「伝えたい想いがあった」未曾有の事態にも、前向きな決断を

ー2016年から東京2020オリンピックのオフィシャルパートナーとして活動されていましたが、契約を締結された経緯を教えてください。

久家 実氏(以下:久家):私たちと東京2020オリンピック・パラリンピックの関わりは、2013年以前の招致活動にまで遡ります。「東京オリンピック・パラリンピック招致委員会」のオフィシャルパートナーとして関係者のサポートに携わり、56年ぶりの自国開催を心待ちにしていました。締結の背景には、56年ぶりに自国開催されるオリンピック・パラリンピックの成功をサポートすること、また「スポーツホスピタリティー」を日本やアジアで広めたいという想いや、東北復興への貢献、パラスポーツの普及など、世界中から注目されるこの機会を業界の発展に活かしたいという目的がありました。

ーJTBのイメージする「スポーツホスピタリティー」とは何でしょうか?

久家:観戦チケットに本格的な食事や飲み物、場合によってはエンターテイメントなども組み合わせた「非日常体験に伴う交流の創造」です。「スポーツホスピタリティー」は、欧米ではメジャーなものですが、日本ではあまり知られていません。STH(イギリスのスポーツトラベル&ホスピタリティー会社)の日本支社を設立して共同事業を進め、0からマーケットを作りあげることを目標としましたが、無観客での開催となり思い通りの実現とはなりませんでした。

ー今大会では、各所で難しい判断が求められたことと思います。

久家:コロナが猛威を振るう中、前向きな判断を行えた理由の一つは、根底に「復興五輪」の気持ちがあったからこそ。国内の豊かな観光資源に生かされている会社として、この機会を活かすことを考えました。

ーオリンピック期間中の東京・お台場では、「復興五輪」を体現する企画として「Feel the TOHOKU」が実施されました。

久家:東日本大震災から10年、改めて東北の復興への願いとアフターコロナの旅行会社の役割として“未来のツーリズム/New Normal Tourism”を提案する場を展開しました。東北6県の特産品を使用したデザートかき氷の販売や、南部鉄器の風鈴で涼を感じるリアルでの演出に加え、非接触による旅先提案などデジタルでの新しい観光情報提供を実施しました。緊急事態宣言下において、東北の美酒をご案内できなかったことが心残りですが、来場者のみなさまには楽しんでいただけたのではないかと思います。

ーコロナ禍でなければ、インバウンドへの期待も大きかったのではないでしょうか。

久家:そうですね。事前の想定では、観光地にキャパシティ以上の観光客が押し寄せる「オーバーツーリズム」を懸念し、混雑状況をWEB上で把握しお客様にご案内するソリューションの開発を進めていたほどです。コロナ禍以前から取り組んでいたことですが、観光客の期待値が高い食事面において、スマートフォンを利用した非接触・完結型の多言語対応のメニューオーダーシステムを築くことができたことは、今後の社会においても活かせると考えています。

ー当時を振り返って、思っていたことの何割を達成できましたか?

久家:事前に思い描いていたプランは、完全な状態で実行することはできませんでしたが、状況が許す範囲のなかでのベストは尽くせたと思います。

現役アスリートの支援などを通して、スポーツ界の活性化に貢献

ー2019年からスポンサー契約をされている、フェンシング男子フルーレ 松山恭助選手の活躍も注目を集めました。

久家:彼は、新入社員として迎えた「当社初のオリンピアン」です。同期入社メンバーを中心に応援団を作り、現地での観戦予定を計画していたのですが、それも叶わず。次回のパリでは、今大会以上に盛り上げていきたいと思います。

ー通常の社内業務も行っているのでしょうか。

久家:基本的には競技に専念してもらっています。彼がフェンシングで活躍してくれることが、何よりも大切です。彼自身の内定式等で話をしてもらったりしています。また今大会での松山選手の活躍を社内報で取り上げた際のアクセス数はすごかったですし、事前に募集した応援の寄せ書きにも多数のメッセージが集まりました。社内一丸となっての応援体制というムードを作り出せたことも大きいですね。

ー松山選手の印象を教えてください。

久家:礼儀正しく、とにかくストイック。東京2020オリンピックが終わってすぐに会った時に「パリに向けて準備をします」と。間髪入れず練習に励む姿に、日の丸を背負うことの重さを感じました。ただ、少し休んでほしいというのが本音です(笑)。

ーパリ五輪に向け、期待も高まりますね。

久家:フランスは、フェンシング発祥の地の一つ。彼はすでに2024年を見据えて動き始めているので、私たちももっとたくさんの人に観ていただけるよう全力でサポートしていきます。選手自身が孤独な練習から解放されて、観客も大々的に応援できる環境になることを願っています。

松山選手が持っている国旗には、JTB社員の寄せ書きが

旅行会社の枠を超えて。JTBが描く「交流創造」実現の未来

ーパラリンピック開催に合わせ、次世代に向けたプロジェクトも一部実施されたそうですが、振り返ってみていかがですか?

久家:パラリンピックやパラスポーツの意義を次世代に伝えたいという想いから『POTENTIAL MEETS YOU.可能性に会いに行こう。』を実施しました。参加者からは大変好評で取り組みに対しての手応えを感じています。

ー具体的にはどのようなことを行ったんでしょう?

久家:他のパートナー企業様と連携し、東北の中高生たちにパラスポーツの体験をしてもらいました。生徒たちを招待するはずだった試合は無観客開催のため断念し、オンライン上でパラアスリート等との交流を実施しました。プロジェクトを通して、企業・学校・自治体が繋がり、新たな価値を生み出すことができたと感じています。

ー生徒たちも実際に体験をすることで、パラスポーツの意義に触れることができたんですね。

久家:できる範囲での交流ではありましたが、子どもたちが持ち帰ってくれたものは大きかったと思います。これからも企業、学校、地域が連携し、社会の持つ可能性や、日本の未来を見せる機会を創り続け、レガシー創造に貢献したいですね。

ー今後、オリンピックに限らず様々なスポーツの大会が開催されますが、今回の経験を生かしてどのような役割を果たしていきたいですか?

久家:今回の大会は、スポーツの持つ力を改めて感じることのできる機会でした。誰も体験したことのない困難のなか、図らずもデジタル化が進んだ面もありました。今後は「旅行会社」としてのJTBの枠を飛び出し、スポーツを通じた交流を創造する事業や企画を推進していきたいと思っています。人を運ぶ旅行だけではなく、日本だけでなく世界の観光資源のプロモーションやマーケティングビジネスなども積極的に行い、人々の交流を作るために必要なコンテンツを生み出していきたいですね。

ー最後に、久家さんにとってこの5年間は長かったですか?

久家:長かったですね。。東京2020大会が決まったブエノスアイレスから数えて8年間、コロナ後の最後の1年半は本当に長く感じましたね。重要な局面において決断を迫られる日々の連続でした。コロナ収束後の未来を見つめて、ただひたすらに駆け抜けたと言っても過言ではないです。
今は、アフターコロナの社会で「スポーツの持つ力」をどのように活かしていくかということばかり考えていますね。いい歳をして、まだまだ自己成長をしていきたいと考えています。これからも、「JTBだからこそできる」スポーツを通じた交流を実現していきたいですね。



編集/構成:小田菜南子、執筆:横畠花歩


小田菜南子