「スポーツ」の語源は“遊び”だった

――「スポーツマンシップ」とは誰もが当たり前のように使う言葉ですが、そもそもどのように定義されるものなのでしょうか。

中村 私の師匠に広瀬一郎(スポーツコンサルタント、故人)という者がいるのですが、「スポーツマンシップ」に関する書籍の出版や普及のための取り組みを彼と一緒にやっていました。彼が亡くなる直前にあらためて「スポーツマンシップ」について話し合ったことがあります。そこで定義したのが、「スポーツマンシップとは、グッドゲーム(Good Game)をつくる心構え」というものでした。グッドゲームをつくるための条件は、「尊重」、「勇気」、そして「覚悟」の3つです。相手・仲間をはじめとするプレーヤー、ルール、審判を「尊重」(Respect)する心。自ら責任を持って決断し、実践する「勇気」(Braveness)。そして、勝利を目指し、自ら全力を尽くして楽しむ「覚悟」(Resolution)。
 この3つが、まさに“グッドな状態”ですべて整っていて、全員が全力でプレーしているのが「グッドゲーム」です。そのグッドゲームをつくり上げようという心構えが「スポーツマンシップ」であり、スポーツマンシップを理解している人のことを「スポーツマン」と呼びます。
「スポーツマンシップ」について考えるには、そもそも「スポーツとは何か?」から考えるほうがより本質に迫れるかもしれませんね。

――それはどういうことでしょうか?

中村 「スポーツ」という言葉はみんな当たり前のように使っていると思いますが、では「スポーツとは何かを説明しなさい」と言われたら意外と困るのではないでしょうか? われわれ日本スポーツマンシップ協会では「運動にゲームの要素が加わっているもの」をスポーツと定義しています。「ゲーム」とは「ルールに基づいて競う遊び」のこと。ポイントはこの“遊び”という部分で、第三者から「やりなさい」と言われてやっているものは、実はスポーツではない、という意味を含んでいます。
「スポーツ」の語源は「Deportare」、気晴らしや遊び、日々の日常から離れることを意味するラテン語だといわれています。つまり、スポーツはもともと、“遊び”なんですよ。本来は人生にあまり必要のないものです。だけど一方で、ちゃんとスポーツを突き詰めて考え、グッドゲームをつくる心構えを持ってスポーツに取り組んでいると、実は人生において大切なものが手に入る。だからこそスポーツは教育の中で使われてきたという背景があります。

――その中で、スポーツマンシップはいつ頃、どのような形で発生したものなのでしょうか。

中村 諸説あり、私自身も研究を進めなければいけませんが、「スポーツマン」が公に使われたのは1700年。全英ジョッキークラブを「Sportsmanクラブ」と称した時だと聞いていますし、中世ヨーロッパの騎士道精神に端を発するなどともいわれています。ただし、「スポーツマンシップが大切だ」といわれるようになったのはその後、近代になってからの話です。広瀬さんの研究によると、ヴィクトリア朝イングランドが19世紀後半の植民地政策時代に、パブリックスクールでフットボールを取り入れました。協調性や対戦相手へのリスペクト、自分で判断し行動する能力を養うという目的にフットボールがマッチしていたからです。
 この中で、「相手へのリスペクト」について説明したいと思います。スポーツは相手に勝つと楽しいものですが、一方でその相手がいないと楽しめないのです。それと同時に、相手のレベルやモチベーション、試合への臨み方によっても楽しさが左右される。つまり、自分だけでなく対戦相手もグッドゲームをつくろうとして初めて成立するというのが、スポーツの複雑なところでもあります。自分を負かそうとしてくる、ある意味では自分とは対極の存在であるはずの相手が、スポーツをする上で大切な仲間でもある。ここが非常に重要な要素になります。自分から一番遠い相手すらリスペクトしようというのは、つまり多様性を尊重し、理解しようと努力することにもつながります。そもそも他人を完璧に理解しようとすることはできません。それでも、それを前提にしながらも理解し合いましょう、というのがリスペクトの重要な要素です。

(C)Getty Images

スポーツマンシップは「綺麗事」であり「原理原則」でもある

――パブリックスクールでスポーツが取り入れられたのは、アスリートを養成するため、というわけではなかったのですね。

中村 自分から遠い存在をリスペクトするという概念を学ぶのに最適なツールとしてスポーツが活用されていたわけですが、その時代になぜそれをやらなければならなかったかというと、植民地におけるマネジメントが関わってきます。植民地で任務にあたっている人は、もし現地で何かトラブルが起こった時に、本国にいる上司の指示を仰ぐことはできないわけですよね。今と違って即時の伝達手段がないので、自分で考え、決断して、責任を取らなければならない。もちろん母国に対しての忠誠心を発揮しなければならないし、異なる環境で生活するための屈強な肉体と精神を備えていなければならない。それらを総合的に身につけるのに最適なソフトがスポーツで、そうしたエリート人材を養成するパブリックスクールにおいて採用されたという背景があったわけです。
 ちなみに、それを目にしたフランス人のピエール・ド・クーベルタンが、スポーツとギリシャの古代オリンピックを掛け合わせて1896年に近代オリンピックを誕生させています。オリンピックはそこに端を発していて、「若者の健全な心身の育成、成長」と相手へのリスペクトという理念を全員が共有し多様性を許容し合えば「国際平和」につながる、という考えの下で創設されました。だから、その理念に基づいて考えると、メダルを取ること、それ自体は過程に過ぎず、決してオリンピックの本質的な目的ではないといえるでしょう。
 いずれにしても、スポーツマンシップを深く考えていくと、スポーツに限った話ではなく、ビジネスの側面や人生において大切な心構えにかなり近いことが分かります。それはなぜかというと、もともとスポーツが植民地政策のマネジャー養成に使われていたからです。スーパーアスリートを育てていたわけではなく、ジェントルマン、ビジネスパーソンを育てていた。そう考えると、スポーツは社会における汎用性が高く、私たち一人ひとりの人生につながる要素なんだと考えています。

――相手もグッドゲームをつくろうとして初めて成り立つ、自分さえよければいいわけではない、というのは、確かに人生と同じ気がします。

中村 スポーツは人生の縮図というか、相似形だといえるでしょう。スポーツは「ルールに則りグッドゲームを目指して競い合う身体活動」と定義できます。一方で、ビジネスは「法律や商慣習に基づいてグッドソサエティをつくろうと競い合う経済的活動」。構造上は近いですよね。スポーツにおいてはもちろん全力で勝利を目指すことは大事なんですが、実はそれを超えたところにもっと大切なものがある。社会人も出世やお金儲けなどの上昇志向は大切ですが、全力で努力して自分を成長させて、社会に貢献するというのが根本にありますよね。

――勝利よりも大切なものがある、という部分でスポーツマンシップが求められるということですね。

中村 スポーツマンシップというのは綺麗事だと思います。「カッコよさを目指そう」ともいう、まさに綺麗事ではあるのは確かです。ですが、物事における“原理原則”なんだと思います。昔は、誰が一番美しく戦ったか、かっこよく戦ったか、スポーツマンらしく戦ったかで競っていた時代もあったそうです。スポーツは全員が勝利を目指さなければならないし、全員がルール、相手、審判を尊重しなければならない。勇気を持ってチャレンジし、全力で楽しむ覚悟を持たなければならない。この3点セットを全員が持って競い合うという“原理原則”が大切になります。
“原理原則”というのは、例えば「嘘をついてはいけない」という話と同じです。「嘘をついてはいけない」のはみんな知っていますが、嘘をついたことがない人なんてきっといないですよね。「嘘も方便」という言葉もあるように、ついたほうがいい嘘もある。でも子どもに教える時、いきなり「ついたほうがいい嘘もある」とは教えないですよね。「嘘つきは泥棒の始まり」とか、「嘘をついてはいけない」と教える。子どもに対して最初に教えるもの、それが“原理原則”だと考えています。
 スポーツはカッコよく戦わなければならない。もちろん全力で勝利を目指すけど、それでも勝敗よりも大切なものがあると教えていかなければならない。この部分がスポーツマンシップであり、それがまさに原理原則なのかなと思っています。

世の中が抱えている社会問題の解決に、スポーツマンシップは有用になる

――「“スポーツ”マンシップ」とはいうものの、スポーツの場面だけに適応されるものではなく、人間として守るべきもの、という気がしますね。

中村 広瀬さんが1969年の『ポケットオックスフォード英英辞典』を持っていて、「スポーツマン」を調べたことがあるのですが、そこには「グッドフェロー」とだけ書いてあったんですよ。「よき仲間」とか「いい人間」「いいやつ」という意味です。一方で日本語の「スポーツマン」を国語辞典で引くと「運動能力の高い人、運動をよくする人、運動が好きな人」と書いてありました。全然違いますよね。「スポーツマン」=「グッドフェロー」の方が、本来あるべき意味ではないでしょうか。「よき仲間」「いいやつ」であり、運動能力なんて関係ない。例えば、オーケストラの世界では周囲の人としっかり音を合わせていいアンサンブルができる人のことを「スポーツマン」と呼ぶこともあると聞きました。仲間を思いやれるか、大切にできるか、先生の言うことを聞けるか、先生に対して勇気を持って間違いを指摘できるか。それらを含めて「スポーツマン」=「グッドフェロー」だと考えています。

――社会で生きている全員がスポーツマンシップを発揮すれば、社会がより良い方向に変わりそうですね。

中村 今、世の中が抱えているさまざまな社会問題を解決するのに、スポーツマンシップは非常に有用なのではないかと私は思っています。そして、スポーツの世界がそれをもっと声を大にして発信していくべきですが、残念ながらスポーツの世界でもそれがしっかりと理解されていないからこそ、さまざまな問題が出てきてしまっていると感じます。本来であれば、スポーツマンを育てることでこんな社会問題の解決に役立ちますとか、スポーツマンシップをしっかり身につけたからこそ総理大臣になれました、社長として成功しましたという人が、もっともっと出てこなければならないと思います。現状ではそういう人が出てきても「スポーツをやっていたのにすごいね」という話になってしまう。本末転倒だと私は思います。そこに対して、スポーツ界がスポ-ツマンシップやスポーツの存在意義、本質をしっかり理解した上で、どうやって人を育てていき、社会のさまざまな課題解決に貢献していくべきか、もっともっと考えていくべきだと思っています。

――社会においてスポーツマンシップを発揮するには、どうすればいいのでしょうか。

中村 尊重、勇気、覚悟というスポーツマンシップを支える3つの要素がある上に、「謝る力」と「レジリエンス(立ち直る力)」、この2つを加えると、本当の意味でのスポーツマン=優秀なビジネスマン、カッコいい人になれると思います。人間は失敗する生き物です。もちろん失敗しないように尊重、勇気、覚悟を持って全力で物事に挑んでいくことはとても大事なことですが、そうは言ってもうまくいかずに失敗したり、過ちを犯したりしてしまうこともあります。そうした時に、素直に謝ることと、そこからどう立ち直るか。ベースとなる3つの要素(尊重、勇気、覚悟)と、もう2つの要素(謝る力、レジリエンス)があると、安心して失敗できるようになります。失敗することが人にとって成長につながると思いますので、失敗を恐れずにチャレンジすることが大切。失敗した時には、そこで謝る力とレジリエンスを発揮し、またチャレンジすればいい。そうすれば、いい社会人になれるはずです。失敗が悪いわけではなく、そことどう向き合い、立ち直っていくか。そのプロセスが大事だと思います。

<後編へ続く>

後編はこちら(C)VictorySportsNews編集部

[PROFILE]
中村聡宏(なかむら・あきひろ)
1973年生まれ、東京都出身。1996年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。2004年、スポーツ総合研究所株式会社取締役に就任。2015年より、千葉商科大学サービス創造学部専任講師に。2018年6月、一般社団法人 日本スポーツマンシップ協会を設立、会長 代表理事を務める。著書に『世界中のどんな言葉よりも、あなたの一歩が勇気をくれた』。

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池田敏明

大学院でインカ帝国史を専攻していたが、”師匠” の敷いたレールに果てしない魅力を感じ転身。専門誌で編集を務めた後にフリーランスとなり、ライター、エディター、スベイ ン語の通訳&翻訳家、カメラマンと幅広くこなす。