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Jリーグに出向、J2行脚が始まる

 タイトルを取り、よりホームタウン活動に精を出していた伊藤氏に転機が訪れる。2010年Jリーグへの出向が決まった。役職はリーグ事業部のアシスタントマネジャー。ガンバ大阪はオリジナル10(93年の創設時に名を連ねていた10クラブ)なので、J1のスタジアムについてはすべて知っていたが、J2は行ったことがないスタジアムがほとんどだった。その話をすると、J2クラブのスタッフから「J2のクラブに行ったこともないのに、それでよくガンバでホームタウン活動が…とか言ってますね。行ったことないのに、J2のクラブの話をしないでくださいよ」と言われた。よーしそれならば、と翌週から毎週土日を使って、J2のクラブを行脚した。

「試合の前の日にいって、J2のクラブスタッフと会議と懇親をし、どんな課題があるか、いいところは何かを聞いてまわりました」

 Jリーグの関係者はタクシーで来て、帰りもタクシーを呼んでサーっと帰るなんて話を聞いたので、ファンと同じ経路でスタジアムにきて、試合が終わると、スタジアムに着くバスを待ってサポーターと一緒に帰った。

J2落ち危機に復帰要請

 J2クラブを巡り、さまざまな経験をしていた2012年のシーズン途中、クラブから急きょ呼び戻される。黄金時代を築いた西野朗監督が前年のシーズン限りで退任。長期政権に終わりを告げた。セホーン氏が監督になったが、開幕から公式戦5連敗。強化担当者も含めて総退陣した。このタイミングで現場もフロントもよく知る伊藤氏に復帰要請がなされたのだ。当時コーチだった松波正信(現監督)を指揮官に立てたが、この流れを止めることはできず、初のJ2降格が決定した。

「こっち帰ってきたら、J2に落ちて、翌年全部知っているJ2のスタジアムに行くことになりました」

 転んではただでは起きない。J2のスタジアムの看板やパンフレットにはやたらと地元の個人名がある事に気づいていた。

「小さなタバコ屋さんとか。見習ってちょっとあしながおじさんやりませんかと、しらみつぶしに声をかけていきました。吹田で同業者がやっているなら、茨木は俺がやるわと繋がっていった。あいつがやっているなら、やるよとか。それが青少年健全育成や環境事業、街のにぎわい作りのためのアシスト(協賛)として協力をお願いするガンバシスト(GAMBAssist)サポートファミリーにつながりました。地域のあしながおじさんが出してくれる3万円から50万円のお金を集めたら、約300名で3000万円ぐらいになりました。300万円の看板が10社あっても、景気が悪くなったら、すぐになくなる。それだったら、こういうことをやっていったほうがいいんじゃないかというのは、J2にいって気付かされたことは、ほんと沢山ありました」

鼻を折られるべきタイミングだったJ2陥落

 2013年長谷川健太監督を迎えたガンバ大阪は圧倒的な力でJ2を制し、1年でのJ1復帰を果たした。日本代表の遠藤ら主力が残留し、シーズン中にはFW宇佐美貴史の復帰もあった。行く先々のアウェーのスタジアムが満員になるという現象が起きた。

「ありがたいことにJ1のガンバ大阪というイメージがあったようで、ホームチームの相手が大差で負けた試合でも、試合後、向こうのサポーターが列を作ってガンバのグッズを買ってくれるわけです。愛媛にいったときもいい試合をして、遠藤がCKを直接決めて勝ち越しました。すると満員のファンが、立ち上がってうわーって喜んだんです。ちょっと待って、愛媛さんは負けてるんですけどって。日本代表選手の高い技術を見て喜んでいるんです。そう考えると、降格したことによって、街を活性化したのかなと。J2は地元のチームを応援するけど、J1はガンバというような感じでファン層が広がりました。J2で優勝して、翌年J1で3冠を取ることができました。J2は2度といきたくないですが(笑)、鼻を折られるタイミングだったのかなと。苦しいことを何度か経験しないと本物が見えてこないというか、30年もやっていれば、いろんなことがあります。華やかなときもあるけど、ドツボに落ちたときもあった。結果J2に落ちたけど、あれはあれで、今思えばよかった。新しいファンをすくい上げることもできた。人間万事塞翁が馬じゃないけど、苦しいときに人の本質が見えてきた感じがしますね」

 このJ2に落ちた2013年は新スタジアムの建設募金が始まった翌年のシーズンだった。いまでこそクラウドファンディングという手法が世の中に浸透しているが、当時はその概念はなく、ひたすら企業と個人にお願いするのみ。そのころ、責任企業のパナソニックは2期連続で7500億円の大赤字を出していた。2011年には東日本大震災もあった。震災の復旧工事で多くの工員が駆り出され、日当が高い東北に作業員が集まり、人手不足にも陥った。鉄などの原材料の値段も高騰し、建築計画の練り直しも迫られた。2008年に起こったリーマンショックのダメージもまだ日本経済に色濃く影を落としていた。

「J1に上がった2014年に、まさかの3冠を取れました。天皇杯の決勝は翌年の1月にアジアカップが行われるため、12月中旬に開催。天皇杯を勝ってから、あと10日ぐらいの営業日で個人で約2億円ぐらいの募金が集まった。みんなの琴線にふれるような結果を出すと、大阪の人って動くんかなあと思いましたね」

2014年リーグ優勝時の写真。右下で喜ぶのが伊藤氏だ【 (C)GAMBA OSAKA】

SDGsを意識。社会課題を一緒に解決、共創社会を目指して

 寄付は企業が約100億円、個人が約6億円、toto(日本スポーツ振興センター)の助成金など約34億円が集まった。計約140億円かけて誕生した市立吹田サッカースタジアムが2015年に竣工した。2018年に責任企業がネーミングライツを取得し、パナソニックスタジアム吹田に名称が変更された。どこからでも見やすいスタジアムはアジアNO1を自負している。コロナ禍の中にあり、すべてのプロスポーツが難しい舵取りを迫られる中、2021年10月1日、クラブ創立30周年を迎えた。クラブ一筋で過ごしてきた伊藤氏はどんな未来像を持っているのだろうか。

「SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)がひとつのキーワードになっていくんじゃないでしょうか。街の課題解決を自治体とともにクラブが連携していく。SDGsの11番に持続可能な街という目標があり、住み続けたい街という部分で我々の活動と重なります。4番の教育は学校で子どもたちと触れ合う活動に通じるところですし、3番の保健(健康)も、高齢者が介護にならないために介護予防の活動をするとか、健康寿命を延ばすとか、この街に住み続けたいという目標にリンクしています。

 そういった課題解決を地域のみなさんと一緒にガンバ大阪としてやっていきたいというのが、いまからのリアルな目標になってくる。これまではサッカースタジアムという非日常空間の中での非日常体験を売ってきましたが、SDGsという大きな輪の中で日常1年365日の中で、街の課題はあれやろ、どうしていったらいいだろう、ということをガンバ大阪と一緒に考えながら、継続的にやっていけば、ガンバがこの街にいてよかったね…といってもらえる存在になるんじゃないでしょうか。どこかの会社だけ儲かっていればいいという考え方でなく、「共創の社会」を作り上げていく。このクラブ30周年が未来に対して、我々はこうありたいみたいなものを言い続けるきっかけになればいい。

 SDGsは2030年までのアジェンダですが、我々はもっと先まで考えてやっていかないとあかんのちゃうかなと思っています。いかに地域にいてほしいと思ってもらえる存在になれるか。パナスタをフットボールの聖地にしたいと思っていますけど、スポーツやエンタメでも地元の人たちの聖地にもしていきたい。いろんなところと連携していって、社会課題を一緒にやっていく。未来に向かって、共創社会を作っていく。そこにみなさん乗っかっていきませんかというリーダーシップを取っていきたい。地域に住み続けるみんながハッピーになって、笑顔になるスタジアムを作っていく。そのキーとなる団体になりたい。ガンバは30周年を迎えました。プロ野球には長い歴史があり、Jリーグは追いかけていく存在であります。いまお話したようなことをしっかりとやっていけば、あと20年経って、50周年を迎えたころに、プロ野球とほぼ一緒の価値になっていればいいのかなと思いますね」



「ガンバ大阪勤続歴30年。裏方としてクラブを支え続ける男のこれまでとこれから(後編)」・了


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伊藤 慎次(いとう・しんじ)
1967年(昭和42年)4月29日生まれ、54歳。三重県三重郡菰野町出身。菰野中からサッカーを始め、四日市中央工高では右ウイングで、2年次にインターハイ全国制覇(秋田)、3年時に全国高校サッカー選手権で決勝に進出、清水市商高に敗れ、準優勝。東海大では1年時に全国制覇し、4年次に学生コーチ。卒業後松下電器入社。ガンバ大阪では、広報、2002年日韓W杯では長居スタジアムでのプレスオフィサーを務める。2010年からJリーグ事務局に出向。2012年途中ガンバ大阪に戻り、ホームタウン担当などを歴任し、現在営業部部長。

ガンバ大阪勤続歴30年。裏方としてクラブを支え続ける男のこれまでとこれから 「初優勝の時は、ホームタウンの居酒屋で迎えました(笑)」

2021年10月でクラブ創立30周年を迎えた関西の雄・ガンバ大阪。リーグ優勝2回、シーズン3冠、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)での優勝など、獲得したタイトルを示すユニホームの星の数は9個。切れ目なく育成組織から日本代表選手を輩出し、東京五輪2020では、GK谷晃生、FW堂安律、FW林大地らが活躍した。

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ガンバ大阪勤続歴30年。裏方としてクラブを支え続ける男のこれまでとこれから 「お客さんが少ないので、練習試合ですか?と聞かれたこともあった」

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大澤謙一郎

著者プロフィール 大澤謙一郎

サンケイスポーツ文化報道部長(大阪)。1972年、京都市生まれ。アマチュア野球、ダイエー(現ソフトバンク)、阪神担当キャップなどを務め、1999年ダイエー日本一、2002年サッカー日韓W杯、2006年ワールド・ベースボール・クラシック(日本初優勝)、阪神タイガースなどを取材。2019−2021年まで運動部長。2021年10月から文化報道部長。趣味マラソン、フットサル、登山。