“表現力”の評価の基本は“滑り”にある

平昌オリンピックの金メダル候補、エフゲニア・メドベデワ(ロシア)の真のすごさは、会場で実際にその滑りを見るとよく分かる。滑りが力強く、速く、一蹴りでどこまでも伸びていく。リンクをいっぱいに使うその滑りを見ると、フィギュアスケートの基本は、“滑る”ことにあるのだと納得がいく。同じ芸術スポーツのシンクロナイズドスイミングでもロシアは圧倒的な強さを長年維持しているが、テレビで解説者がその演技中によく言う言葉がある。

「画面では分かりにくいかもしれませんが、とてもよく進んでいます」

“進んでいる”のはつまり、泳ぎそのものに推進力があり、泳力が優れているからだ。メドベデワの滑りを見ていると、そのことを思い出す。芸術スポーツであっても “スポーツ”である限り、その基本はあくまでも泳ぎ、また滑りそのものの質にある。

そう考えると、フィギュアスケートの“表現力”も、その評価の基本にあるのは“滑り”であることが分かる。音楽そのものや音楽が表す物語を、“滑り”で表現する力を評価するのだ。2002年ソルトレークシティ五輪の後に導入されたフィギュアスケートの現在の採点システムは、その点において優れた方法だといえる。

(C)Getty Images

5つの評価項目で構成される現行の“表現力”採点システム

技術点と演技構成点で評価する現在の採点システムは、2002年ソルトレークシティ五輪で起こったジャッジの不正疑惑が発端となり、グランプリシリーズでは2003-04シーズンから、チャンピオンシップでは2004-05シーズンから導入された(選手たちは採点表で上に表示される技術点を“上の点数”、下に表示される演技構成点を“下の点数”と言ったりする)。それまでの旧採点システムでは、技術点と芸術点のそれぞれを審判が6点満点で採点する方式で、技術点および芸術点の採点基準は細かく定められていなかった。そのため、ジャンプの成功・失敗などが影響する技術点に比べ、特に芸術点の基準は分かりにくかったといえる。現行の採点システムにおける演技構成点は、難しいジャンプ・スピン・ステップなどを行っているかどうかには関係なく、プログラム全体の構成について評価するものだ。評価する項目には5つある。

①スケーティングスキル(スケーティングの技術)
②トランジション(技と技のつなぎの動作)
③パフォーマンス(演技力とプログラムの完成度)
④コンポジション(振り付け・構成)
⑤インタープリテーション・オブ・ザ・ミュージック(音楽との調和と解釈、アイスダンスのみタイミングも評価項目)

特に①と②の項目に注目すると、単に「芸術点」として点数をつけた旧採点システムよりも、「プログラム構成要素」を評価する現行の採点システムは、“表現力”に加え“スケーティング”を見る傾向が強いといえるだろう。つまり、現在はフィギュアスケートの採点において“表現力”と“スケーティング”は切っても切り離せない関係にあり、スケーティング技術が高ければ高いほど表現の幅も広がるということだ。採点方法が変わった直接のきっかけは不正疑惑だったが、結果としては旧採点システムでは曖昧だった芸術面での評価の基準が、“滑り”を重視する方向で定められたともいえる。

前述したシンクロナイズドスイミングでの泳力の場合と同様に、フィギュアスケートのスケーティングの質もテレビの画面では分かりにくいが、会場で見ると一目瞭然だ。試合が進み、後半グループのスケーターになるにつれ滑りが伸びやかになり、リンク全体を使った演技になる。滑りのスピードさえあれば、ある程度は見応えのある演技になるといってもいい。よく滑るということは、プログラムの見栄えという点でもとても大切な要素なのだ。

一方テレビで観戦している場合、スケーターの表情や所作などが細かいところまでよく分かる。スケーターは主にジャッジに向かって表現するので、リンクに近いところにいるジャッジはそれをダイレクトに受け止めているはずだ。フィギュアスケートをよく知るほど足元のスケーティングを見るようになるし、そこが一番重要なのだが、全身で演技している以上は上半身も大切なのは間違いない。特にエモーショナルな動きは上半身によるものが多い。深いエッジに乗って滑りながら表情や指先まで音楽と一体化した演技を堪能することこそ、フィギュアスケートの醍醐味ではないだろうか。

評価の妥当性は? 羽生、小塚の想う“表現力”とは

表現力の評価となると、どうしても持ち上がってくるのが点数の妥当性の問題だ。芸術性に点数をつけることはとても難しく、審判にも好みがあり主観がある。それでも一定の基準を設けるために前述した5つの要素を定めているのだが、誰もが100%納得する演技構成点をつけることは不可能に近いかもしれない。

ただだからといって、極端な例として好みも主観もない人工知能が採点したらいいのかといえば、それは違うだろう。2016年に現役を引退した小塚崇彦さんは、その約1年前に興味深い話をしていた。

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「“美しい”という気持ちって、人間が見て感じて思うこと。それによって点数が出る、というのは一番大事なところ。人から見られる競技だと思うので、ジャッジやファンとの気持ちの交流というのは、一番大事にしなきゃいけないところなんじゃないかなって、少しずつ感じ始めています。今まではジャンプを跳んだら下の点数も出る、というふうに思っていたんですけど、それだけじゃない。このジャッジングシステムは客観的っていわれていますけど、やっぱりジャッジも人間なので気持ちが入ってくるし、観客も『この演技がいい』と思ったらスタンディングオベーションして応援もしてくれる。それによってジャッジの人たちも心を動かされるし、そういうところが点数にも反映されてくる。それはフィギュアスケートのグレーな部分でもありますが、残していかなきゃいけない大事な競技性だと思うんですよね」

当時の小塚さんは、怪我に悩まされながらも“表現力”を発揮し始めていた。もともと抜群にスケーティングがうまいスケーターではあったが、競技生活の前半は演技を見ていて日本男児らしくシャイな部分が感じられることが多かった。しかし、それが少しずつ変わっていく。苦しいシーズンを送っていた2014年全日本選手権・フリーで、気持ちのこもった滑りを見せて力強くガッツポーズし、満場の喝采を浴びていた姿は忘れられない。エモーショナルであること、感情をジャッジや観客と分かち合うことの大切さを、そのあたりから小塚さんは身をもって感じるようになったように思われる。

昨季の羽生結弦は、観客と“コネクト”しようと試みていた。音楽を体で表現することには天性の才能がある羽生だが、意識を外に向けるのは得意ではないという意味のことを語っていたことがある。ストイックなほど上を目指していく羽生が、持ち前のスター性を発揮して観客をあおる昨季のショート「レッツゴー・クレイジー」は希有なプログラムだった。羽生は、練習中も観客へのアピールを意識して「レッツゴー・クレイジー」を滑っていたとも話している。“コネクト”はフィギュアスケートの表現の中で欠かせない要素だと感じていたからこそ、羽生は「レッツゴー・クレイジー」を滑ったのではないだろうか。“コネクト”を意識しながら滑ったNHK杯終了後、羽生はその結果として得た手応えを語っている。

羽生結弦が演じるプリンス『レッツゴー・クレイジー』の秘密はこちら(C)Getty Images

「本当にスケートをしていて楽しかったですし、試合でなかなか今まで会場全体に行き届いた表現・目線を意識しきれなかったのですが、そういう意味で自分の中での大きな財産になったと思います」

平昌オリンピックが始まった。名演技は、観衆がいないところでは決して生まれない。4年に一度の檜舞台を踏むスケーターを見守る観客も、彼らのプログラムを完成させる大切な要素なのだ。“表現力”は、伝えたいという意志が生む力であることを思いながら、スケーターたちを見守りたい。

<了>

羽生結弦が演じるプリンス『レッツゴー・クレイジー』の秘密。

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沢田聡子

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。金子正子元日本水泳連盟シンクロ委員長責任編集による『日本シンクロ栄光の軌跡 シンクロナイズドスイミング完全ガイド』の取材・文を担当。ホームページ「SATOKO’s arena」(http://www.satokoarena.sakura.ne.jp/)