長野で夢から目標にした五輪の舞台を3大会続けて逃し、一度は引退へ…

「アイスホッケーっていうものを、もっともっと知ってもらえれば」

平昌オリンピック・アイスホッケー女子日本代表のエース、久保英恵はそう語る。

「いまだに『アイスホッケー』って言っても、ピンとこない人もいるので。もっと顔見たら『ああ、あの人アイスホッケーやっている』っていうふうに……。いや、もちろん普通に歩いていて言われるのは嫌ですけど、そのぐらいの認知度があったらいいな、と。夢の話ですけど」

開催国枠で出場した1998年長野五輪以降、あと一歩のところで出場を逃し続けたオリンピックという夢の舞台。アイスホッケー女子日本代表の選手たちがそれでもオリンピック出場を目指し続けてきたのは、マイナースポーツをプレーし続けることの難しさを身に染みて感じてきたからだ。

長野五輪当時、久保は15歳。日本人離れしたシュートセンスを持つFWは、最年少(当時)で日本代表に選ばれるのでは、と注目される存在だった。実際に最終選考まで残ったものの代表入りはかなわず、本番の試合は会場で観戦している。満員の会場は、久保にとっては別世界だった。

「ワクワクしながら見ていた。試合内容とかもほとんど覚えてないんですけど、こういう大きな舞台でアイスホッケーができたらいいな、というふうには思ってました」

長野五輪での日本は、出場した5試合すべてにおいて大差で敗れている。しかし、久保にとっては五輪出場が夢から目標になった大会だった。

しかし、その後日本は3大会続けて五輪出場を逃すことになる。ソルトレークシティ五輪の最終予選ではあと1勝、トリノ五輪ではあと1点、バンクーバー五輪ではあと1勝足りなかった。

2001年2月、スイスで行われたソルトレークシティ五輪最終予選で敗れ、久保はなぜホッケーをやっているのか、とまで思い詰めたという。雪辱を期して迎えたトリノ五輪最終予選(2004年11月、ロシア)を、当時21歳だった久保は「多分ホッケー人生の中で一番いいパフォーマンスができていた時期」と振り返っている。最終戦のロシア戦は、引き分けでも五輪出場権を得られる状況だった。1−3とロシアに2点リードされて迎えた最後の第3ピリオドは、その半分以上の時間が日本のパワープレー(相手のペナルティによる数的優位の状態)となる。体力の消耗が激しいアイスホッケーでは、セットと呼ばれる計5人(FW3人・DF2人)のグループが交替してリンクに乗り、一人のプレーヤーの連続プレー時間は1分前後に限られるのが普通だが、この大一番の最終ピリオド、エースである久保は異例の長さで氷に乗り続ける。しかし日本はなかなかロシアのゴールを割れない。試合の残り時間が1分を切ったところで2点目のゴールを決めたのは久保だったが、日本は1点差を詰められず、トリノへの切符を手にすることはできなかった。

バンクーバー五輪の最終予選、日本は最終戦で敗れ五輪本大会への出場を逃すが、その時久保は代表に招集されていなかった。所属するクラブでは3連覇を果たしたが代表復帰はかなわず、膝のけがも重なって久保は引退を決意する。

(C)Getty Images

久保の才能に惚れ込んだ若林氏の教え 最終予選MVPの活躍でソチ五輪へ

約1年半のブランクを経て復帰を決意した最大の理由を、久保は「若林メルさん(若林仁氏)から声をかけていただいたこと」と説明する。トリノ五輪予選敗退後、自らを高めるためカナダのリーグでプレーしていた23歳の久保の才能に惚れ込んだのが、当時カナダに住んでいた若林氏だった。アイスホッケー界の重鎮である若林氏はかつての名FWでもあり、久保のシュートセンスを本当の意味で評価できる目を持っていた。久保を自宅に招いて食事を共にし、交流を深めた若林氏は、プレーについてのアドバイスも送っている。

「シュートコースについて『(GKの)肩口が上手なんだから、上の方を狙ってやりなさい』と言われていました」

ソチ五輪最終予選を前に女子日本代表チームリーダーとなった若林氏は、最終予選突破には久保の代表復帰が不可欠と考えた。実家のある北海道・苫小牧市に戻っていた久保を訪れ、説得を続ける。その熱意に勇気づけられた久保は現役復帰、さらには日本代表復帰も果たす。そして迎えたソチ五輪最終予選(2013年2月、スロバキア)では2ゴール3アシスト、MVPを受賞する活躍ぶりで、ついに五輪への道を切り開いた。最終戦の対デンマーク戦、久保が決めた2点目のゴールは、若林氏が教えてくれた通りGKの肩口まで上がるシュートだった。

日本代表チームとしては、ソチ五輪最終予選突破の鍵となったのは初戦のノルウェー戦だろう。一時3点のビハインドを追う展開となるも、そこから逆転する粘り強さを見せた。4年間の総決算である五輪最終予選の場でも笑顔を絶やさないことから“スマイルジャパン”と名づけられた日本代表の選手たちは、自らを信じることのできる強さを手に入れたのだ。

ソチ五輪出場を決めたことで、競技環境は改善した。久保は練習拠点であるアイスアリーナでのアルバイトをしていたが、日本オリンピック委員会の仲介で太陽生命に入社が決まる。それまで女子アイスホッケーの選手たちは、日本代表クラスであっても競技に専念できるわけではなく、多くはアルバイトとして働きながらの競技生活を強いられていた。マイナースポーツであるが故の厳しい状況に、五輪出場により突破口が開かれようとしていた。

(C)The Asahi Shimbun/Getty Images

3戦全勝で突破を決めた平昌五輪最終予選 久保が持って生まれたゴールの嗅覚

長野五輪から16年を経て、31歳でついにたどり着いた五輪の舞台。しかしソチ五輪での結果は厳しいものだった。接戦もあったものの、日本は5試合すべてで敗れ最下位に終わる。自らの成績も1ゴール2アシストと不完全燃焼だった久保は、4年後の平昌五輪を目指すことを決意する。

久保だけではなく、五輪を経験した代表チームは、メダルという目標を共有するようになっていく。久保同様就職が決まった選手も多く環境が整った上に、何よりも高いレベルでの闘いを経験したことで意識が大きく変化した。2017年2月、北海道苫小牧市で行われた平昌五輪最終予選で日本は、オーストリアを6-1、フランスを4-1、ドイツを3-1で下し3戦全勝で平昌行きを決める。ぎりぎりの闘いを勝ち抜いた感のあるソチ五輪最終予選に比べ、余裕すら感じさせる闘いぶりだったのは、最終予選を通過点ととらえるチーム全体の意識の変化によるものだった。

地元での最終予選で、久保は自ら「神ってる」と口にするほどの活躍を見せる。初戦で攻撃の口火を切る先制点を決め、3得点の好発進。全試合で得点し、5ゴール1アシストとチームを牽引した。平昌五輪本大会の代表に選ばれた際の記者会見で、久保は4年前のソチ五輪の時に比べ成長した部分を問われ、次のように語っている。

「ソチの時は結果が残せなくて、フィジカルやスキルで劣る部分がすごくあった。今回の平昌オリンピックまでフィジカルも体力もみんなで強化してきた部分で、成長したのかなっていうふうに思います。その結果、予選ではいい結果が残せたのかな」

久保の強みは、瞬時のゴール前のポジション取りやシュートのコース・強さを的確に判断できるセンスの良さだ。それは持って生まれたものかもしれないが、技術が磨かれていなければ頭に浮かんだプレーを実行することはできない。スティックを振り上げずに打つ“クイックシュート”は高い技術が必要とされるが、久保は手首を鍛えるなどしてその技術を身につける鍛錬を積んでいる。また一度引退している久保は、現役復帰後運動できる体に戻す必要性を感じ、一から体を作り直してきた。そしてソチ五輪後、代表全体の課題であったフィジカルの強化に取り組んできた今、久保の言葉には自信がにじみ出ていた。天性の才能を活かすため技術と肉体を磨いてきた日々を経て、今の久保がある。

(C)The Asahi Shimbun/Getty Images

アイスホッケーの未来のために 平昌五輪での初勝利を誓う

その後強化試合を重ねた日本代表は、最後の壮行試合である「ブリヂストン ブリザックチャレンジ」(2018年1月、東京)を4戦全勝で終えている。久保は右手首を痛めていたが、平昌に向けて試合勘を養うため全試合に出場。「チームは平昌のさらにレベルの高い相手とやる準備はできています」と力強く言い切った。目指すのはメダル獲得。チームの意思統一はできている。

久保は、アイスホッケー教室の主催を勤務先の会社に提案し、各地でアイスホッケーを教える活動もしている。

「知っていただくことで、いろいろな広がりもある。アイスホッケーに携わってくれる方も、もっともっと応援してあげよう、と思ってくれる人もきっといる。難しいですけど、自分から発信していけば認知度はさらに上がるのかなって思いますし」

そして競技の認知度アップには五輪での勝利が一番効果的であることを、最も痛切に感じているのは久保自身だ。

「あとはやっぱり、結果を残すだけですね」

不遇の時代も引退も経て35歳となった今、再び五輪の舞台に立つ日本のエースは、平昌での闘いの先に日本アイスホッケーの未来も見ている。

<了>

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沢田聡子

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。金子正子元日本水泳連盟シンクロ委員長責任編集による『日本シンクロ栄光の軌跡 シンクロナイズドスイミング完全ガイド』の取材・文を担当。ホームページ「SATOKO’s arena」(http://www.satokoarena.sakura.ne.jp/)