華奢で可憐でありながら、氷上で風格を漂わせる日本の正GK

アイスホッケー女子日本代表にとり平昌オリンピック前最後の実戦となる壮行試合の最終戦、日本の先発ゴールキーパー(GK)藤本那菜は試合前のウォームアップをしていた。ゴール前の動きの反復練習で、足に着けた防具が氷に吸い付くように左右に動く。それは精密機械のような規則正しさだった。並外れた正確さで刻まれるその動きの背景には、藤本が長い年月をかけて地道に積んできた鍛錬がある。藤本が大事にしているのは、GKの基本であるパックに正対する姿勢だ。自らを「運動神経で反応できるタイプではない」と分析する藤本は、予測することで反応するスピードを上げている。その速さは練習と経験で決まるという。

壮行試合の第3戦で先発した日本代表の後輩GK小西あかねは、「那菜さんはすごく冷静で、多分緊張とかもあまりしないタイプ」とコメントした。また男子代表のGKであり、日本人として唯一NHLの公式戦に出場している福藤豊(日光アイスバックス)は、藤本を「ショートプレー(ゴールの周りのプレー)がすごく強そうなので、そこは強みなのかなと思います」と評している。

「例えば、ゴールの横からパスを出されてシュート、といったゴールの付近で起こるプレーの際の、ゴール周りの移動やセーブがすごく上手」

アイスホッケーのGKはゴーリーと呼ばれる。チームメイトを一番後ろから見守っていて戦況を常に把握していると同時に、個人競技の選手のような孤高の存在でもある。野球のピッチャー同様、そのプレーの出来不出来が勝敗を大きく左右するアイスホッケーのゴーリーには、一種独特の存在感がある。身長164センチで華奢な印象の藤本は街で見かけたら可憐な女性にしか見えないだろうが、防具を着けて氷に乗った瞬間から風格を漂わせる。

父との練習、生来の柔軟性、そして心理学から学んだものが今に繋がっている

(C)The Asahi Shimbun/Getty Images

藤本は自らについて、「運動神経がなくて、人の倍努力しないと同じベースに立てない」と語る。地元のクラブチームでアイスホッケーを始めたのは6歳の時。FW、DFとさまざまなポジションでプレーしたがなかなか芽が出なかった藤本に、転機が訪れる。小学校5年生の時、チームのGKを務めていた6年生が卒団し、GKとしてプレーするようになったのだ。藤本は「多分キーパーというポジションが、私に合っていたんじゃないか」と言う。

「自分の苦手な部分を繰り返しやるという、地道な練習。派手ではなく、地道にこつこつとやるというのが、多分合っていたんじゃないかなと」

GKになると同時に、父とのマンツーマンの練習が始まった。社会人になってからアイスホッケーを始め、GKとしてプレーしていた父は、藤本を厳しく鍛えた。当時の藤本は父を怖いと感じており、アイスホッケーそのものもつらかったという。だがアイスホッケーを楽しめるようになった現在は、父の厳しい指導があったからこそGKの基礎を身に付けられたと感じている。体の柔軟性も備わっていた藤本にとり、GKは練習すれば上達する手応えを感じられるポジションだった。高校生になると日本代表に選ばれるようになり、父は自宅の横に練習場をつくってくれた。

だが2008年に行われたバンクーバー五輪最終予選に敗れると、藤本は学業を優先し代表入りを辞退するようになる。勉強していたのは心理学で、2012年には札幌学院大大学院の臨床心理学研究科に進む。アイスホッケーを続けたのは地元札幌に新しいチーム「ボルテックス札幌」ができたからだ。ソチ五輪最終予選まで半年という時期、藤本は飯塚祐司女子代表監督(当時、現在は女子代表アシスタントコーチ)からの誘いで代表の合宿に参加する。チームの雰囲気にアイスホッケーを楽しめる可能性を感じた藤本は、再び日の丸をつけて闘うことを決意する。2013年2月、女子日本代表は悲願だった五輪出場を自力で決めるが、藤本は最終予選に控えのGKとして臨んでおり、出番はなかった。

藤本自身はバンクーバー五輪最終予選後からソチ五輪最終予選までの時期を「人生で一番迷っていた」と振り返っている。しかし、心理学を学んだことは自分を客観視する能力につながり、藤本に冷静さをもたらした。GKに求められているものとして「安定感」と「冷静さ」を挙げる藤本にとり、一時期アイスホッケーより優先した学業もプレーに生きているといえる。

悔しい思いをしたソチから4年 世界選手権ベストGKとNWHLでの経験

(C)The Asahi Shimbun/Getty Images

最終予選から1年後のソチ五輪本番、藤本は正GKに定着していた。「本戦の時は絶対に出たい」という思いで、得意ではない筋力トレーニングにも取り組んできた成果だった。日本は5戦すべてで敗れ五輪での初勝利は挙げられなかったものの、試合によっては接戦に持ち込むことができたのは藤本の堅守があったからだ。しかし、藤本は自分のプレーに満足していなかった。

「ソチのオリンピック本戦は復帰して1年ちょっとしか経っていない状況で、本当に準備不足というか……、本戦すべての試合でフル出場はしたんですが、世界との実力の差を実感した大会でした。1点差ゲームもあって『惜しかったね』という言葉を頂いたこともありますが、点差以上の差を本当に感じて、悔しい思いもしました」

ソチ五輪での戦いの中で、藤本は技術面での課題をはっきりと感じていた。それは「ポジショニングをとるまでのスケーティングワークの技術」だった。

「相手のパススピード、シュートスピード、動きについていくまでの反応で、スケーティングワークが未熟だった」

ソチで決勝戦を観戦した藤本は、表彰式を見ながら「やっぱりメダル欲しかったな」と感じたという。そして4年後の平昌での雪辱を決意する。

プレーの向上を誓った藤本は、ソチ五輪の翌年である2015年3月の世界選手権でセーブ率93.75%をマーク。90%で一流のゴーリーとされるセーブ率において、圧倒的な数字だった。当然藤本のプレーは高い評価を受け、世界選手権のトップディビジョンで日本人として初めてベストGKを受賞した。この活躍から、同年秋に世界初の女子プロリーグとして発足したNWHLへの道が開ける。ニューヨーク・リベターズ(現メトロポリタン・リベターズ)のGMから熱心なオファーを受けトライアウトを受けた藤本は、アメリカ・カナダのトップ選手が多数所属するリーグでプレーすることになる。正GKとしてプレーし、オールスターにも選ばれた。藤本は「経験値は自分にとってすごくプラスだった」と振り返る。

「アメリカ・カナダは今“2強”といわれている中で、その代表選手がいるリーグでプレーできた。日本国内だと経験できないですし、日本とアメリカ・カナダの代表が(試合を組んで)プレーするという機会もここ何年もないと思うので……。そういった経験から、自分の課題と通用する部分、いろいろ見えたかなと」

課題は、相手選手にゴール前にスクリーンで立たれた場合のプレーだ。

「相手の選手は体格が大きいので、ポジショニングをとること、パックを探すことがすごく難しい。そういった中でリアクションを速くして、パックを見失わない、という技術的なところが課題」

その一方で、大柄な北米の選手たちに対する中でも「この身長でも正確なポジショニングをとっていれば、ある程度シュートは止められる」という手応えを得ていた。

「実際にシュートをアメリカ代表・カナダ代表の選手から受けてみて、『まったく止められないということはないんだな』と。リバウンドのフォロースピードもついていけましたし、ポジションさえしっかりと正確にとっていれば、9割は防げると実感しました。あとの1割は本当にテクニック。ゴール前でのリフレクションだとか、パック1個分の『ここのコースしかない』みたいな隙間を抜いてくるとか、そういう選手もいたので。相手がうまくて対応は難しいところもありますが、そこを経験できたのはすごく大きかった」

「キーパーというポジションは、反省して修正して、という繰り返し」と考える藤本にとって、NWHLでの経験は大きな意味を持つ。

「通用する部分、課題の部分を実際に体感できたというところで、本当に行ってよかった」

成長したポジショニングと状況判断 平昌でのメダルを誓う

(C)The Asahi Shimbun/Getty Images

ニューヨークで2015-16シーズンを闘った藤本は、古巣のボルテックス札幌に戻った。苫小牧で行われる平昌五輪最終予選に備えるためだ。昨年2月に行われた最終予選で、藤本は3戦すべてにおいて失点1の活躍を見せ、日本の五輪出場権獲得に貢献した。平昌五輪代表発表会見の場で、藤本はソチ五輪当時の4年前より成長したところについて問われ、次のように答えている。

「4年経って、課題だったポジショニング、相手のスピードについていけなかったところを詰めました。いかに正確に速くポジションどりができるか、あとはゴール前での対応力の部分で、いろいろな経験を積みました。状況判断などが4年前とは変わったかなと思います」

壮行試合の最終戦となる4戦目で、藤本は対戦相手のチェコを1点に抑え、五輪本戦が行われる江陵に向かった。ソチでは客席から見た表彰式で、今度はメダルを受け取るつもりだ。

<了>

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沢田聡子

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。金子正子元日本水泳連盟シンクロ委員長責任編集による『日本シンクロ栄光の軌跡 シンクロナイズドスイミング完全ガイド』の取材・文を担当。ホームページ「SATOKO’s arena」(http://www.satokoarena.sakura.ne.jp/)