「ひょうきんな明るい子だった」野中騎手の幼少期

―競馬に興味を持ち始めたのはいつ頃ですか。
野中:正確には覚えていないのですが、小学3,4年生くらいだったと思います。幼稚園の遠足で競馬場には行っていたので、競馬場という場所だけは認識していましたね。

―小学3,4年生の時に興味を持ち始めたきっかけを教えてください。
野中:家の近くにモノレールが走っていたのですが、そのモノレールに小倉競馬場前という駅があって、モノレールから競馬場が見えていたり、正月に親戚が集まっていた時に、馬券を買って競馬を見ている人がいたりしていて。そこで、「ここは何をするところなのだろう」と思い、父に話しました。その当時、僕は野球をやっていたのですが、雨で練習が中止になった日に、「競馬を見に行こう」となり、見に行ったのが始まりです。

―そこからどうやってのめり込んでいきましたか。
野中:実際のレースで、馬が走っている迫力や、ジョッキーが乗っている姿を見て、「かっこいいな」と思いました。

―どんな瞬間がかっこよかったですか。
野中:全部がかっこよかったです。レースをしている姿も、勝ったジョッキーを見てもそうでしたし、勝ったジョッキーがファンの方にサインを書いている姿を見て、よりかっこいいなと思いました。

―野球をやられていたのですね。
野中:3歳上に兄がいたのですが、兄の影響で野球を初めて、年長くらいにはソフトボールのチームで一緒に練習していました。自分がやりたいと思って始めたわけではなく、いつの間にかチームに入っていました。

―野球の腕前はいかがでしたか。
野中:僕らが小学5,6年生の時に、初めて県大会に行ったくらいでした。全国に行くようなレベルではありませんでしたが、振り返ると、その後、高校や大学で活躍していた選手がいましたね。

―強かったのですね。
野中:福岡は野球が強かったので、そこそこでしたね。

―野球選手になりたいと思っていましたか。
野中:小さい頃は思っていました。地元が福岡なので、ダイエーの頃からホークスは応援していて、よく球場に野球を見に行っていました。

―練習はどの程度していましたか。
野中:基本的には水曜日と土日でしたが、長期休みの時は毎日練習していました。休みの日に家族で旅行に行くことよりも、野球をしていることが多かったです。

―チームの中でどのくらいの強さでしたか。
野中:普通くらいでしたね。小学5,6年生ではレギュラーとして試合に出ていましたが、特別うまくも下手でもありませんでした。

―野球選手は難しいと思うこともありましたか。
野中:少し大きい大会に行くようになって、強い選手を見ると、「自分では到底敵わないような選手がたくさんいるな」と思っていましたね。身長も低かったので、「この先、どこかで野球は辞めるだろうな」と思っていましたが、小学生の間は、友達もいたので、「卒業まではしっかりやり遂げよう」という感じでした。

―落ち着いた小学生ですね。
野中:ひょうきんな明るい子でしたね。でも、チームの卒団式の時に、「この後は、野球を続けるかわかりませんが、騎手を目指して乗馬をやりたいと思います」と言っていました。

―その時には騎手になりたいと思っていたのですね。
野中:小学4,5年生の時の作文には、「ジョッキーになりたい」と書いていましたね。

「ジョッキーになりたい」と思ってから

―騎手になりたいという気持ちが強かったのですね。
野中:そうですね。自分で調べて、「もしかしたら自分もなれるのではないか」と思いましたね。身体も小さいですし、運動神経も悪くないと思っていたので、中学生になってから乗馬を始めて、競馬学校に入れるように頑張ろうと思っていました。

―何を調べましたか。
野中:まず、「ジョッキーはどんな職業なのか」を把握しました。福岡は公営競技が揃っていて、ボートやオートレースなども考えてみたのですが、中学生になった時に競技をすぐ始めたかったので、「ボートもバイクも乗れないけど、乗馬はすぐに始められる」と思い、ジョッキーを目指しました。

―小学生へのアドバイスはありますか。
野中:楽しむのが一番ですね。僕も中学生の時は、「ジョッキーになりたい」という思いはもちろんありましたが、馬に乗るのが楽しかったので、毎週末、競馬場の乗馬センターに行くのがとても楽しみでした。

―小学生の時は、乗馬経験はありませんでしたか。
野中:中学生になってから始めました。

―学校とは関係ない活動ですか。
野中:そうですね。

―中学校は公立の学校ですか。
野中:学区内の普通の中学校でした。小学校のメンバーとそのまま中学に上がりました。

―部活はやられましたか。
野中:週末は乗馬をすることを決めていましたが、平日に家にいても何もすることがなかったので、中学の野球部の監督に「試合には出られないのですが、平日だけ野球部で一緒にトレーニングをさせてもらえませんか」と相談したら、監督が理解して入れてくれて、平日は野球部、週末乗馬でした。

―とてもストイックですね。
野中:野球は好きだったので、練習だけでも楽しかったです。小学生の時と変わらないメンバーが野球部にいたので、居心地も良かったですね。

―週末の乗馬は何をされていましたか。
野中:競馬場の乗馬センターで、厩舎の掃除や、馬の手入れをして、馬に乗っていました。小倉競馬場でレースをやっている時は、午前中に練習をして、午後は競馬を見に行っていました。

―それは乗馬教室のような形ですか。
野中:教室みたいな感じですね。僕みたいに「ジョッキーになりたい」と思って来ている子もいれば、「馬に乗ってみたい」という子もいました。そこまで厳しくなくて、入っても途中で辞める子もいましたし、数回しか来ない子もいました。1年に1回募集して、20人くらい入っても、残っているのは10人いないくらいでしたね。

―競馬学校に入る人は、中学でスクールに入っている子が多いですか。
野中:結構多いですね。競馬場の乗馬センターや、民間の乗馬クラブなど、馬に乗っている子が大半で、たまにまったくの未経験の子もいます。

「馬に乗るのは楽しい」乗馬センターで学べたこと

―初めて乗馬を体験した時はいかがでしたか。
野中:最初は恐怖心がありました。やはり最初は上手に操作できないので、馬がいきなり走り出すこともあって、その時は焦りましたが、1年くらいで慣れましたね。

―工夫していたことはありますか。
野中:乗馬に関しては身体で覚えていくしかなくて、感覚による部分が大きいです。全員が同じ馬に乗るわけではないので、それぞれの馬のできること、できないことがあって、この馬でうまく走れたからといって、別の馬で同じことをしてもうまくいくとは限りません。とにかく数多く乗るというのが重要かなと思います。

―ジョッキーを目指す人にとってはおすすめできる場所ですか。
野中:競馬場の乗馬センターはとても良いと思います。実際、JRAで働いている職員さんに教えてもらえますし、昔現役の競走馬だった馬にも乗れるので、とてもおすすめですね。

―乗馬以外でどんなことを学べますか。
野中:馬の手入れの仕方や、取り扱い方などを教えてもらえますし、高校3年生までそこで学ぶことができるのですが、大会に出ている先輩もいました。ジョッキーにならないけど乗馬を続けたい人は、そのまま大学の馬術部に入っていましたね。

―登竜門のような感じなのですね。
野中:誰でも入れるので、間口は広いと思います。あとは、自分で続けるかどうかですね。

―今でも大切にしている思い出はありますか。
野中:僕より2年くらい先に乗馬センターに通っていた同級生が、お父さんとお兄さんがジョッキーだからジョッキーを目指していて、僕もジョッキーを目指していたので、一緒に3年間練習をし、その子と一緒に競馬学校に受かった時は本当に嬉しかったです。

―とても良い話ですね。
野中:同じところから2人も競馬学校に受かることはなかなかないので、嬉しかったですね。

―それは制限されているのですか。
野中:そもそも狭いからですね。

―今でも仲が良いですか。
野中:仲良いですね。中学生の時から知っていますし、お互いの実家に泊まりに行ったこともあります。

―他に学んだことはありますか。
野中:そこで基礎を教えてもらって、「馬に乗るのは楽しい」ということを、3年間続けられたので、本当に良かったですね。施設も綺麗でしたし、環境としてはとても良かったです。

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VictorySportsNews編集部