北川氏はVICTORYの取材に「ひょんなことからお話をさせていただく機会がございまして、『ぜひ、さいたまブロンコスでやらせてもらえないか』と手を挙げさせていただきました」と明かした。さいたまブロンコスは、7月1日付でチーム名を「埼玉ブロンコス」から変更し、ロゴを変更。チームカラーも「緑」から「SAVAGE RED(サベージレッド=赤)」に一新することになったばかり。チームは公式サイトもリニューアルし、その会社概要の「Vice Chairman」欄に北川氏の名前が記された。

Bリーグに造詣の深いファンなら、その名前に驚いた人もいるかもしれない。北川氏は先日まで群馬クレインサンダーズの社長を務めていた人物で、B1昇格を狙う強豪クラブの社長から、新体制が立ち上がったばかりのB3クラブのバイスチェアマンになるのは、間違いなく異例の転身といえる。

チームの存続を図るため、昨季途中から東証一部上場企業である不動産業大手のオープンハウスのサポートを受け、経営の安定化とチーム強化を目指すことになったB2群馬。このオープンハウスとの交渉窓口となり、昨年から社長としてクラブ経営を指揮してきたのが、経営コンサルタントの経歴を持つ北川氏で、この6月25日に群馬の運営会社が完全子会社化されてオープンハウスの完全子会社となったのを機に、社長を退任する運びとなった。

そして、新天地として北川氏が選んだのが、さいたまブロンコスだった。さいたまブロンコスはプロ野球・横浜DeNAベイスターズの初代球団社長として球界屈指の人気球団へとチームを変革したことで知られる池田氏が今年3月にオーナーに就任。クラブ経営の改革、刷新を進めているところで、その経営陣に加わることになる。

それまで、池田氏と面識は「全然なかった」という北川氏だが、ベイスターズの取り組みに強い関心を抱き、著書「空気のつくり方」(幻冬舎刊)を愛読していた経緯などもあり、「まさか、自分が池田さんと一緒に仕事ができるとは全く思っていなかった」という。特に横浜スタジアム運営会社の友好的TOB(株式公開買い付け)により、球団と球場の一体経営を実現させた手腕には大きな衝撃を受けていたこともあり、池田氏がオーナーとしてスタートさせるチームに自ら望んで参画することを決断。B2クラブ社長からB3クラブ幹部への異例の転身が実現することとなった。

「どこまで、いろいろな人を巻き込んでいけるかということにチャレンジしたいし、そこに責任を持ってやっていきたいと思っています」と意欲を示す北川氏。プロ野球の球団社長経験者が個人オーナーを務めることが異例なら、元B2クラブの社長までそこに加わるのは異例中の異例。スタートしたばかりの“新生さいたまブロンコス”だが、早くもB3の枠を超え、さまざまな“ざわつき”を世の中に発信し始めている。




【プロフィール】
北川裕崇(きたがわ・やすたか)
1981(昭和56)年9月27日生まれ、38歳。群馬県出身。2016年に群馬プロバスケットボールコミッションに執行役員として参画。19年6月に群馬クレインサンダーズの社長に就任。現在は一般社団法人さいたまスポーツコミッション事務局長、B3さいたまブロンコスのバイスチェアマン、株式会社GENKIDO社外取締役などを務める。

さいたまブロンコス公式ホームページ

VictorySportsNews編集部