プロ12年間で残した圧巻の成績

「今まで取材した中で、一番カッコ良かった人って誰?」

この仕事をしていると、まれにこういう質問をされることがある。

手前みそで恐縮だが、筆者はライター・編集者として年間4~50人ほどにインタビューを行っている。半数以上はプロ野球関係者だが、それ以外にも他競技のアスリートや俳優、女優、タレント、お笑い芸人など……、自分でいうのもおこがましいが、ジャンルは多岐にわたる。

そんな生活を10年ほど続けているので、これまで取材した相手はのべ4~500人にはなるはずだ。

ただ、この質問を受けたとき、筆者は迷いなくこう答えている。

「中日ドラゴンズの、浅尾拓也です」

9月29日、ナゴヤドームで行われた中日対阪神の23回戦。クライマックスシリーズ進出の可能性を残した両チームの対決は、阪神が4対0とリードしたまま、9回表の攻撃を迎えた。

中日は8回まで阪神の藤浪晋太郎に無得点に抑え込まれ、敗色濃厚。

にもかかわらず、球場を埋めた3万6268人の大観衆は、この日一番の歓声に包まれた。

中日のセットアッパーとして一時代を築き、落合博満政権下の黄金時代を支えた浅尾がこの日、現役ラスト登板を迎えたのだ。

マウンド上には投手コーチ時代から指導した森繁和監督が控える。一塁側ベンチからマウンドに小走りで向かう浅尾の目は、この時点で真っ赤だった。

涙をこらえるような表情のままマウンドに上がった浅尾。最後はこれまで幾多の打者を斬って取った伝家の宝刀・フォークボールで阪神の中谷将大から三振を奪うと、帽子を取って深々とお辞儀する。

ベンチの中日ナインは総立ちでラスト登板を見守り、テレビ中継の画面はスタンドで涙する女性ファンの顔を映し出す。

スタンドからはチームが負けているとは思えないほど、大きな浅尾コールが巻き起こる。

日本福祉大から2006年大学生・社会人ドラフト3巡目で中日に入団して今季で12年目。10月22日で34歳を迎える右腕の引退を、「早すぎる」と惜しむ声は多い。

しかし、プロ生活12年で残した数字は圧巻の一言だ。416試合、38勝21敗200ホールド23セーブ、防御率2.42。特に球団史上初のリーグ連覇を果たした2010~11年の投球は鮮烈だった。2010年は72試合に登板し、今も破られていないシーズン47ホールドのプロ野球記録を樹立。翌11年も79試合に登板し45ホールド、防御率0.41という考えられない数字をたたき出した。同年、中継ぎ投手としては史上初となるシーズンMVPとゴールデングラブ賞を獲得。

また、プロ野球界屈指の“イケメン”としても知られ、「浅尾きゅん」の愛称で多くの女性ファンも獲得した。

そんな浅尾を筆者が取材したのはMVPを獲得した翌年、2012年の春季キャンプだった。

取材時に発したささいな、しかし真摯な一言とは

当時の浅尾は人気、実力ともプロ野球一を争うようなスター選手。

開幕を控え、新シーズンへの抱負や投球論について話を聞こうと思っていたのだが、取材予定時間になっても浅尾はなかなか現れない。そこに、球団広報が「トレーニングが長引いているから少しだけ待ってほしい」と取材開始時刻の変更を伝えに現れた。同時に「実は取材後、サイン会を予定しているのでできるだけ早めに切り上げてほしい」とも……。

正直、嫌な予感しかしなかった。

取材時間が押すことは決して珍しくない。ただ、当然ながらトレーニング後の疲弊した状態での取材は、テンションが低かったり、上がるのに時間がかかるケースが多々ある。加えて「早めに切り上げて」という球団からの要望……。

不安な気持ちを抱えたまま、取材開始を待つしかなかったのだが、その思いは結果として杞憂に終わることになる。

予定時刻から30分以上が過ぎたころ、浅尾は開口一番「お待たせしてすいません!」と、182センチの長身を小さくかがめながら取材部屋に入ってきた。

「ずいぶん、腰の低い人だな」

それが、浅尾の第一印象だった。なにせ、前年MVPを獲得したプロ野球界のスーパースターだ。マウンドで見せる雄姿と、目の前にいる謙虚な青年の姿にギャップを感じ、やや戸惑ったのを今でも覚えている。

取材がはじまっても、練習の疲れなどは一切感じさせず、時に笑顔で、時に真摯に筆者の質問に答えてくれる。

前年の活躍ぶり、自身が一番自信のある球種や投手としての長所や課題、理想の投球など、野球の話が中心だったが、この取材で一番心に残っているのは、インタビューが家族の話に及んだ時だ。

キッカケは憶えていないが、浅尾自らが家族について少しだけ話をしてくれた。ただ、印象深いのはその内容ではない。

家族の話をし始めた浅尾は、すぐに「あっ」と気付いたような表情を見せ、「僕、結婚しているんですけど……」と自身が既婚者であることをわざわざ伝えてくれたのだ。

何気ない一言だったのだが、筆者にとってはこれが衝撃だった。

もちろん、浅尾がすでに結婚していることは知っていた。取材をする上で選手の成績などはもちろん、パーソナルな部分まである程度下調べしておくのはライターとして当然のことだし、逆にそれをしないのは失礼にあたる。

取材というのは、そういうものだ。

もちろん、取材を「受ける側」も、ある程度自分のことは知っていると想定した上で質問に答えてくれる。

おそらく、浅尾のこの発言は無意識のものだろう。そのくらい、ささいな一言だった。

ただ、この一言だけで彼がいかに取材に対して真摯に、真正面から向き合ってくれていたのかが十分伝わってきたのだ。

「自分のことを、しっかりと相手に伝えたい」

そんな気持ちがなければ、この言葉は出てこない。

この姿勢は、何も目の前に座る筆者だけに向けられたものではない。筆者が書く原稿、それが掲載される媒体、そしてその先にいる読者、ファンに向けられたものでもあるのだ。

ファンに、メディアに、全ての人に真正面に向き合ってきた

気付けば取材は盛り上がり、「早めに切り上げてほしい」と言われていたこともあって球団関係者からの鋭い視線が徐々に気になるようになってきた。

さすがに空気を読んできりの良いところで取材を終わらせたのだが、最後の最後、浅尾の言葉にまた心をわしづかみにされた。

「この後サイン会があると伺いました。お時間かかってしまって申し訳ないです」

こう伝えると、浅尾はあのキラキラした瞳をこちらに向けた。

「いえ、全然気にしないでください。もともと僕が遅れてしまったので。ファンの皆さんには、僕から謝っておきます! ありがとうございました!」

こう言って笑顔で一礼すると、取材部屋から颯爽と立ち去って行った。

撤収作業を終えて球場の外に出ると、すでに浅尾は長蛇の列の先頭でファンにサインを書いていた。取材時と同じか、それ以上の笑顔を見せながら――。

「ちょっと、カッコ良すぎるだろう……」

この日を境に、筆者はプロ野球選手・浅尾拓也のファンになった。

それだけにひとつ、悔やんでいることがある。この取材から6年間、実は一度も彼に取材ができていないのだ。

2012年以降は怪我や不調に悩まされ、全盛期のような活躍もできなかった。

いつか、完全復活したら――。

そんなことを考えているうちに、浅尾拓也は33歳でユニフォームを脱ぐ決意を下した。

現役中の取材はかなわなかった。ただ、チャンスはまだある。彼ほどの実績と人柄があれば、おそらく何らかの形でチームに残るだろう。

近いうちに、選手ではない新たな肩書きを背負うであろう彼に、話を聞きに行きたい。

そして、12年間の現役生活と第二の人生について、さらには6年前に筆者が感じたことを、直接本人に伝えたいと思う。

<了>

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花田雪

1983年生まれ。神奈川県出身。編集プロダクション勤務を経て、2015年に独立。ライター、編集者として年間50人以上のアスリート・著名人にインタビューを行うなど、野球を中心に大相撲、サッカー、バスケットボール、ラグビーなど、さまざまなジャンルのスポーツ媒体で編集・執筆を手がける。