ミシャ政権後の崩落劇
浦和は昨シーズン(20年)を「3カ年計画の1年目」とし、「ACL出場権獲得」と「得失点差プラス2ケタ」を目標に掲げたが、結果はまったく及ばないものだった。
13勝7分け14敗と負け越し、得失点差はマイナス13、勝ち点46で10位。リーグ最終節には立花洋一社長が「日頃より熱くサポートいただいているすべての皆さまに心よりお詫び申し上げます」と頭を下げたが、スタンドの反応もどこか冷ややかだった。
振り返れば12年に広島からやってきたミハイロ・ペトロヴィッチ監督(以下、ミシャ)がシーズン半ばに解任された17年以降、Jリーグでの浦和の戦いぶりは散々なものだ。
ミシャがシーズンを通して指揮を執った12年から16年までの5年間は、タイトルこそ16年のルヴァンカップだけだが、Jリーグでは3位以内が4度あり、2ステージ制が施行された15、16年はステージ優勝も飾った。16年は年間勝ち点で1位を記録した。
攻撃的なサッカースタイルは不安定さもはらんでいたが、流麗なパスワークによる得点は相手チームをもうならせるものがあった。それだけに、ミシャ解任以降の衰退ぶりが目に付く。
17年はミシャ門下生たちが“親父解任”に奮起してリーグ7位とこらえ、ACL優勝も果たした。18年は堀孝史監督→大槻毅監督→オズワルド・オリヴェイラ監督という指揮官の交代による劇薬効果もあり、リーグ5位、天皇杯優勝と持ち直したかに見えた。しかし、それはあくまでカンフル効果だったようだ。
19年には春の段階でオリヴェイラ監督が解任された。そして、気づけば選手たちは17年以降の守備的戦術へのシフトですっかり攻撃力がさびつき、19年のリーグ戦は1試合平均1得点という惨状に陥った。また、主力選手の高齢化もあって、負けが込んでは守備的な戦いに拍車がかかるという負のスパイラルも露呈。19年はJ1残留争いを強いられ、14位でフィニッシュした。ACL準優勝という成果はあったが、それによって逆に問題点がうやむやになるという側面もあった。
大槻監督が初めて開幕前からタクトを握った20年は、4年ぶりに監督交代のないシーズンとなったが、上位陣に力負けする試合も多く、最終成績は10位だった。
DAZNマネーとも呼ばれる「配分金」制度の導入による弱肉強食時代
17年以降のリーグ戦の不振は以上の通りだが、もうひとつ問題となるのが、Jリーグからの配分金で負け組になったことだ。
Jリーグは16年にイギリスの動画配信大手「パフォーム社」が提供する「DAZN」と、17年から10年間、約2100億円という超大型の放映権契約を結んだ。そして、10年間の最初の3年間に相当する17年から19年までは、クラブへの配分金が多く設定された。
ここで言う配分金は「理念強化配分金」「均等配分金」「降格救済金」「ACLサポート」「賞金」の5項目。その中で最も多いのが、J1上位4クラブに支払われる「理念強化配分金」だった。理念強化配分金は3年間の傾斜配分と設定され、以下の通り。
・17年の1位チームには18年に10億円、19年に4億円、20年に1.5億円
・2位チームは18年に4億円、19年に2億円、20年に1億円
・3位チームは18年に2億円、19年に1.5億円、20年ゼロ
・4位チームは18年に1.8億円
この比率は19年まで適用された。ここで理念強化配分金、つまりDAZNマネーの恩恵を最も受けたのが、17年優勝、18年優勝、19年4位の川崎フロンターレだ。川崎がJリーグから受け取った配分金の総額は、18年と19年の2年間で合計約32億円(20年は未発表)。対して浦和は18、19年で合計約8・5億円だった。浦和は17年以降一度も4位以内になっていないため、川崎と比較して大差がついた。
Jクラブの間では17年に配分金の支給条件が決まったとき、「これからは勝ち組と負け組の差が拡大するだろう」と見込まれていたが、3年たったときに浦和はすっかりDAZN時代の負け組になっていた。
リーグ戦以外を見れば、浦和は17年ACL優勝賞金3・3億円、同クラブワールドカップ5位賞金1.7億円、18年天皇杯優勝賞金1.5億円、19年ACL準優勝賞金の2.2億円を手に入れている。だが、差のつくリーグ戦の成績で後手を踏んでしまったのが痛い。また、以前は入場料収入で他クラブの2倍を稼ぐなどダントツの営業収入を誇っていたが、それも18年、19年は神戸に抜かれて2位になっている。
新戦力への不安を抱えながら迎える「3カ年計画2年目」
この状況を理解すれば、今シーズンの補強が小粒な顔ぶればかりという状況にも合点がいく。
移籍加入選手の中で、J1での確固たる実績があるのはDF西大伍(前神戸)くらい。昨シーズンに大分で8得点を挙げたMF田中達也やMF金子大毅(前湘南)はJ1での経験があるが、MF明本考浩(前栃木)、MF小泉佳穂(前琉球)は未知数。新卒組も同様だ。
補強策に関して自身も参画していたというロドリゲス監督は、選手の陣容について「すごく満足している」と言うが、その言葉を額面通り受け取るのは早計だろう。昨シーズン活躍したマルティノス、手堅いプレーが光ったボランチのエヴェルトン、長澤和輝、青木拓矢ら、去った選手と天秤にかけると心もとないのは否めない。
そして不可解なのがFWの補強だ。エースの興梠慎三が12月21日に右足の手術を行って全治3カ月と発表されており、開幕には間に合いそうもない。FW登録は興梠を入れて4人。杉本健勇と武藤雄樹の過去2年間のリーグ戦ゴール数が2人合わせてわずか7点に過ぎないため、昨年11得点のレオナルド1人に頼らざるを得ない状況だ。
浦和は19年のシーズンオフに20年から22年までの「3カ年計画」を発表し、22年にリーグ優勝を果たすことを目標とした。その時に土田スポーツダイレクターが述べていたのは、17年から19年までのべ5人の監督が就任したことによる一貫性のない強化体制への反省と、守備的な戦術から攻撃的なスタイルに転換するという方針だった。
ところが、3カ年計画の1年目は前述のとおり目標に到達できず、攻撃的なチームづくりにかじを切った戦術面でも「2点を取られても3点取る」(19年12月の土田SDのコメント)どころか、ホームゲーム無得点や大量失点で敗れる試合が続出し、しまいにはシーズン途中に大槻毅監督の昨年限りの退任を発表した。その結果が、リーグ終盤5試合1分け4敗という幕切れにつながった。
現実はこんな状態だ。だがそれでも浦和は今シーズンの目標として「最低限、ACL出場権獲得」と掲げ、21年を「3カ年計画の2年目」とする位置づけも変えないと言っている。“現実に即さない視座”を強調するフロント陣。「J2降格の4チームにだけは入らないでほしい」とささやくサポーターの声が杞憂に終わることを祈るのみである。