「共に針を進められる同志」メンディさんとの出会いで、心が折れずに前に進むことができた

―メンディさんとの出会いを教えてください。
丹羽:元々、日本にいる時から知り合いでしたが、直接お会いした事はありませんでした。スペインで契約ができず、宙ぶらりんになっていた時に、たまたまメンディさんとビルバオ(スペインの都市)でお会いしました。
メンディさんは、僕を家族の一員のように、親身になって相談に乗ってくれて、異国の地で、この年齢になってこんなに信頼の置ける方と出会えることはないですし、本当にメンディさんとは心と心でずっと繋がっている関係性です。

―メンディさんが色々と動いてくれて、セスタオの練習参加にもスムーズに入ることができたのですか。
丹羽:そうですね。セスタオのGMや監督とZOOMをした時にも、メンディさんが一緒に入ってくれました。契約の詳細を詰めてくれたり、ビザの件も動いてくれていて、いなくてはならない存在です。

―お二人でよく話していたことはありますか。
丹羽:「自分軸をしっかり持って、針を右に動かしていこう」という言葉を、最近SNSで発信しているのですが、それが僕らの共通ワードとして、よく話していました。周りの人たちの他人軸を動かすのは難しいけど、自分軸を動かすことはいくらでもできる、「今自分達にできることを止まらずにやり続けよう」ということを常に話していました。一度止まってしまったら、再び動かすのにかなりのパワーを使うので、「1分1秒でも、自分軸をしっかり右に動かし続けていこう」という話しをしていました。
チームが見つからなかった時に、枠があるチームを片っ端から探すという、針の穴に糸を通すような作業を二人でしていたのですが、その行動は必ず、次に繋がると信じて、自分軸を動かし続けました。そのタイミングでセスタオからたまたま話しがあったのですが、これは自分達の針を動かし続けた結果、セスタオの話が舞い込んで来たと思っています。メンディさんは本当に心強く、共に針を進められる家族のようで同志のような存在です。

―本当にすごい出会いですね。
丹羽:たまたま別の仕事でビルバオ(スペインの都市)に来ていて、僕が宙ぶらりんになったタイミングでした。本当に縁とタイミングがガシャンっとハマりました。

「ビザが仮に取れても、試合がないかもしれない」ビザ取得のために一時帰国

―そこからセスタオに練習参加したのですか。
丹羽:そうですね。練習参加して、1日で契約が決まりました。前回のチームで、5週間かかって何も決まらなかったのに、セスタオでは1日で決まるという、怒涛の経験をさせてもらいました。練習参加した日の夜に、GMから「契約したい」と言われて、「こんなことが現実にあるんだな」と思うくらいの面白い経験をしました。その後、直ぐに契約書にはサインをしたのですが、そこからビザを取得するまで、ものすごい時間がかかりました。
当初、セスタオの関係者は、長くても1ヶ月くらいでビザが取れると思っていたみたいなのですが、実際に取れるまでの期間は2ヶ月半くらいでした。

―最初、1ヶ月くらいで取れると思っていたのですね。詳細を聞かせて下さい。
丹羽:セスタオにはクラブの顧問弁護士が付いていませんでした。
先ずは自分で弁護士を探すところから始めました。ここでも日本人コミュニティのシェフの奥さんのご紹介で、外国人登録などを専門にしている弁護士の方を紹介して頂き、その弁護士の方をセスタオのGMに紹介しました。
そしてその後、ビザの手続きを進めて行く中で、もしスペインで申請ができた場合、1ヶ月くらいでビザが取れるという話でした。
Subdelegaciónという外国人登録をする機関があるのですが、そこから最初に、仮ビザが出て、次に最大で45日以内に就労ビザの正式な許可書が出るという通達がありました。
その後、3週間くらいで正式な許可書が出たのですが、そのままスペインで申請しようとしましたが、実際は国によって制度が違うらしく、日本人は一度帰国をして日本のスペイン大使館でビザの取得をする必要があることが分かりました。
帰国するにもコロナの隔離期間があるので、日本に帰国しビザを取得してスペインに戻るまでに、約1ヶ月くらいかかってしまうという状況になり、そのことをセスタオの監督やGMに直ぐに伝えました。
その時は4月の頭くらいで、プレーオフに、もし進出できなかった場合、5月の頭にシーズンが終わっていた可能性があり、その時点でビザを取得してもプレーできない可能性もありました。
そんな状況の中、セスタオのGMや監督は、「ここまで一緒にやってきたから、プレーオフに進出することを願いながらDAIKIのことを待っている」と言ってくれて、次の日の飛行機を取って、日本に帰りました。

―凄い行動力と決断ですね。帰ってからどのように過ごしていましたか。
丹羽:家の近くの公園で毎朝ずっと一人でトレーニングをしていました。
スペインに帰っても試合がないかもしれないという可能性もありましたが、セスタオが勝ち進んで、プレーオフに進出することをずっと願っていました。
結果的に4月のプレーオフにチームは勝ち進み、5月からの試合に出場できる可能性が残りました。このような状況の中、ずっと僕のことを待っててくれていたチーム関係者には本当に感謝しています。

「環境や周りに言い訳をしない自分を作る」スペインに帰国して3日後、デビュー戦を迎え、確信に変わった自分のマインド

―仮にプレーオフに敗退した場合、ビザを取得してもプレーできなかったはずです。その中でのコンディション調整やモチベーションの維持は難しくなかったですか?
丹羽:試合に出場する為に日本に帰ってきているし、ビザの申請もしていたので、「やらないわけにいかない」と思っている中で、日本でずっと一人でトレーニングをしていました。
以前にもコラムで話しましたが、普段の生活から平生を整える事でモチベーションの浮き沈みがなく、常に自分自身の心を良い状態を保てるようになりました。

ー結果的にセスタオは、プレーオフ進出を決めて、丹羽選手自身も選手登録が完了してデビュー戦を飾ることができました。
どんなデビュー戦だったのでしょうか。
丹羽:スペインに帰国後、試合まで2日間のみのトレーニングだったのですが、3日後の試合にメンバーに入ることが決まり、後半開始直後に監督に呼ばれて、早速デビューすることになりました。その時の試合展開は、セスタオが先制し、後半開始に同点に追いつかれたタイミングで、投入されました。僕が入った直後に僕のパスが起点となってゴールが生まれました。その一点を最後まで守り切って、2-1で無事にデビュー戦を勝利で飾ることができました。

―素晴らしいデビュー戦の結果になりましたね。一時帰国中の日本では一人で約 1ヶ月トレーニング、そしてスペイン到着後3日後に試合を迎える中で、コンディションやメンタルに不安はなかったですか?
丹羽:そうですね。今回のデビュー戦までのプロセスで、いくらでも環境のせいにすることはできたと思います。
だけど、今回の経験でどんな環境に置かれても、自分自身でトップコンディションを作れるということが分かりました。
「長距離の移動で疲れた」「連戦だから疲れた」「ピッチコンディションが悪い」「クラブハウスが良くない」とか、そんなことは実際にはまったく関係なく、試合に向けて、自分自身が置かれた環境の中で調整しようとすれば、いくらでも調整できるということを経験しました。「環境に言い訳をしない自分を作る」ということが、特にプロの世界では大事だと思います。
結果が出ないことを環境のせいにするのではなく、その環境の中でどれだけ自分自身でいい準備をして、最大のパフォーマンスを引き出せるかを考えるのが大切です。今までも、そのマインドは持ち続けていましたが、今回の経験でより確信に変わりました。

―対人練習も全く出来ずに、試合に挑んだような形ですよね。
丹羽:対人練習はゼロで、家の近くの公園で、毎日体を動かしながらイメージトレーニングばかりをしていました。
要は脳トレです。脳を常に活性化させて良いイメージをどんどん膨らましていました。
他にもZOOMのアプリを使って、毎日色んな知り合いの方と話をして脳に刺激を入れたり、時には息子と一緒に朝練をしたり、子どもたちを学校に送った後は、妻と二人で走ることもありました。置かれた環境の中で、自分でアレンジしながら楽しく脳トレと身体のトレーニングをしていました。

―本当に言い訳できないですね。
丹羽:試合で自分の良いパフォーマンスが出来なかったことに対して、周りの環境が原因であるということはゼロです。与えられた環境の中で、自分が何をできるかを探すことが大事で、良い環境があるなら、その環境を最大限生かせば良いし、グラウンドがないとか、練習相手がいないという状況でも、試合に向けて準備はいくらでもできるし、実際に今回、その中で僕自身がスペインで結果を出すことができました。移動に時間がかかると言っても、僕は20時間以上かけて飛行機で移動しましたし、尚且つ日本との時差も7時間あったので、移動の疲れや時差の問題などは全く言い訳にしてはいけないと思います。

―それでも正直、試合を迎えるに当たって怖さはありませんでしたか。
丹羽:不安要素を上げれば切りがありません。
ただその時はビザが取れた嬉しさと、試合に出られる喜びしかなかったです。
ビザ取得後もスペインサッカー協会と、日本サッカー協会で、最終手続きの問題で選手登録の照合をしなければいけなくて、時差の問題があり、その手続きにも時間がかかるので、ビザが取れた瞬間に両国のサッカー協会の方に直接連絡をして、最短の試合に出られるようにお願いをしました。
日本サッカー協会の方も迅速に動いて頂き、その時は18年間Jリーグでプレーしていて本当に良かったなと思いましたね。
これまで色々な方が動いてくれて、スペインに帰国して3日後に試合に出ることができたのも、自分軸を動かし続けることで、その結果、他人軸が自然と動き出してくれたのだと思っています。
Jリーグの時は、クラブの方や代理人が全て手続きをやってくれて、僕自身が選手登録をするという作業を全くしたことがなかったので、色々な意味で勉強になりましたし、ビザの関係や、協会の仕組み、クラブ同士のやり取りなど、この年齢でまた新しい経験を積むことができました。
Jリーグから海外移籍する場合、通常はクラブからパソコンなどで移籍の書類等々の連絡を送り合うのですが、僕は時差の問題などがあり、クラブ間で少しでも早くやり取りが出来た方が良いと思っていたので、FC東京のクラブの方に直接必要書類を頂き、自分自身でスペインに持って行きました。
そして、契約が決まった瞬間に、クラブの方に直接書類を手渡しして、スムーズに移籍の手続きが進むように、徹底的に準備をしていました。
そうした経緯を全て経て、スペインでデビューをすることができました。

【丹羽大輝コラム】Vol.6「怒涛の1ヶ月だった」監督解任の影響で契約できずに焦った1ヶ月

日本代表にも選出されたこともある、日本を代表するディフェンダーの丹羽大輝選手。Jリーグのガンバ大阪、サルフレッチェ広島、FC東京など数多くの強豪クラブを渡り歩き、今はスペインのセスタオリーベルクラブに所属。ピッチ外でも、復興支援活動や、ファン、サポーターの方と文通など、精力的にサッカー選手の価値を生かすために活動している。そんな彼が、Vol.6では、スペイン挑戦のために渡航した後、今のチームに所属するまでの経緯を語ってくれた。

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VictorySportsNews編集部