“情報戦略”でも圧勝したチーム羽生

羽生結弦、二個目の金メダルは、自分とライバルに勝っただけでなく、メディア、組織、ビジネス、人心、それらを見事にコントロールし、自らの支配下に収めての快勝だった。
 
インターネットやSNSの普及で、情報を隠したり、意図的に操作するのは難しいと思われる現代において、羽生結弦とその陣営(チーム羽生結弦)は、ほぼ完璧にそれをやってのけた。もちろん、羽生の実力と実績が前提にあるのは言うまでもない。ソチ五輪金メダル、日本だけでなく海外での人気、IOCにとっても巨大化・怪物化した五輪ビジネス(イベント)最大の主役のひとりである羽生を失うわけにいかない事情……。それらを冷静に分析・把握し効果的に活用。描き上げた全体構想とシナリオによって劇的な二連覇を手繰り寄せた……ごく当たり前に、今回の連覇達成を報道風に表現すれば、次のようになるだろう。
 
すべては昨年11月、大会前の公式練習で右足首靭帯損傷の大ケガを負ったところから始まる。
 
ケガで羽生結弦のオリンピック連覇に黄信号、いや赤信号が灯った。ところが、羽生はそこから奇跡的とも言える復活を果たし、ぶっつけ本番にもかかわらず、ショートプログラムで素晴らしい演技を展開。出来栄え点の減点がない完璧な演技でトップに立った。
 
フリーでは後半ややジャンプの着氷が乱れたものの、執念の粘り強さで耐え、見事に二連覇を飾った。会場は再び展開された羽生結弦劇場に酔い、興奮に包まれた。そしてもちろん、感動の演技を終えた羽生結弦にスタンドからはプーさんシャワーが浴びせられた。白いリンクが、瞬く間に黄色に染まった。
 
この原稿をもし雑誌かネットメディアに送ったとして、撥ね返される可能性はあまりないだろう。冷静に読めば「誇張した表現」が、それほど咎められない現実がスポーツ報道にはある。
 
実際、同じような原稿が直後に多くのメディアで発信された。これは、メディアが報じたものだが、同時に「羽生陣営の描いたストーリー」だとも感じる。羽生結弦、そしてチーム羽生は、きっちり滑りさえすれば金メダルを手にする勝算が十分にあった。それくらい羽生の実力は群を抜いていた。メディアは悲観的な観測を出し続けるだろう。しかし、それをひっくり返すことで世間は感動と興奮で最大限の賛辞を送ってくれる。そんなシナリオを描きながら孤独な3ヵ月を粘り強く重ねた。

アスリートの生理とはほど遠い、メディアの「感動ドラマ作りたい病」

上の文章を冷静に反証してみよう。
 
ケガで羽生の連覇に黄信号が灯った。そう報じられて、日本中が「羽生君大丈夫!?  きっと深刻なケガに違いない!」という空気に染まった。
 
「靭帯損傷」という重苦しい活字は、日本中に深刻な衝撃を与えた。普段使っている「捻挫」という響きならば、これほど重い空気を共有しただろうか。もう少し補足すれば、羽生陣営が言ったわけでもないのに、メディアや世間が先に、オリンピックは大丈夫か!無理ではないか?という臆測を定着させている。
 
メディアには、感動ドラマを作りたい癖を持っている。あるメディアは、「骨にも炎症のある重症」と形容した。深刻な方が、復活した時のドラマ性も深まるという、私たちメディア人にありがちな習性。こうした、周囲の自主的な盛り上げも功を奏して、羽生結弦は、“奇跡的に静かな3ヵ月"を過ごすことができた。
 
ケガはもちろん歓迎すべきことではない。だが、ケガをどうプラスに転じ、選手の力にするかは、勝利を求めるアスリートやチームにとって、ある意味ごく当然の備えだ。ケガへの対応力が選手の成長の重要な基本要素とも言える。
 
ケガをした時点で、オーサ-コーチを中心にいかにケガを最大限プラスに活用するか、ポジティブに捉える姿勢に転じたことが、羽生結弦勝利の大きな転換点だっただろう。
 
羽生陣営にとって、ケガをしたとき時点で厄介だったのは、12月の全日本選手権の存在だったろう。平昌五輪の最終選考会と規定されたこの大会を欠場すれば、五輪への道が断たれる心配がある。だが、羽生結弦は特別な存在だった。それまでの実績で3つのうちのひとつの切符を、戦わずして羽生に渡すことに反対する声はほぼ一切なかった。IOCもおそらく、それを歓迎しただろう。
 
いま、そして今後オリンピックで大きな課題になるのは、「主役たちの不在」だ。これだけ巨額のお金が動くビッグイベントとなったオリンピックは、「平和の祭典」である以上に「興行ビジネス」そのものとなった。もし、主役になるべき選手たちが、国の最終選考会で思わぬ敗北を喫したり、ケガで出場が叶わなかった場合、イベントは華を失い、目玉をなくす。それを回避するためにも、出場資格を「世界ランキング上位者」に設定する競技が増えている。
 
今後は、主催者推薦での出場も検討されるだろう。こうした流れの中で、ケガによる全日本選手権欠場が決して、羽生から平昌オリンピックを奪わないことを、チーム羽生は事前に想定できただろう。言い方を換えれば、いまのオリンピック・ムーブメントは、全日本選手権に出場しないくらいの理由で、羽生を平昌五輪から追い出すことをIOCが承諾するような空気ではない。
 
不安ばかりがふくらむ世間の空気の中で醸成された〈美しき誤解〉と、羽生結弦に対する好意的な空気は、むしろ〈追い風〉だったようにも思われる。

メディアの常識で測れない絶対王者・羽生結弦

五輪連覇を目指す羽生結弦が、もしケガをしなければ、このように静かな3カ月を過ごせただろうか。
 
「苦しいリハビリの日々」と周囲の誰もが思い込んでいる。だが、一部を除いて大半の報道陣が取材を自粛し、接触を図らなかった。そんな快適な環境を、他の方法で獲得できただろうか。
 
ブランク、3ヵ月ぶり、「2ヵ月氷に乗れなかった」といった状況やコメントのすべてが、メディアやファンの中では〈羽生の苦しさ〉を表現し増幅する材料となった。しかし、一度乗れるようになった自転車は、3ヵ月乗らなくても、乗れない過去には戻らない。
 
「僕はオリンピックを知っている」

日本中を驚かせた羽生結弦のショートプログラム後のコメントも、メディアが羽生を「依然として傷ついた白鳥」のように扱うからこそインパクトが大きかった。しかし、羽生結弦はケガのブランク、調整不安、実戦不足、といったメディアの常識で測れるようなアスリートではなかった。

氷に上がる準備ができて、五輪の舞台に立つ以上、羽生結弦には金メダルを首にかける以外のストーリーは受け入れられないものに違いなかった。3ヵ月のブランクを、世間ほど羽生は恐れていなかった。
 
スポーツは単に力や速さ、技を競うのではなく、そういう全体プロデュース、メディアや組織も味方につける戦略性も重要な時代に入ったことを平昌五輪で羽生結弦は教えてくれた。
 
<了>

羽生結弦=安倍晴明は、世界に呪(しゅ)をかける。完全復活を掛けて挑む『SEIMEI』

フィギュアスケーターの生命線ともいえる足に大怪我を負った羽生結弦が帰ってきた。世界が待ち望んだこの瞬間に、自身も緊張と喜びをにじませている。今月2月3日は晴明神社の節分星祭であった。陰陽道において節分とは「陰」から「陽」へ「気」が変わる一年の節目だという。開会式で韓国国旗の太極(陰陽)が随所に演出されていたのも、ソチ五輪開会式での『トゥーランドット』を思い出させた。風が良い方向に吹き始めている。ここでは著書『氷上秘話』(東邦出版)より『SEIMEI』についての考察をお届けしたい。羽生選手の周りにたくさんの式神が飛んでいるのが見えるはずだ。文=いとうやまね

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フィギュアは“技術”か“芸術”か? ザギトワ金によるルール改正の是非を考える

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「その羽は青く鋭い光を放ち、豊かな翼と長い尾を飾る。雲のその上の宮殿に住み、この世の鳥族の頂点に君臨する。美しき青い鳥は、鷲の強さと、鳩の優しさを併せ持つといわれる」。幸運をもたらす「青い鳥」はロシアの伝承のひとつである。衣装はタチアナ・タラソワから贈られたものだ。

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フィギュアスケート“表現力”の本質とは何か? 羽生、小塚が大事にする観客との一体感

熱戦が繰り広げられる平昌オリンピック、16日からはついにフィギュアスケート男子シングルが始まる。フィギュアスケートをテレビで観戦しているとよく耳にする“表現力”。この“表現力”とはいったい何か? どのように採点に結び付いているのか? そして、選手はどう向き合っているのか? スケーターたちのプログラムをより深く味わうために、“表現力”の本質を読み解いていきたい。(文=沢田聡子)

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フィギュアスケート・衣裳デザイナー伊藤聡美が語る『デザインの現場』(前編)

羽生結弦、宇野昌磨、樋口新葉、本田真凜らトップスケーターの衣裳を、今シーズンすでに50着以上も手掛けている伊藤聡美さんの“デザインの現場”にうかがった。スポーツとしての技術・記録に加え、「美」や「イメージ」の役割が大きいフィギュアスケート。その一端を担う、衣裳デザイン・制作の世界に迫りたい。前編は平昌オリンピックの出場権をめぐりしのぎを削る選手たちの衣裳について。後編は伊藤さんのデザインの原点と哲学を語ってもらった。(取材・文/いとうやまね)

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小林信也

1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。