ドラフト直前、ツテをたどってカープに潜り込む

プロ入り当初はさんざんな評価だった。いや、正確には「プロ入り前から」といったほうが正確か。

“新井さん”のことである。

広島東洋カープ・新井貴浩は、地元の強豪・広島工から東都の雄・駒澤大学へ進学…、といえば、ナンダカンダでエリートじゃん、という声も聞こえそうだが、当時の同校野球部監督だった太田誠氏によると、長打力を買って4番を任せたものの「試合ではあまり活躍しなかった」と言うように、大学通算本塁打はわずかに2本。新井より2学年後輩の武田久(前・日本ハム、現・日本通運投手兼コーチ)は“先輩”を見て、「“この人がレギュラー!?”と思うような人だった」と辛辣だ。広島の現スカウト統括部長の苑田聡彦も「(黒田博樹は)後光が差しとりました」。一方の新井は「正直、プロじゃ…というレベル」だった。

そんな新井だから、どの球団の獲得リストにも名前は、ない。もちろん広島もだ。進む道は社会人。それは決まったことだったのだが、ドラフトの10日前になって新井は突然、「契約金はいらないからプロに行きたい」と太田監督に訴え始めたという。

「『無理だぞ』と言ったがあまりにも本人が純粋で真剣だから…」、太田監督はやむなく駒大のOBで当時、広島の1番打者として活躍していた野村謙二郎に紹介。新井は野村の自宅を訪れてスイングを見てもらうという、なんとも泥臭くて昭和チックな“就活”を敢行したのだ。太田監督はさらに、もう一人の大物OBである大下剛史ヘッドコーチ(当時)にもすがり、なんとかかんとか松田元オーナーへの推挙をとりつけた。この駒大ルートに加え、もう一つの大きな運が新井にはあった。同年のドラフトで広島が逆指名での獲得を狙っていた地元出身の二岡智宏(近大)が巨人への入団を決めたことで内野手枠が1つ、空いたのだ。

「よくこんなんがプロ入ってこれたなぁ…」

こうして、少年時代から憧れていたチームに“もぐりこんだ”新井だったが、アマチュア時代でも芳しくなかった評価だから、プロではなおのこと。当時の監督だった達川光男(現・ソフトバンクヘッドコーチ)が「絶対3年でクビになる」と早々にクビ予想をしたのをはじめ、捕手の西山秀二(現・野球解説者)も、その力量に、逆に驚いたという。

「よくこんなんがプロ入ってこれたなぁって。バットに当たらん。金本(知憲、現・阪神監督)ともよく“やっぱコネって大事やな”なんて言ってましたよ(笑)」

守備をやらせればバントの打球をトンネル、頼みのはずの打撃でも打撃投手の投球をまともに捕らえられず、バットに当たったとしても、ボールがケージを出ないのだ。

それでも「この子だったら鍛えてあげたい。そう思わせるものがあった」とは大下コーチ。駒大ルートで半ば無理やり入団させるのに“一役買った”という負い目もあったのだろうが、とにかく必死な新井の姿勢が鬼軍曹の心を動かしたのだ。だからこその猛練習を、新井に課した。泥だらけになるまでノックを受けるのは、ごくごく日常。バットは何度もマメが潰れても、とにかく振って、振って、振り続けた。当時から広島の練習量は12球団一。そのなかで生き抜き、ミスター赤ヘルとして黄金時代を築き上げた山本浩二をして「想像を絶していた」と振り返るモーレツなしごきを受けながら、「(それでも新井は)涙を流しても心が折れることがなかった。ガッツがあった」(山本)。加えて、「なんぼ練習させても身体の強さがあった」(西山)というように、“かわいがり”に耐えて、応える体と心の強さがその後の新井をつくり上げていったのだ。

育ててもらい、大好きだったはずなのに!?

ただ…、というか、それだけに2007年オフにFA宣言をした新井への風当たりは強かった。

「辛いです。カープが大好きだから」という言葉も、「優勝したい」という言葉と重ねると、広島ファンにとっては“カープにいたら優勝できないから、出る”ということになる。広島が好きで、自ら売り込みをかけ、育ててもらったはずの選手が、だ。加えて言うなら、優勝するためにチームを牽引する立場であるはずの4番打者が、よくもそんな台詞を言えたもんだ…、が、ファンの素直な心境だった。そして、その思いが、タテジマのユニフォームに身を包んで初めて広島市民球場に“凱旋”した新井に浴びせられた大ブーイングとなって表れたのだ。

「お前のプレーと人間性はカープにとってプラスになる」

その後、阪神に移籍した新井は2011年に打点王のタイトルを獲得する一方で、凡打を重ねようものなら阪神ファンならではの厳しいバッシングにもさらされ、優勝争いはするものの、悲願の優勝にも届かないシーズンを重ねていった。やがてチーム内での立場も安泰ではなくなり、外国人とのポジション争いにおいても後塵を拝するかたちとなった2014年オフ、阪神の南信男球団代表(当時)から新井は思いがけない一言をかけられた。

「カープが気にかけているみたいだよ」

その言葉で阪神の承諾を得て広島の鈴木清明球団本部長に電話したところ、新井は“まさか”の復帰話を持ちかけられたのだ。驚いたのはほかでもない、新井だ。

「本当にありがたいです。でも、僕が戻っていいんでしょうか…」

移籍直後の、広島市民球場での大ブーイングが頭から離れなかったのだ。思いもよらない話に、戸惑いと迷いの消えないなか、当時ヤンキースをFAになっていた黒田から一本の電話が入った。

「お前のプレースタイルと人間性はカープにとってプラスになる」

それでもなおも迷う新井に鈴木球団本部長は、遂にブチキレた。

「前は言うこと聞かんかったんじゃけぇ、ワシの言うことを聞け!」

こうして広島への復帰を決意した新井が、まず最初にした“大仕事”が黒田への報告だ。

「次は黒田さんの番です。一緒にやりましょう」

しかし、ファンから大歓迎を受けた黒田に対して、新井の復帰には地元ファンの反応は真っ二つに分かれた。“お帰りなさい派”と“どのツラ下げて帰ってきたんや派”である。新井自身も、ファンの反応が「正直、怖かった」という。それでも、復帰直後から「1軍で戦力になれなかったら引退する」と公言し、キャンプでも先頭に立って泥まみれになる、いつまでたっても必死な新井渾身の姿は、後者のファンすら間もなく変心させた。

迎えた2015年3月27日、地元広島、マツダスタジアムでの開幕戦。7回、2死一・二塁。「代打、新井」がコールされる。ヤジも罵声もブーイングも覚悟で臨んだものの「両足が震えた」という新井を迎えたのは温かい拍手と大歓声だった。

「生涯忘れることはない。これだけの声援をくれ、応援してもらえる。これだけの感動をもらったのだから、今度はファンの人たちに恩返しをしなければ。優勝して、ファンに喜んでもらいたい」

「新井さんがいなかったら、今のチームはない」

公約通り、優勝するために、新井は“常日頃”と試合、そしてプレーで若いチームを引っ張った。「新井さんから感じることは多い。みんなの最高のお手本です」とは25年ぶりの優勝を勝ち取った直後の小窪哲也選手会長(当時)の言葉だ。同郷の大先輩でもある張本勲氏も「新井の姿には私利私欲がない。普通バッターっていうのは9割方自分のこと考えるけど、彼は逆。必死。この二人(※もう一人は黒田)の姿が、チームの団結力を生んでいる」と絶賛した。

一方で新井らしく、ヒーローインタビューでは若手と一緒にお立ち台でバケツシャワーを浴びては大喜びし、一回り以上年下の後輩から「タカくん」と呼ばれては笑顔を見せる。2000本安打を目前にしては、「まさか、あのアライさんが…。」Tシャツで大記録を“あおられ”るなど、ベテランになってもいじられることを屁とも思わないどころか、進んでいじられ役も買って出る。

チームをまとめるということに対して新井の考えがよくわかる、こんな話がある。今の広島は完全に打高投低で、大量得点差がありながら、ひっくり返された試合も少なくない。そんな夏場のある日、報道陣から投手陣の乱調をどうカバーするのかを尋ねられた新井の表情は、一変したという。

「ピッチャーもバッターもない。チームメートなんだから。うまくいかない時もあるけど、ピッチャーも抑えたいと思ってマウンドに上がっている。そんなことを言っていたらすぐに(チームが)バラバラになってしまう」

打撃陣に対しても、新井は大きな役割を果たしている。昨年まで広島で打撃コーチを務めた石井琢朗(現・ヤクルト打撃コーチ)は言う。

「(当時、)僕らが何をしなくても、新井が選手間でいろいろと話をしてくれる。ロッカーであったり、食事であったり。それはやっぱり大きいよ。兄貴分として裏で若手をまとめてくれていた。2016、17年は黒田と新井がいての優勝だった」

師の一人である山本一義氏も、広島が25年ぶりの優勝を決めた2016年当時、こんな言葉を残している。

「感謝の思いが今の新井を支えている。感謝を感じているから、一打席一打席に命がけ」

これが、黒田博樹と新井貴浩が、広島に持ち込んだイズムだ。

「自分を犠牲にしてでも1点を取りにいく姿勢を見せてもらった。いつか、ああいう選手になりたい」とは鈴木誠也が言えば、「新井さんがいなかったら、今のチームはない」と松山竜平は断言する。やんちゃでいじり役の菊池涼介も「(引退は)うすうす感じていた部分があったけど、信じたくない」と駄々をこねる。
それほど、カープにとって「大きな存在だった」(田中広輔)のだ。

その新井さんが、もうすぐ赤いユニフォームを、脱ぐ。

<了>

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小林雄二

1968年生まれ。広島県出身。広告代理店、プレジャーボート専門誌の雑誌社勤務後、フリーの編集・ライターとして活動。野球、マリンスポーツ、相撲をはじめ、受験情報誌や鉄道誌など幅広い分野で編集・執筆活動を行なっている。