日本人初の4階級制覇王者・井岡と3階級制覇王者・田中の激突――従来の「チャンピオン対挑戦者」というタイトルマッチに納まりきらないスケール感があるのも当然。やはりと言おうか、戦前の予想は割れている。

 井岡(31歳、25勝14KO2敗)は09年4月のプロデビュー以来、ミニマム級、ライトフライ級、フライ級そしてスーパーフライ級の4階級を制覇した。元世界チャンピオンの井岡弘樹氏を叔父に持つサラブレッドとして早くから騒がれ、またその期待に応えてきた攻防兼備のオールラウンダーだ。最初のミニマム級王座は当時の日本最速記録となる7戦目で獲得したものだ。フライ級王座を防衛中の17年暮れに一度引退し、翌年アメリカで電撃復帰、父のジムを離れてスーパーフライ級でチャンピオンに返り咲くなどドラマ性もある。4つの階級でタイトル獲得は日本人唯一の偉業で、世界でも井岡を含めて22人しか達成していない(男子)。

 一方の田中も常に注目され続けてきた名古屋の俊英である。目で追うのも忙しくなるスピードとダイナミズムが持ち味。こちらは13年11月にプロ初戦を行っているが、相手はいきなりインドネシアの世界ランカーだった。陣営は当初から世界王座奪取の最速記録更新を狙っていたのだ。首尾よく田中がミニマム級で初めてチャンピオンになった時はまだプロ5戦目だった。それからも田中には「最速記録」が付きまとっている。ライトフライ級(8戦目)、フライ級(12戦目)といずれも一発成功で結果を出してきた。今回の4階級制覇挑戦にもおなじみの記録はかかる。

 両者の対戦が正式に発表されたのはさる11月のこと。別々に行ったオンライン会見では互いに揺るぎない自信を口にしつつ、対照的なところもあった。

 挑む田中が「井岡選手に勝って世代交代」とアピールしたのに比べ、守るチャンピオン井岡は「僕にとってメリットのない試合」と明らかにトーンが違っていたことだ。井岡-田中戦はこれまでに45度行われた「世界戦の日本対決」でも掛け値なしの好カード。比較的近い例では薬師寺保栄-辰吉丈一郎のバンタム級戦(1994年)、畑山隆則-坂本博之のライト級戦(2000年)に匹敵するマッチアップとして話題になっている。舌戦から盛り上がりを期待したファンはもしかしたら井岡の発言に拍子抜けしたかもしれない。

 たしかに、この対決をより強く望んだのは田中のほうだろう。勝てば田中も4階級制覇、新旧交代のこれ以上ないチャンス。さらに闘志をかき立てるのが、相手がビッグネームの井岡であることだ。能力の高さは折り紙付きで、無敗で3階級制覇を成し遂げた田中のキャリアは完ぺきにも思えるが、井岡戦で紛うことなき知名度をいただくつもりである。

 では本当に井岡にとって「メリットのない試合」なのか!?そうだとしたらなぜ受けるのか――。

 ちょうど1年前の大みそか、両者は同じリングでそれぞれ試合を行った。先に登場した田中がウラン・トロハツ(中国)を3回KOで一蹴してWBOフライ級タイトルを防衛。直後にメインの井岡は1位ジェイビエール・シントロン(プエルトリコ)に判定勝ちし、WBOスーパーフライ級王座の初防衛に成功した。年が明けて田中はフライ級王座を返上し、1階級上のスーパーフライ級への転向を表明する。WBOは田中のこれまでの実績を考慮し、ただちに井岡の君臨する同級のランキング1位に据えた。この瞬間、井岡-田中戦は実現に向けて動き出したと言っていい。

 というのも、転級と同時に田中はチャンピオンへの指名挑戦権を与えられたからだ。ボクシングにいくつもある取り決めに「指名試合」がある。王座認定団体がチャンピオンに義務付ける防衛戦のことで、WBOの場合はヘビー級を除く各階級の王者に対し、原則的に9ヵ月に一度この指名試合を課している。井岡がタイトルを保持する限りは、いずれ指名挑戦者・田中と戦わねばならなくなったのである。

 井岡は目標を「海外で他団体チャンピオンとの統一戦」と公言している。いまのスーパーフライ級は強力王者たちがしのぎを削る戦国時代。いわゆるメジャー4団体の王座をみても、WBO井岡のほか、WBA(世界ボクシング協会)のローマン・ゴンサレス(ニカラグア)、WBC(世界ボクシング評議会)のフアン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)、IBF(国際ボクシング連盟)のジェルウィン・アンカハス(フィリピン)といずれも米国リングで活躍する実力派である。本場で繰り広げられるスーパーフライ級戦線に参入することが、現役復帰後の井岡の大きなモチベーションになっているのだ。

 昨年末、当時の指名挑戦者シントロンを撃退した井岡は、いよいよ海外路線に乗り出すつもりだった。ところが目の前に現れた敵は新型コロナウイルスだった。コロナ禍で試合どころか世界的に入国も出国も容易ではなくなった。指名防衛戦ルールに縛られたくないならタイトルを返上するほかないが、井岡側も今後を考えてその選択肢は除外したのだろう。とくにゴンサレスやエストラーダ級の大物選手との対戦をアピールするには、井岡にチャンピオンの肩書きがあったほうがいいのは事実。以前、井岡本人も保持するベルトを「海外で強豪と戦うためのチケット」と表現していたものだ。

 かくして田中との対戦に臨むことになった井岡だが、ものは考えようである。コロナ流行の中で海外から挑戦者とそのチームを招へいすることは、仮にコロナ感染発覚で直前に試合が潰れた場合などのダメージも大きい。井岡側からすれば国内対決で興行的なリスクは抑えられる上に、田中戦をクリアーすれば指名防衛戦の義務をまっとうすることもできるというわけである。何より、海外のエキスパートも一目置く田中を退けて手に入れられる評価は決して小さくはないだろう。

 こうしてみてくると、今度の試合は井岡にとって「メリットがない」こともなさそうだ。むしろ自信の裏返しでそう言っているのかもしれない。


VictorySportsNews編集部