本質を見誤らせる「宮川選手・速見コーチ組対塚原夫妻」という図式

女子体操の問題は、宮川紗江選手に対する速見佑斗コーチの暴力問題告発が発端だった。ところが、当の宮川選手が速見コーチのパワハラを否定し、暴力問題は自分と速見コーチを引き離すために意図的に告発されたものだと、逆に塚原千恵子強化本部長と塚原光男副会長によるパワハラを記者会見で告発し、騒ぎが大きくなった。
いまは日本体操協会が設置した第三者委員会で塚原夫妻によるパワハラ問題の調査と判断が始まり、そこに委ねられている。
一方で、当初は文書でしか発信しなかった塚原夫妻が積極的に各テレビ局の単独インタビューに応じ、自らの潔癖を主張し、宮川選手の言い分を否定した。同じ時期、三年前のものだが、速見コーチが宮川選手を激しく殴打する動画がテレビ番組で放映され、宮川選手に集まっていた同情がやや塚原夫婦側に傾いた、そんな様相になっている。

宮川選手・速見コーチ組対塚原夫妻の戦い、「一体、どちらが正しいのか?」
私はその図式そのものが危険で、こうした二元論に持ち込まれたこと自体に何らかの思惑や作為が働いているのではないかと感じている。

一連のスポーツのトラブルを取材する過程で、テレビ中心のジャーナリズムが必ずしも事件の核心を伝えない現実を、自分もテレビ番組の中に巻き込まれる立場で強く感じている。たとえ問題の本質が他にあるとわかっても、テレビ的に関心を呼ばないものが疎かにされる傾向は少なからずある。メディアと大衆の共同作業とでもいうのか、世論は両者が心地よい着地点に向かって感じがある。脚本のないドラマのスリルとでもいうのか、どんでん返しが続くサスペンスの趣が視聴者の関心を引き寄せている。

「二重契約」と断罪された大阪体育大学との契約の謎

暴力問題について、速見コーチは過ちを認めている。日本体操協会による「無期限資格停止処分」も全面的に受け入れた。
他方、塚原夫妻のパワハラ問題は、追求の仕方が曖昧だ。告発したのは宮川選手だから、宮川選手に対するパワハラの有無だけを問うのか、他の選手や指導者に対するパワハラや権力を後ろ盾にした支配的な言動や行為があったのかも含め調査するのか。塚原光男氏は日本体操協会副会長であり、塚原千恵子さんは女子強化本部長であると同時に最も有力な民間体操クラブの監督を兼任している。その立場を考慮すれば、調査は宮川選手に対するパワハラにとどまらず、塚原夫妻の現場における行動、言動、全般において調査が行われるべきだろう。もし宮川選手対塚原夫婦の構図に限定すると、調査の対象があまりに狭く、「言った・言わない」という次元の議論になり、本質が浮き彫りにならない心配がある。

塚原夫妻が各テレビ局のインタビューを受ける過程で、宮川選手が大阪体育大と契約していた事実が明らかになった。塚原夫妻はそれを「二重契約の疑いがあり、断じて許されない」と非難した。私はなぜ、埼玉に住み、練習の本拠も埼玉に置く宮川選手が大阪体育大と契約を交わしたのか? その理由が気になった。調べると、一連の報道過程でほとんど報じられていない、この問題の核心ともつながる事実がそこにあった。

なぜ大阪体育大だったのか? 探ると、ひとりの重要な人物の存在が浮かび上がってきた。

誰も指摘しない騒動の「鍵を握る」人物の存在

契約を交わした昨秋の段階で、大阪体育大体操競技部・特別指導コーチの役職にあった小林隆さんだ。宮川選手と速見コーチは、小林隆コーチを信頼し、指導が受けたくて、年に何度か大阪体育大を訪ね、練習したり、合宿するなどの機会を重ねていた。往復交通費、滞在費用も必要だから、大阪体育大の学生ではないが、同大学のダッシュ・プロジェクトという、若い選手をサポートするプログラムの一員に迎えられたのだという。

この小林隆さんは、ふたりが信奉する在野のコーチ、というだけではなかった。
2012年のロンドン五輪が終わった後、日本体操協会は「改革(イノベーション)」を掲げ、人事の一新を図った。いま国際体操連盟会長を務めている渡邊守成さんが専務理事のときだ。その一環として、塚原千恵子女子強化本部長に代わって、その役に就いたのが小林隆さんだった。小林隆さんは大学を卒業後、カナダやアメリカの大学、クラブチーム、ナショナルチームなどで計11年間、勉強と指導を重ねた。帰国後、朝日生命体操クラブのコーチとして、高校生だった内村航平の指導に携わり、影響を与えたコーチとして体操界では知られる存在でもある。

「塚原千恵子さんは、自分の後任が朝日生命のコーチだったから、強化本部長を譲っても自分の意向が通るものと考えていたのではないでしょうか」
そのころ日本代表に関わっていた指導者のひとりがそう教えてくれた。ところが、海外で勉強を重ね、従来の日本体操界のやり方に大いに疑問とストレスを感じてジリジリしていた小林隆さんは、積極的に新しい方式を持ち込んだ。それは、次の四年間に向けた長期計画を立て、そのビジョンに従って一年一年、ミッションを実現し、積み重ねていくやり方だった。それをナショナルチームに関わる全選手、全コーチで共有した。さらに、バイオメカニクスなどの科学的発想を採り入れ、新しい技の開発をするときは欧米で主流になっている〈分解および段階練習法〉で指導するなど、新風を吹き込んだ。結果、通常は一年かそれ以上かかると言われていた大技をわずか二ヵ月半でマスターする高校生が現れるなど、画期的な変化をもたらした。

「小林先生のやり方は、それまでとかなり違っていたため、就任当初は反発もたしかにありました。ところが、次第に理解と信頼が高まり、すぐにナショナルチームの選手やコーチは小林先生を認めるようになりました」

コーチのひとりの証言だ。そのコーチはこう続けた。

「あのときのナショナルチームは、小林先生を中心にリオを目指せばメダルも獲れるぞ、と盛り上がっていました。すごくまとまっていた。ところが、2年経ったところで小林先生は、『所属チームの指導者たちとのコミュニケーションが不足している』という理由で辞任させられたのです」

そのコーチによれば、8割方のコーチとはむしろすごくいい信頼関係、協調関係を築いていた。ごく一部、古いタイプの指導者との間にはぎくしゃくした関係があった。それは、小林隆さんの新しいやり方と、それで成果が出始めたことを「面白く思わない旧勢力のやっかみだったと思う」という。

リオ五輪4位は「成果」でも強化本部長の「功績」でもなかった?

日本女子体操界が世界レベルに近づき、入賞、そしてメダルが狙える期待が高まったのは、「小林体制が機能し始めてからだ」という。もちろん、小林隆強化本部長だけでなく、各選手をジュニアのころから育てた若い世代の努力が実を結んでいた。その代表的存在が、池谷体操教室で育った村上茉愛選手であり、小林体制になってメキメキ成長した宮川紗江選手たちだった。各チームの指導者と小林隆強化本部長、両者が連動し、相乗効果を挙げ始めていたのだ。
ところが、小林体制は崩され、強化本部長にまた塚原千恵子さんが戻った。塚原千恵子強化本部長は五輪後、「4位でもすごい」という世間の空気も読んだのか、「メダルには届かなかったが、4位になるのは大変だった」という姿勢で発言している。だが、取材に応じてくれたリオ五輪代表選手のコーチは、苦々しい顔で言った。

「“たられば”は言えませんが、私たちはメダルを狙っていました。小林さんを中心とする態勢でリオ五輪に臨んだらきっとメダルが獲れるとみんな信じていたし、本当に一丸となっていました」

こうした女子体操界全体の流れをまったく論じることなく、「正しいのは宮川・速見組か、塚原夫妻側か」という二者択一の論理でこの問題に終止符を打とうとするのは、まったく的外れだろう。

テレビのインタビューで塚原夫妻は、今回の騒動の背景に、体操界の権力闘争があると自ら発言し、日体大派閥の勢力が第三者委員会を立ち上げて自分たちを遡上に載せ、職務の一時停止を決めたとでもいうような指摘をした。

私の取材では、確かに塚原夫妻と日体大の間に溝があることは確認したが、今回の核心はそこではなく、むしろすでに書いたとおり、新しい世代の指導者たちと、長くその座に居続ける塚原夫妻ら旧態依然とした指導者たちの主導権争いではないだろうか。

塚原夫妻が現職にとどまることで、現場がどれだけ落胆し、呆然としたか。そのことを理解し、前提にしないと、この問題に幸せな未来は訪れない。

体操日本代表躍進の立役者だったキーパーソンはどこへ?

ところで、それほどのキーパーソンならなぜ今回、小林隆さんは登場しないのか?

そこには、あまりにも悲しい現実があった。
小林隆さんは、奇しくもこの問題が表面化した7月初旬、かねて療養中だった病により、帰らぬ人となった。まだ52歳の若さだった。

宮川選手が記者会見で見せた硬い表情に、速見コーチに半ば洗脳を受け、異常な支配関係にあるのではないかと心配する声も聞こえた。そんな世間の空気に呼応するように塚原夫妻は、「速見コーチの指導だけでは絶対メダルは獲れない」と一刀両断した。自分たちの薦める世界的なコーチ、ロシア人コーチやアメリカ人コーチの指導を受けるべきなのに、といった論陣を張った。見ている視聴者はいっそう、宮川選手が速見コーチだけを見て、二人で殻に閉じこもっている印象を持ったのではないか。

しかし事実は世間の印象とは異なる。ふたりには小林隆さんという共通の信頼する指導者がいた。そして、ダンス要素の向上は当然の課題と理解し、宮川選手に合うコレオグラファー(振り付け師)や女子体操ならではの技術を高めてくれる女性コーチを世界的な視野で探し続けていた。すでに、オーストラリアのコーチに指導を仰いでいる。

宮川選手と速見コーチがなぜ譲れない気持ちを頑なに持っているのか。その大きな理由のひとつが、小林隆さんへの思いだ。志半ばで強化本部長を追われ、リオ五輪を共に戦うことができなかった、そしてメダルを逃した。さらに、その小林隆さんが病に倒れ、天国に旅立った。小林隆さんのためにも、自分たちが夢を達成したい。単にメダルを獲るというだけでなく、小林隆さんが教えてくれた新しい発想に基づいてトレーニングと練習を重ね、その成果を五輪の舞台で開花させたいというという強い意志がそこには秘められていた。

宮川紗江へのパワハラ騒動は、日本で「失われるスポーツマンシップ」の象徴

体操女子リオデジャネイロオリンピック代表選手へのコーチからの暴力行為として報じられた問題は、当事者である宮川紗江選手の会見によって大きく動き出しました。当初の報道とは別の“協会によるパワハラ”問題が浮上し、双方の言い分が食い違っています。またしても選手が矢面に立つ悲劇を引き起こしてしまった日本体操協会をめぐる騒動を考えます。

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至学館・谷岡学長は手のひら返しなのか? 知られざる解任の経緯を直接訊いた

レスリング日本代表にして金メダリスト、伊調馨選手に対するパワハラ告発に端を発した問題は、14日に開幕した全日本選抜選手権大会を境に大きく動き出しました。大会初日、現場復帰を果たし、謝罪会見を行った栄和人氏でしたが、大会終了後の17日、至学館大学の谷岡郁子学長が解任を発表。監督復帰からわずか3日での解任となりました。これまで栄氏をかばうような発言をしていた谷岡学長の決断の是非、解任理由をめぐる報道が激化しています。この問題で連日テレビ出演をしているのが、作家・スポーツライターの小林信也氏。レスリングパワハラ問題追求の急先鋒だった小林氏が、谷岡学長と会うに至った経緯とは? ファーストコンタクトからそこで交わされた会話が明かされます。(取材・文=小林信也)

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伊調馨「パワハラ」問題、両者を公平に扱ってはならない理由。

オリンピック4連覇、国民栄誉賞を受賞している女子レスリングの伊調馨選手をめぐるパワーハラスメント告発問題が世間を騒がせています。日本レスリング協会の栄和人強化本部長のパワハラを糾弾する告発状に端を発するこの問題は、競技団体を統轄する協会の対応も注目を集め、第二の“相撲協会問題”の様相を呈しています。この問題に対し、作家・スポーツライターの小林信也氏は、「スポーツ界の体質自体に問題がある。世間の求める“公平性”では解決しない」と警鐘を鳴らします。(文=小林信也)

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内田前監督が自らを『無能』としてまで守りたかったものとは?  透けて見える日本スポーツ界の危うさ

日大アメフト選手による『危険なタックル問題』は、内田前監督、井上前コーチが事実上の永久追放となる除名処分が確定したものの、真相究明、本当の意味での問題解決にはほど遠い状態です。作家・スポーツライターの小林信也氏は、「解決に至るためには、なぜあの出来事が起こったのか? その背景も含めた、問題の核心を共有する必要がある」と指摘します。新たな情報、事実が漏れ聞こえるようになったいまも、一向に収束する気配のないこの問題を論じます。(文=小林信也)

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小林信也

著者プロフィール 小林信也

1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。