「森会長の代わりはいない」の大合唱

 とんでもない女性蔑視発言のあと、スポーツ界からも政界からも財界からも聞こえてきたのは、「森会長の代わりはいない」という言葉だった。一般には「失言王」として知られる森氏だが、スポーツの世界での威光はすさまじいものがある。ジェンダー平等を掲げるIOCが当初、あのとんでもない謝罪会見で幕引きを図ろうとしたことからも、森氏をいかに頼りにしていたかが分かるだろう。今回の会長交代劇を見てみると、そのまま東京オリンピックの現状が見えてくるといっても過言ではない。言い換えると、森氏の威光に頼らざるを得ないほど、綱渡りということだ。

観客問題抱える組織委員会

 具体的にお示ししよう。まずは、組織委員会の視点から見てみる。何もなければ、大会はすでに終わっていたのだから、大会を実施するための大枠の準備は終わっている。大枠というのは、競技スケジュールや会場の確保といったものだ。いま向き合っているのは、観客をどの規模にするのか、そして決して誰も表向きには認めないが中止となったときの対応である。ここで押さえておきたいのは、再延期は0%ということだ。のんきに2032年とか、2024年に順延などという人もいるが、そんな選択肢はないと断言しておこう。IOC、JOCで議論はおろか、順延に関する意見すら出ておらず、2024年、2032年の開催都市は準備が進んでいる。

 まず観客の規模だが、これは組織委員会の収入に直結する問題で、海外からの観客を認めるかどうかは入国を管理する政府との調整が不可欠となる。なぜ組織委員会の収入に直結するかといえば、チケット販売の収入はすべて組織委員会に入るからだ。半分になれば、組織委員会の予算はたちまち不足し、都や国から補填してもらわなければならない。そう考えれば、チケット収入という面だけからいえば誰が買っても同じなのだから、組織委員会は無理して外国人に来てもらう必要はない。しかし、インバウンドを当て込んでいた政府にとっては、譲れない線だったわけだ。だった、といったのは国民世論に押されてすでに政府は外国人観光客の受け入れをあきらめたという情報があるからだ。いずれにせよ、観客をどうするかという話は、組織委員会だけでは決められない話で、常に政府との調整が求められる。その点、森氏は顔が利くし、補填の金も引っ張ってくることができる稀有な存在だ。
いずれにせよ、観客のサイズを決める期限を橋本新会長は3月中と言っている。現状で、フルサイズは非現実ということを考えれば、多かれ少なかれ私たちの税金が組織委員会の足りなくなった予算の埋め合わせに使われる可能性は高いといえるだろう。

中止におびえるIOC

 次に、IOCの目線で見てみる。正直、森氏の女性蔑視発言の直後、IOCが幕引きに走るとは予想していなかった。あの発言を問題視することこそ、IOCの存在意義といってもいいからだ。実際IOCはオリンピックの男女平等を強引なまでに推し進め、パリ大会では初めて出場選手数が50対50になる。一見、良いことのように思えるが、男子に比べて競技人口が圧倒的に少なくても同数にさせる強引な手法には反発もある。そこまでしてジェンダー平等を推し進めるIOCにとって、到底容認できない発言にも関わらず容認したのは、森氏の政治力を手放したくなかったからだ。

 前項でも示したように、観客減はIOCにとっては痛くも痒くもない話だ。たとえ無観客でも大丈夫だ。最も恐れるのは大会の中止。というのもIOCが一気に負債を抱える可能性があるからだ。開催都市契約で、中止の場合IOCは責任を負わないことになってはいるが、放映権者やスポンサーに対して大きな負債を抱えることになるのは間違いない。それをどこが負担するか?IOCは、去年、当時の安倍首相が延期を提案したことなどを理由に組織委員会を通じて日本政府に一定の負担をしてもらう腹積もりだとみられる。それが嫌なら、中止はないぞとプレッシャーをかけることもできる。いずれにせよ、去年の秋までは安倍首相、そして森会長と絆を強くしてきた。しかし、安倍氏の退陣、さらには森氏の退任となれば、せっかくのパイプがなくなってしまう。是が非でも、森氏には残ってほしかったというのが本音だろう。でも、日本のそして世界の世論が許さなかった。森氏への大批判に耐えられないと判断したIOCの手のひら返しは早かった。ただIOCが求めた後任の要件は「政府の全面支援が得られること」。それだけ、中止におびえているわけだ。橋本大臣の新会長就任に、一番ほっとしたのはIOCかもしれない。

橋本新会長は「やる」の意思表示

 最後に政府と都を考えてみるが、今回、東京都は大きく動かなかった。やはり新型コロナという目の前の脅威への対応を見誤れば小池知事の命取りとなりかねないからだろう。さらには、都知事にとって、会長問題に口を出しても得は何もない。小池氏と菅首相の関係を考えれば森会長のままのほうが、本当は都合がよかったはずだ。でもあの発言は容認できないし、政府に尻拭いしてもらいたい。とった策は、動かずだった。最も賢明な判断だったと思う。

 一方で、政府だ。川淵氏への禅譲を止めるときに、菅首相が「意見を述べた」と言わされる羽目になった。やはり今の政権は、いろいろと下手である。某選手へのキス写真という傷がある橋本大臣が懸命に固辞したのに、最後に認めさせたのは、菅首相とも安倍前首相ともいわれる。すべてが後手後手だが、女性で、オリンピアンで、現職大臣というすべてを満たしたエースを送り込むほかに手がなかったのも事実だろう。逆を言えば、これ以上のカードはないわけである。それだけ政府は追い込まれているということを意味するし、それだけ本気で「ことし7月の大会をやりきる」という意思表明でもある。


VictorySportsNews編集部