ナイキの厚底シューズは天変地異をもたらし、マラソンのタイムは近年、一気に底上げした。また日本新で「1億円」という日本実業団陸上競技連合が作った報奨金制度も注目を集めた。
そんな流れの中、テレビ放送や大会は「日本新記録の更新が期待される」などのフレーズで盛り上げられるようになった。そして、そう煽るために、日本新を現実的に狙える選手を揃えることが必要になった。裏を返せば、駆け引きや勝負よりも、タイムに注目が集まりすぎて、目玉選手がいなければ、大会は盛り上がりに欠けるようになった。
今、選手は世界中の大会から幅広く出るレースを選べる時代だ。大会側は、選手から選んでもらえるような環境を整える必要がある。コース、気象条件はもちろんのこと、好記録を出すには、ペースを左右する他選手のメンバーも、重要なカギを握る。日本人だけでなく、2時間5分台を狙えるアフリカ勢に多くエントリーしてもらうことも求められる。
それを実現するための、出費は決して小さくない。東京マラソンの場合、出場料など選手招聘(しょうへい)には総額「約2億円」かかるともいわれる。実績のあるアフリカ勢を呼ぶ場合、1人につき相場は「1000万~300万円」になるという。世界トップクラスでは、「1000万以上」を求められるケースもあるのだという。レース賞金だけでなく、順位によるボーナスが組み込まれた〝出来高契約〟もあるそうだ。国内選手は、これよりは安くなる。とはいえ、レースも多様化する中、〝ギャラ〟は高額化していった。ランナーには歓迎すべきこと。しかし、大会側からすれば、大金がかかり、運営を苦しめる結果をもたらした。
日本のマラソン界は、エリート大会を中心として、発展をしてきた。びわ湖毎日、福岡国際ともエリートのみの大会である。一方で海外に目を移すと、1970年代にニューヨークシティマラソンが世界トップランナーからアマチュアの愛好家までが一緒に走る大規模なマラソンとして成功した。それをきっかけに、ベルリン、シカゴ、ロンドンなど数万人規模の市民ランナーとトップ選手が走る大都市型マラソンが世界的な主流となった。日本でも、それに倣った東京マラソンが存在感を増していった。また東京は「グローバルスタンダード」を掲げ、世界基準のタイムを出せるようにコースを高速に変更し、設楽悠太(Honda)や大迫傑(NIKE)が日本新記録を出してその期待に応え、歴史を塗り替えた。
びわ湖毎日や福岡国際のような、厳しい参加資格が求められる「エリート大会」は参加人数が少ないため、エントリー料による収入は多くない。収入はスポンサーや放映権などが中心となる。一方で、大規模マラソンでは数万人から出場料を得ることができる。それは大会側にとって、貴重な財源になる。
財布が膨らめば、好循環を生み出す。よりトップ選手の招聘は容易くなる。また豪華な顔触れがそろえば、大会の格、そして注目度は必然的に上がっていく。高い宣伝効果になることから、スポンサー獲得もしやすくなる。また昔と違い、マラソンは「見る」から「やる」スポーツへと変化をし、ランニングブームが生まれている。今やランニング人口は約1000万人とも言われる。企業からすれば、多くの市民ランナーにより大きな広告効果がある大会に協賛したいと思うのも自然な流れである。
びわ湖毎日も、福岡国際も、市民マラソン化する議論がされたとしている。しかし、大勢の市民ランナーの安全を確保するには、広い道路が必要で、交通事情などを考慮した結果、それはできなかったという。大会を主催していた新聞社の体力も、昔に比べて落ちている。不採算のイベントは、規模を縮小している状況だ。それは伝統のマラソン大会も、例外ではなかった。これからの男子マラソンは、東京に加え、新たにエリート枠を拡充して、新しくなる大阪と、大都市での大規模大会が支えていくことになる。
男子マラソンの好記録連発がもたらす弊害~コロナ禍と主催者の苦悩
日本の男子マラソン界は変革の時を迎えた。びわ湖毎日マラソンは2月28日の第76回大会を最後に滋賀県コースでの開催を終了し、大阪マラソンと統合される。それだけではない。福岡国際マラソンも12月5日の第75回大会をもって、長い歴史に終止符が打たれることになった。ともに世界陸上やオリンピックの代表選考会として知られ、マラソン人気をけん引してきた大会が、相次いで消滅する。「日本の男子3大マラソン」に数えられていたものは、07年に始まった最も歴史の浅い東京だけが残るという衝撃的な形になった。不採算により存続が難しくなったのが終了の理由だが、その背景には何があったのか――。
東京マラソン2020で日本新記録を更新した大迫傑選手/(C)Getty Images