ。

具体的には、高精細カメラでドイツ代表の試合を撮影することで、フィールド上の22人の選手とボールの動きをトラッキングし、選手やボールのスピード、選手の体の向きや選手同士の位置・距離、パス経路、相手チームの動きなど、約4000万件ものデータを取得できるようになった。それまでは1試合当たりで取得できるデータ量は2000件程度といわれていたことを考えると、約2万倍にも及ぶデータ量となった。これによって、例えばある選手がボールを受けてからパスするまでに時間がかかっていた場合、選手同士の距離感やポジショニングの良し悪しを指導者の主観に頼るのではなく、約4000万件の膨大なデータを掛け合わせることによって、パスコースはあったのにパスを出さなかったのか、それともパスコースをつくるように周りの選手が動けていなかったのかなど、客観的なデータのもとでパスを出せなかった真の原因を分析することが可能になった。

こうしたデータ解析と、それをもとにしたトレーニングを繰り返すことで、2006年大会には2.8秒だった平均ボール保持時間が、2014年大会には1.1秒にまで短縮された。このことが、ドイツ代表をW杯優勝に導いたことは間違いないといえるだろう。

しかし、ここで一つの疑問が湧いてくる。数々のビジネスアプリケーションによって世界中の企業の経済活動を支えてきたSAPが、なぜ他産業と比べて市場規模が大きいとはいえないスポーツ産業への参入を決めたのか。まして『SAP Match Insights』は、畑違いとも思える“強化”面を支えるツールだ。

同社でイノベーションオフィス部長を務め、スポーツ産業向けにマーケティング支援を行っている濱本秋紀氏がその背景を話してくれた。

(C)Getty Images

SAPがスポーツ産業に参入した最大の理由とは…

「SAPはもともと企業向けのソフトウェアを開発・販売していましたが、その中でも特にERP(※1)パッケージソフトウェアがSAPの売上のほとんどを占め、市場でも圧倒的なシェアを持っていました。しかし逆にその強さゆえ、当時のSAPは“イノベーションのジレンマ”に陥ってしまっていたように感じます。世間では新たにクラウドサービスが台頭してきていたにもかかわらず、SAPではERPを中心とした既存ビジネスを前提としてあらゆる組織や業務がデザインされていたこともあり、巨大になった組織は簡単に変わることができなかったのです」
(※1 ERP:「Enterprise Resource Planning」の頭文字を取ったもので、企業の業務をサポートするだけでなく、全てのリソース・情報を一元管理し、経営判断に貢献することを目的とした情報システムパッケージ)

そんな危機に陥っていたSAPが再び走り始めたきっかけは、『SAP HANA』と呼ばれる新型のデータベースの登場だった。インメモリ技術(※2)によって大量のデータを超高速で処理することが可能になったこの『SAP HANA』は、SAPにとってまさに“イノベーションのジレンマ”を克服するべく生まれた革新的な製品だった。
(※2 インメモリ技術:使用するデータやプログラムなどを全てメモリ上に格納し処理する技術。ハードディスク上での動作と比較して、10万倍も高速に処理することが可能になった)

「『SAP HANA』を発表したとはいえ、当時、世間ではまだまだ『SAPといえばERP』という認知が強くありました。クラウドサービスという新しい技術が世の中に浸透してきた中で、ERPのパッケージソフトウェアは“レガシー”なものとみられており、『SAP HANA』を使ってSAPのリブランディングをしていこうというマーケティング上の大きな使命感 があったのは確かです。そこでさまざまなプロジェクトが動いていたわけですが、その大きな柱の一つが“スポーツ”だったのです」

それからSAPは、F1のマクラーレン、MLB、NBA、バイエルン・ミュンヘン、そしてドイツ代表といった世界トップクラスのスポーツ関連組織とパートナーシップを結んでいった。

「当時の『SAP HANA』の位置付けとしては、“超高速”のデータ処理を特徴とする新型データベースでした。この“超高速”という価値を、どのようにして世の中に訴求していくか。そこで、スポーツの持つ“リアルタイム性”との親和性が高いと考えたのです」

前出の『SAP Match Insights』も、『SAP HANA』の“超高速”データ処理が活かされている。たとえ約4000万件ものデータを取得することができても、その処理に何日もかかっていては意味が無い。超高速でビッグデータを処理し、リアルタイムで解析できるようになったからこそ、即座に選手にフィードバックしてトレーニングに反映するといったサイクルを回すことができるようになった。それが「ボール保持時間の短縮化」という目標の達成と、W杯優勝を導いたのだった。

「SAPはBtoB企業なので、スポンサーシップを結んでロゴを掲出すればいいわけではありません。『SAP HANA』という基本的に人の目に見えるものではない製品の価値を、世界中が注目するスポーツというコンテンツを通じて、“勝利”というわかりやすい形で示したのです。これこそが、SAPがスポーツ産業に参入した最大の理由だといえるでしょう」

ドイツ代表のW杯優勝は、SAPにとっても大きな転機となった。SAPジャパンでもちょうど、ドイツ代表がブラジル代表を大差で破った準決勝と同じ7月8日にスポーツ事業の立ち上げを発表したことで、「ドイツ代表優勝の陰にSAPのテクノロジーあり」、そして「日本市場でもスポーツ産業に参入!」と数多くのメディアに取り上げられる結果となった。これをきっかけに、通常の事業でクライアントとなる事業会社だけではなく、スポーツ業界からの問い合わせも急増した。こうして、SAPでは本格的に、スポーツ業界に対するソリューションの提供を始めることになったのだった。

次回は、SAPが現在、スポーツ業界に対して具体的にどのようなソリューションを提供しているのか、また日本のスポーツ界の抱える問題点に話を聞く。

<中編に続く>

中編はこちら

[PROFILE]
濱本秋紀(はまもと・あきのり)
SAPジャパン株式会社 イノベーションオフィス部長 スポーツ産業向けマーケティング支援担当
SAPジャパン株式会社のマーケティング部門でコーポレートイベント・ブランディング・スポーツスポンサーシップ・デジタルマーケティングなどの責任者、製品マーケティングの企画・実施、ユーザーグループの企画・運営などを経験。2016年より、プロスポーツ組織のマーケティング・ファンエンゲージメントを支援し、スタジアムソリューションの事業開発なども担当している。

(C)Victory Sports News編集部

【中編はこちら】IT界の巨人「SAP」は、スポーツ界に何をもたらしているのか? 3つのキーワードで読み解く

企業向けのビジネスアプリケーションを開発・販売するソフトウェア企業として、世界最大のグローバル企業であるSAP。2014年FIFAワールドカップでドイツ代表が優勝を果たした陰の立役者としても知られるIT界の巨人は今、バイエルン・ミュンヘン、F1のマクラーレン、MLB、NBAといった世界トップクラスのスポーツ関連組織とパートナーシップを組むなど、25番目の産業としてスポーツ産業に注力している。では具体的に、SAPがスポーツ産業に対して提供しているソリューションとはいったいどのようなものなのだろうか? それは、日本のスポーツ界が大きく後れを取っている分野でもあった――。(取材・文=野口学)

VICTORY ALL SPORTS NEWS

【後編はこちら】「課題先進国」の日本はスポーツ界にとってチャンスか IT界の巨人SAPの描く未来とは

企業向けのビジネスアプリケーションを開発・販売するソフトウェア企業として、世界最大のグローバル企業であるSAP。2014年FIFAワールドカップではドイツ代表を優勝に導き、バイエルン・ミュンヘン、F1のマクラーレン、MLB、NBAといった世界トップクラスのスポーツ関連組織とパートナーシップを組むなど、スポーツ界に対してさまざまなソリューションを提供している彼らは、日本スポーツ界における現状をいったいどのように見て、どのような未来を描いているのだろうか? スポーツ産業に懸けるその想いをひも解いていく――。(取材・文=野口学)

VICTORY ALL SPORTS NEWS
レアル・マドリーは、こう眠る。トッププロが語る寝室の科学「走れる=良い選手」なのか? 専門家に訊くスポーツデータの見方、初歩の初歩レスター・シティは、データとどのように向き合っているのか? ポール・バルソム氏インタビュー

なぜコカ・コーラ社は90年も五輪スポンサーを続けているのか?(前編)

東京2020オリンピックまであと3年。スポンサー収入がオリンピック史上最高額になるといわれているように、非常に多くの企業がこの祭典に期待を寄せ、ビジネスチャンスと捉えていることが分かる。だが同時に、スポンサー契約を結んだまではいいものの、そこから具体的にどうしたらいいのか分からないという声も聞かれる。そこで今回は、オリンピックのワールドワイドパートナーやFIFA(国際サッカー連盟)パートナーを務めるコカ・コーラ社が、いかにしてスポンサーシップを活用し、確固たるブランドを築き上げているのか、そのスポーツマーケティングの極意・前編をお届けする。(編集部注:記事中の役職は取材当時のものです)

VICTORY ALL SPORTS NEWS

鹿島アントラーズの、知られざるスポンサー戦略。常勝軍団を支える事業部門の活躍

「スポンサーというよりむしろパートナー」。常勝・鹿島と彼らを支える企業との関係性には、強いクラブを作る上でのヒントが隠されている。

VICTORY ALL SPORTS NEWS
野口学

著者プロフィール 野口学

約10年にわたり経営コンサルティング業界に従事した後、スポーツの世界へ。月刊サッカーマガジンZONE編集者を経て、現在は主にスポーツビジネスの取材・執筆・編集を手掛ける。「スポーツの持つチカラでより多くの人がより幸せになれる世の中に」を理念とし、スポーツの“価値”を高めるため、ライター/編集者の枠にとらわれずに活動中。書籍『プロスポーツビジネス 私たちの成功事例』(東邦出版)構成。元『VICTORY』編集者。