開催が危ぶまれた男子サッカー初戦

 発端は7月18日、選手村に滞在していた南アフリカ(以下、南ア)代表の選手2人とスタッフ1人が新型コロナウイルスの検査で陽性と確認された、とロイター通信が報じた。東京五輪の大会組織委員会も南アチームで陽性者が発生したことを認めた。南アの選手たちは7月14日に日本に到着し、空港での検査では全員が陰性となっていた。その後は外部との接触が基本的にないバブルの中にいた。つまり、陽性者が検査をすり抜けて入国したか、安全なはずのバブルの中で感染が広がったか、いずれかの可能性があった。
 影響は他ならぬホストチームの日本に及んだ。23日の開会式に先立ち、22日に東京スタジアムで予定されていた1次リーグA組初戦のカードが日本対南アフリカだった。国際サッカー連盟(FIFA)などは登録選手13人を確保できれば試合は開催可能との認識を示した。しかし、南アチームでは当初、スタッフを含む21人が濃厚接触者と判定されていた。後に保健所の追加調査によって18人に減ったものの、彼らの感染状況によってはプレー可能な選手を確保できずに試合が中止に追い込まれる可能性が浮上した。

 五輪初戦のトラブルを巡っては日本に苦い記憶がある。前回2016年リオデジャネイロ五輪の第1戦はナイジェリアが相手だった。試合会場は酷暑で知られる北部のマナウス。しかし、航空券の発券トラブルなどでナイジェリアは事前キャンプ地の米アトランタから出発できずにいた。周囲をやきもきさせたナイジェリアの現地到着はキックオフの6時間半前。ゴタゴタの中で迎えた試合は4-5の乱戦となり、日本は黒星を喫した。勢いに乗れなかった日本は1次リーグ3試合で1勝もあげられぬまま大会を早々に去ることになった。
 「まさか同じような状況になるとは思わなかった。その経験があることもポジティブ」と話したのはリオ五輪代表のキャプテンで、東京五輪にも年齢制限のないオーバーエージ(OA)枠で参戦していたMF遠藤航(シュツットガルト)だ。濃厚接触者がいるチームと対戦することへの不安についても「試合をして感染したという前例は聞かないし、ほぼないと思う。自分たちにできることは準備することだし、せっかくの五輪なので、ぜひ南アフリカと試合をしたい」と平常心を強調していた。同じくOA枠で参加した主将のDF吉田麻也(サンプドリア)も「陽性者はスコッド外にして戦うやり方をイタリアで1年間やってきた。個人的には全く問題ないと思っている。ホテルで僕らは非常に厳しいルールのもとで生活している。そこの面でも危険を感じることは今のところない」と語り、日本チームに浮足立つ様子は見られなかった。

 大会開幕前、FIFAは新型コロナウイルスの感染拡大に備え、各チームの選手登録数を18人から22人に拡大していた。しかし、試合開催に必要な13人を確保できない場合はどうなるのか。Jリーグであれば、選手を揃えることができずに試合が中止され、代替の日程も確保できない場合は、原因となったチームが0-3で負けた扱いとなる「みなし開催」の規定が設けられている。しかし、五輪では明確なルールが示されておらず、FIFAが状況に応じて判断することになると見られていた。組織委とFIFAは、キックオフの6時間前以内に実施するPCR検査で陰性が確認できた選手の出場を認める方針だった。日本―南アフリカ戦の開始予定時刻は午後8時。南アチームが検査を経て、17人の登録選手を確保し試合が開催できることが明らかになったのはキックオフ2時間前の午後6時前後だった。

勇敢に立ち向かった南ア戦士に着せられた汚名

開催にこぎつけた試合は、5バックで守りを固めてカウンターを狙う南アフリカのゴールをMF久保建英(レアル・マドリード)が後半26分にこじ開け、日本が1-0で制した。試合後の記者会見の冒頭、新型コロナウイルスの影響について報道陣から問われた南アフリカのデービッド・ノトアン監督が「個人的には新型コロナについて多くを語りたくない。最初はサッカーについて話したかった」と苦言を呈する一幕もあった。ただ、ノトアン監督は「我々は難しい状況にあった。隔離され、満足に練習できず、部屋を出るのは食事を取りに出る時くらい。精神的に厳しかった。数人の選手を欠き、いつもの自分たちのサッカーをできなかったが、選手たちを誇りに思う」と率直に語った。さらに「一つ考えてほしいのは、我々に汚名が着せられたことだ。我々に近づいて来てから離れていく人もいた。これは敬意を欠いている。(陽性者以外は)5日間検査を受けて全員が陰性だった。大会中に新型コロナに感染することは誰にでも起こりうる」と訴える姿も印象深かった。

バッハの主張と世論とのギャップ

 実際、大会終盤には選手村でギリシャのアーティスティックスイミングチームで初の「クラスター」が発生した。空港やホテルなどでは、選手と一般の旅行客やファンとの導線が完全に分かれていないといったバブルの「抜け穴」も次々に明らかになった。そして、大会期間中の日本は感染拡大の「第五波」に飲み込まれた。国内の新規感染者が過去最多を更新し続け、閉会式を迎えた8日には1万4472人に達した。組織委は大会関係者を対象に62万回以上の検査を実施し、陽性だったのは0・02%に当たる138件にとどまったと明らかにし、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長も閉会式で「ともに困難な時代を生きているが、五輪が世界に大切な贈り物をした。それは希望だ。パンデミック以来、世界が初めて一つになった。何十億の人の心を一つにした。喜びと感動を共有し、希望をもたらした」と強調したが、手放しで五輪の波及効果を喜べる状況にはない。

今後も問われ続けるコロナとの向き合い方

 国境を越えて観客が行き交う、サッカーの国際大会では当たり前だった光景が日本で再び見られる日は、まだまだ先になるだろう。東京五輪と同じく、新型コロナウイルスの影響で1年延期を余儀なくされ、今年6、7月に11カ国で分散開催された欧州選手権(EURO)では観客の入場が認められた。スタンドや街角ではマスクを付けず、大声を上げて騒ぐファンの姿が当たり前となっていたが、スコットランドでは欧州各地に赴いてEUROを観戦したり、イベントに参加したりした約2000人の市民が新型コロナに感染したことが明らかになっている。うち約1300人はスコットランド―イングランド戦に合わせて会場のロンドンを訪れていた。さらに、フィンランドではEUROで自国代表を応援するためにロシア・サンクトペテルブルクへ赴いた約300人の集団感染も発覚した。来年11月に開幕するワールドカップ(W杯)カタール大会までに状況がどれほど改善されるのか、予断を許さない。


大谷津 統一

毎日新聞記者。2016年から東京本社運動部で主にサッカー、ラグビーをカバーしている。FIFAワールドカップロシア2018は現地で21試合を取材。UEFAチャンピオンズリーグや女子W杯の取材経験もある。19年ラグビーW杯日本大会では取材班キャップを務めた。F1、ルマン24時間などモータースポーツの取材経験も多い。慶應義塾大卒。北海道出身。