過去3大会の国際大会。男子100メートル日本代表を振り返る。
16年リオデジャネイロ・オリンピックがケンブリッジ飛鳥、山縣亮太、桐生祥秀。17年ロンドン世界陸上がサニブラウン・ハキーム、多田修平、ケンブリッジ飛鳥。18年ジャカルタ・アジア大会が山縣亮太、ケンブリッジ飛鳥。
そう、日本選手権決勝の上位から順に選出されているのだ。事実上、一発勝負に近い緊迫が漂うレースは、NHKでもゴールデンタイムで生中継され、高視聴率を出す。
しかし、今年の日本選手権はどうも〝ぬるい〟空気となりそうだという。陸上関係者は口をそろえる。
「これでは日本選手権が形骸化しますよ」「日本選手権の格が下がりましたね」
何があったのか。その言葉の裏にあるのは、今年9月のドーハ世界陸上の代表選考要項だ。従来の日本選手権の順位が重要視された内容とは一線を画す。
12月17日に日本陸上競技連盟が発表した資料によると、18年9月7日から19年9月15日までの間に参加標準記録(10秒10)を破った日本選手権優勝者。この選手がまず1枠目の代表に決まる。ここまでは従来通り。
問題は残る2枠だ。選考条件の最優先項目には、このように記されている。
「参加標準記録を満たし、2019年9月16日時点IAAFワールドランキングにおいて日本人上位の競技者」
ポイントとなるのは「IAAF(国際陸上競技連盟)ワールドランキング」。これは各大会の結果で得られるポイントで決まる。仮に同記録で走っても、大会規模や重要度に応じ、得られるポイントは変わる。もし自己ベストに到底及ばないタイムだったとしても、ダイヤモンドリーグなどグレードの高い大会ならば、多くの点数を稼げる仕組みだ。ワールドランキングという指標をもとに「シーズンを通して、国内外で実績を残した選手が代表になる」と言えば、聞こえはいい。
しかし、裏を返せば、ワールドランキングで上位にさえ位置すればいいということを意味する。別に日本選手権の決勝で惨敗しようが、もはや決勝まで進めなくても、代表の座を得ることができる。さらに付け足せば、日本選手権には出場しなくてもいい。もちろん日本選手権で得られるポイントもあるが、代表争いに関して言えば、日本選手権は優勝以外の価値が、ほぼ消滅した。オリンピックや世界陸上の代表枠は3人。先述のように近年は、日本選手権決勝の上位順で結果的に選ばれていた。代表となるには、参加標準記録を満たした上で、日本選手権において3位以内となることが現実的に必須だった。それが「代表3枠中1枠を決める」に過ぎないレースと変わってしまった。
レース後の選手の様子も変わるだろう。今までなら3位と4位と天国と地獄の差。ただ今年からは選考要項が変わり、順位を死守せねばいけないとの緊張感は消失する。もし4位だったとしても、ランキング上位の選手は落胆もなく、平然としているかもしれない。
では、なぜこのような変更が起こったのか。日本陸上競技連盟の関係者は「2020東京へ向けたルールに適応できるようにするためです」と話す。IAAFは東京オリンピックで参加標準記録の制度をなくし、ワールドランキングポイントを、その代わりとする予定だ。とはいえ今年の世界陸上では、IAAFはワールドランキングポイントを参加の基準にしないと発表している。日本陸上競技連盟は、世界の基準とは別に1年、前倒して採用した。
ただ、地方のある大学のコーチはこんな不満を漏らす。
「これは日本陸上競技連盟が桐生君を選ぶためにあるようなルール<桐生ルール>ですよ。」
言わずと知れた9秒98の自己ベストを誇る日本最速男だが、実は17年世界陸上は日本選手権4位で100メートル代表を逃し、代表枠2だった18年アジア大会も日本選手権は3位に沈み、同じく100メートル代表ではなかった。プレッシャーからか、近年の桐生は日本選手権の舞台で力を発揮できていないという。ただ今回の選考要項では、日本選手権の結果とは、別にワールドランキングから2人を選ぶ格好である。桐生祥秀が所属するのは日本生命。膨大なバックアップがあり、海外遠征はまさに行き放題の状態で、ポイントは積み重ねやすい。日本選手権で不発に終わっても、残った2枠に食い込める可能性が高いのだ。たしかに桐生にとっては最高の追い風となる改正かもしれない。
前出のコーチはこうも嘆く。
「授業のある学生は、何度も何度も海外へ行けません。中東や欧米へ行くのも相当の費用もかかりますし、活動費も限界があります。今回の方式では、学生が代表に選ばれるのは厳しいですよ。もし目指そうと思っても、単位を捨てる覚悟も必要。学業との両立は難しくなります。チャレンジしても、代表に選ばれなかったら、残るのは留年のリスクだけです」
これまで海外の試合に参戦するのは一部の実業団や学生に限定されていた。だが、今回から代表を目指すには海外遠征が事実上〝義務〟となる。また大きなレースに出るには代理人の力も左右される。そういうツテの乏しい選手は、時間面、資金面以外でも不利を被りという。結果として、トップレベルを脅かす新星はは生まれにくい土壌にもなる。
「大迫と設楽が日本新記録を更新したように、マラソンは素晴らしい記録が続いています。新星もどんどん誕生しています。その裏には、MGCという一発選考の要素を盛り込んだ、今までにない東京オリンピック代表の決め方が一因とも言われています。しかし、短距離をはじめトラックは、資金力がある選手が明らかに有利な選考にしてしまいました。海外で多くのポイントを稼げるレースに出るだけで、代表になれるのですからね」(スポーツ紙デスク)
イケメンも揃って、好記録も続出。せっかく注目が集まっている短距離界。それが、生ぬるい選考方法でレベルが下がらなければいいが…。
陸上日本選手権の形骸化?「桐生ルール」と揶揄される、選考要件の変更
オリンピック、世界陸上、アジア大会―。その国際舞台の切符を懸け、絶対に順位を外せない緊張感が充満するのが陸上の日本選手権の魅力でもあった。
(C)共同通信