トランプ大統領が大相撲にこだわった理由はひとえにその伝統への憧れだと推察するが、大相撲には権力者というか、お金持ちというか、いずれにせよ金と力を持つ者を魅了する何かがあるようだ。きょうは、その総称「タニマチ」の話をしよう。

タニマチの由来は

辞典を引くと「タニマチ」とは、大相撲の力士のひいき筋・後援者のことと出る。明治の末期に大阪谷町筋の医者が力士の面倒を見ていたからという。
この医師は治療代を取らなかったということで、無償で力士の世話をする人を「タニマチ」と呼ぶようになったとされる。元来、谷町にはお寺が多く、いくつもの相撲部屋が宿舎を構えていたようだ。一般的にはパトロンということになるのだろうが、そこを「タニマチ」と呼ぶところが粋に感じる。

バブルよりももっと昔。戦後から昭和の高度経済成長期、日本にはたたき上げのいわゆるオーナー社長がたくさんいた。そうした人たちに大相撲は愛され、力士の「タニマチ」も多かった。例えば九州は炭鉱で潤った時期があったが、炭鉱主なども力士を支えた。佐川急便の創業者、佐川清氏は最も有名な「タニマチ」の1人だったし、数々の大物政治家もいた。みなさんの記憶に残っているだろう若貴フィーバーの時は、2人のそばにサントリーの創業家佐治敬三氏の姿があった。

「タニマチ」は部屋や力士を支える人だけではない。親方個人や行司、呼び出しなどを支援する人たちもまた「タニマチ」だ。ひいては相撲協会を支援する人たちもと考えると、相撲協会の収入の柱となる放映権料を支払うNHKは最大の「タニマチ」と言えるかもしれない。

力士の先生として

しかし、資金を援助するだけが「タニマチ」ではない。

いまでこそ大卒力士が増えたが、かつては中学を卒業してそのまま相撲部屋に入門するのが当たり前だった。部屋では朝から雑用、稽古、ちゃんこ番、兄弟子の世話など、若い衆は大忙しである。そのなかで、相撲の基礎を学び、身につけ、土俵で実績を残したものが番付を上げていく。まさに力が地位を作る、わかりやすい世界だ。

しかし、閉鎖的な相撲部屋、兄弟弟子との集団生活、そうした環境で社会人としての常識や振る舞いをどうやって身につけていくのか。その大きな役割を担うのが「タニマチ」だった。大相撲では十両以上を関取といい、給料をもらい一人前として扱われるが、幕下以下はひとくくりに若い衆である。横綱・大関ばかりを支援する人が「タニマチ」ではなく、こうした若い衆を温かく見守る「タニマチ」もいる。関取になったらいくらでも「タニマチ」がつくと、若い衆の間だけ熱心に支援する「タニマチ」も少なくはない。

ある会社の社長に話を聞いたとき、関取との食事のあと若い衆だけをつれてコンビニのようなお店によく行った話をしてくれた。随分昔の話でコンビニではなくコンビニのような店だったらしい。「なんでも好きなものを買っていいぞ」と言うと、袋菓子や乾電池などをかごに入れて持ってくる。「それくらいでいいのか?」と聞くと、きょう来てない兄弟弟子が「電池が欲しい」と言っていたと、もうひとつ電池をかごに入れていたと。つつましい話だが、若い衆たちは、そこでしっかりとお礼の言葉を述べ、「タニマチ」は土俵で返せよと声をかける。

このほかにも、目上の人たちを敬うこと、親兄弟を敬うこと、身ぎれいであることなどなど、「タニマチ」に教えてもらった躾のエピソードを話してくれる親方も少なくはない。師匠を親と呼ぶなら、「タニマチ」は先生と言えるかもしれない。

媚びはしない 力士にもタニマチにも流儀が

こんな昔話を聞いたことがある。

ある大横綱に「タニマチ」が祝儀を持って激励にきた。ちゃんこを食べて帰る前に記念写真をと頼んだらその横綱はカメラに背を向けたという。祝儀の額が気に入らなかったからなのか、それともほかに何か気に入らないことがあったのか、いまとなっては知るよしもないが、支援を受けていても決して相手に媚びない、そういうプライドのようなものが支援される側にもあるのだろう。結果は土俵で残す、土俵で恩返しをすると。
私の身内にもある相撲部屋の熱心な「タニマチ」がいたが、『金は出しても口は出さない。それでいいんだよ』という言葉を聞いたことがある。なかなか理解しがたい関係かもしれないが、それもまた「タニマチ」の粋なのだろう。
いずれにせよ大相撲のこれだけの伝統を支えてきた存在のひとつが「タニマチ」であることに異論を挟む人はいないだろう。

まもなく来日するトランプ大統領は夫人をともなって、安倍首相夫妻と正面枡席を貸し切って千秋楽を観戦するという。アメリカ大統領として初めて国技館の土俵に上がって優勝力士に杯を渡す時、おそらくすべてを制したような勝ち誇った笑みを浮かべるのだろう。すべてが特別待遇の大統領に伝統に裏打ちされた角界の「粋」は理解できないだろうなぁと思ってしまうのは決して私だけではないだろう。


羽月知則

スポーツジャーナリスト。取材歴22年。国内だけでなく海外のスポーツシーンも取材。 「結果には必ず原因がある、そこを突き詰めるのがジャーナリズム」という恩師の教えを胸に社会の中のスポーツを取材し続ける。