「ロジャー・フェデラーと共に歩んでいきたい」。
それは、ユニクロがテニス界に参入した時からの、長年の悲願だったという。

 ユニクロのウェアを着て公式戦を戦った最初のアスリートは、“車いす界のフェデラー”とも呼ばれる、国枝慎吾である。北京パラリンピックで金メダルを獲得した国枝は、翌2009年にプロ転向し、同年夏にユニクロと契約を締結した。
車いすテニス界の絶対王者の身を包むユニクロのウェアは、テニス界で徐々に露出と知名度を獲得していく。その流れが2011年の錦織圭との契約に繋がり、さらにノバク・ジョコビッチのブランドアンバサダー就任(2017年で契約終了)により、その地位は揺るぎないものとなった。
 一方のユニクロにしてみても、異なるタイプのトッププレーヤーの要望に応え、王者たちの“戦闘服”を作ってきたことへの自信を築いていく。それらの実績、そして培った人脈や情報網を駆使しながら、ユニクロの担当者は、密かにフェデラー獲得の機を模索し続けていた。

 ウィンブルドンに代表される伝統のテニス大会は、スタープレーヤーが綺羅星のごとくコートを賑わし、客席にはセレブリティが顔を並べる夢舞台だ。
 だがその舞台裏は、選手の代理人や各種企業の思惑がうごめく、生き馬の目を抜くビジネスの世界。
選手と現行のスポンサー契約は、果たしていつまで続くのか? いかなる条件を結んでいて、両者の関係は友好なのか……? 
それら情報が何よりも価値を持ち、人脈こそが、情報を得るためのインフラとなる。そうして収集した情報と状況を勘案し、最適なタイミングで選手や代理人に正しいアプローチをすることこそが、信頼を獲得する唯一の道となるのだ。
 フェデラーに接触を試みた2018年、ユニクロの担当者たちには、今がその時だとの確信に近い手応えがあった。
そして、フェデラーと同じテーブルに着くまでに至った時、最終的に行なったこととは、自分たちの思いを伝えることである。

 特に力を入れて説いたのが、“LifeWear”としてのコンセプト。
「あなたはテニス選手としてはいずれ引退するが、人生からは引退しない。我々は、あなたの人生そのものをサポートしたい」と誠心誠意うったえ、代表取締役会長兼社長の柳井正は「共に世界を、より良い場所にしていきましょう」とも力説した。
「人生をサポートしていくという言葉が、私の心に響いたんだ」
後にフェデラーは、ユニクロの担当者に、そう伝えたという。

提供:ユニクロ

 2018年のウィンブルドンを控え、契約はほぼ合意に達した。あとは、サインを取り交わし、実際にウェアを着てコートで存分にプレーしてもらうだけである。
ところが直前に来て、思いもよらぬアクシデントが発生した。
 「フェデラーがユニクロとウェア契約」と、ソーシャルメディアでリークされたのである。
 正式契約が決まる前の情報漏洩は、全てを白紙に戻しかねない。だからこそ、フェデラー獲得プロジェクトは社内でもごく少数しか知らず、しかも関係者間のやり取りは全て、固有名詞を伏せる“コードネーム”方式で進められていた。
 それにも関わらず情報が漏れるのが、この世界の怖さである。実際にその後はネットメディアを中心に、「交渉は難航」「ユニクロとの契約は不成立」などの噂が流れ始めたのだ。

 虚実交じる流言が飛び交うなか、ユニクロは沈黙を守った。
 一方でメディアは格好のネタに飛びつき、ウィンブルドン開幕を控えたフェデラーの練習時には、彼の着用するウェアを皆が目で追いかけた。
 ところが周囲の好奇をいなすかのように、フェデラーはある時はウィンブルドン公式Tシャツに身を包み、開幕前日の記者会見には、ジャケット姿で現れた。

 そうして、迎えた7月2日――。

 世界は、真実を知ることになる。情報解禁を13時8分8秒に定めたのは、誕生日が8月8日であり、8をラッキーナンバーとするフェデラーへの粋な計らい。ちなみにこの瞬間、ATP公式ウェブサイトなどを含めた全てのプロフィール写真が、ユニクロ着用のそれへと切り替わった。
 
 同時のその瞬間から、ユニクロ社内は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
 「フェデラーモデルのウェアはどこで買えるのか?」「価格はいくらか?」などの問い合わせが国内外から相次ぎ、メディアからは契約内容を問う連絡が次々に舞い込んだ。
とは言え前述したように、フェデラーとの契約は、社内でもごく少人数しか知らなかった極秘プロジェクトである。泡を食ったのは社員たちも同様で、社内での情報共有が急務となった。

提供:ユニクロ

 ウェアの開発・制作においても、これまで錦織圭らとの共同作業で蓄積してきた、経験と知見が生かされた。特に最初のウィンブルドンでは、時間の無いなかフェデラーの意見に耳を傾け、直前までフィッティング作業をしていたという。
この時のウェアでフェデラーが気にしたのが、立ち襟が首に当たる感覚。そこで、襟の高さが微妙に異なるものを3パターン用意し、本人に選んでもらったうえで、開発者自らが文字通り針とハサミで微調整し対応した。

 そのようなユニクロ側の誠意と確かな実績が、フェデラーにも伝わったのだろう。以降は新たなウェアを作る時も、「僕は服作りのプロではない。そこはユニクロを信用しているので、任せます」と言ってくれるのだという。
仕上がりのデザインに多少気になる点があったとしても、「作った側の意図があるのだろうから、まずは着てみるよ」と、フェデラーは必ず袖を通した。“テニスの神”と崇められる人物のそのような姿を見るにつけ、共に作業をする担当者たちも、「ロジャーのために、絶対に良いものを作ろうとの決意を新たにするんです」と語気を強める。
また、フェデラーのお墨付きを得たという実績は、あらゆる競技やアスリートからの信用獲得にも発展した。ユニクロは2019年、スウェーデンオリンピック・パラリンピック委員会と契約し、クロージング・パートナーとして、競技ウェアだけでなく、開閉会式など大会関連イベント、移動時、練習時やオフの時にも着用できる服の開発・提供をしている。それらの開発過程においても、「フェデラーとパートナーであるユニクロなら、良いウェアを作ってくれるに違いない」と、全幅の信頼を寄せてくれるのだった。

 その“テニスの神”も、今年の8月8日で40歳を迎える。“ミスター・パーフェクト”と称されるほどに優雅で全能なプレーは健在だが、残されたキャリアが限られているのは間違いない。

 現在のユニクロの使命は、その限られた時間を、共に全力で走り切ることだという。
 同時に、22歳にして基金を立ち上げ、多くのチャリティ・イベント等も自ら企画するフェデラーは、多くの将来的なビジョン描いている。
 LifeWearのコンセプトを掲げるユニクロとフェデラ―のコラボレーションは、彼がテニスキャリアを終えた後も……いや、もしかしたら終えた後にこそ、真に始動するのかもしれない。
 そしてその時、目指す地点はもちろん、「共に、世界をより良い場所にすること」だ。

[PR]錦織圭とユニクロが共に歩んだ10年。既成概念にとらわれなかった両者のこだわり

内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。