「高津監督って、選手がプレーしやすい環境を整える監督なんですよね。コーチも仕事がやりやすいだろうし、選手のモチベーションも含めて、今年のヤクルトはチームが1つになって戦う姿勢ができていた。高津さんは(監督就任まで3年間)2軍監督もやっていて、若い選手の性格や長所、そうでないところもある程度把握しているから、どの選手をどこで使ったら力を発揮するとか、その辺を分かっているのも大きかったと思います」

 今季は序盤、なかなかラインナップが固まらなかったが、コロナ禍により来日が遅れていたホセ・オスナとドミンゴ・サンタナの両外国人が合流したことで、レギュラーはショートを除いてほぼ固定。控えの選手にも、適材適所で明確な役割が与えられるようになった。

「どう起用すれば選手が活躍できるのかっていうのを、選手の立場になって考えていたのかなと思いますね。代打もそうだし、継投もそうなんですけど、何か迷いがあったり、ここっていうタイミングがズレると、選手って力を発揮しにくいんです。だから選手が力を発揮できるようなシチュエーションで送り込む、そのための準備をさせるっていうところが上手くいってないと、なかなか結果っていうのは繋がってこないんですね。その辺のやりくりも含め、去年1年間(監督として)やっていて、何が足りなかったのかっていうのを感じながら今年はやっていたんじゃないのかなと思います」

 惜しくもあと1本届かなかったものの、プロ野球のシーズン代打安打記録に迫った川端慎吾の打率.366を筆頭に、代打陣が打率.256、得点圏打率.324、途中出場選手全体でも打率.255、出塁率.325といずれもリーグNo.1の数字をマーク。リリーフ陣がリーグ新の149ホールドを積み上げ、6球団中2位の救援防御率3.21を記録しているのも、たまたまではないということだ。

「役割がハッキリしているか、していないかってすごく重要で、選手に迷いがなくなるんですよね。野球だけに集中できるんですよ。選手って『え、なんでここで?』とか、そういう『なんで?』が重なってくると、力を発揮しにくかったりするんです。もちろんずっと当たり前の流れで行ってしまうと、それはそれで怖さがあるので、マンネリ化を防ぐためにも何か刺激を入れる時も必要なんですけど、選手にとって分かりやすい動きをする事が、チームとして力を発揮するためには必要なことだったのかなと思いますね」

一枚岩になったスワローズ

 もちろんそこにはコーチ陣の支えもあった。チーム防御率1つ取っても劇的に改善された投手陣でいえば、独立リーグ監督、楽天コーチを経て、4年ぶりに復帰した伊藤智仁、現役時代からチーム一筋26年目の石井弘寿両コーチである。

「石井さんはヤクルトでずっと長いですし、伊藤さんに関しては違うチームに行くことによって、何か新しいものを持って来たんじゃないかなと思います。それを上手くチームに生かせたのも、僕は監督の力だと思うので。その辺の関係性に関して言うと、監督もコーチもかなりやりやすさは感じていたと思いますし、そこで何か意見が大きく分かれてっていうことは考えにくいですよ。そこは首脳陣が一枚岩になってるからこそ選手もなれるんであって、首脳陣がそうなれてなかったらやっぱり選手は感じますから」

 一枚岩になった首脳陣の下、ナインも一丸となって戦った。もっとも高津監督も優勝までは考えていなかったのではないかと、五十嵐氏は指摘する。

「ここまで上手くいくとは思ってなかったんじゃないですかね。たぶん小さな作業を繰り返してきたと思いますよ。何か派手に大きなことをやってやろうっていう感じじゃなくて、その時その時でどう勝つか、その次に勝ちに繋げるためにはどうするべきかっていうところを本当に謙虚に見つめ続けて、地道にやり続けた結果だと思います。

 選手たちも、去年もおととしも最下位だから勝ち方を知らないんですよ。だからこうしたらチームが勝てる、高津監督がこういう野球をやっていけば勝てるっていうのを証明したので、それも確実に選手の自信に繋がったと思います」

 五十嵐氏は現役時代、クローザーだった高津監督に繋ぐセットアッパーの役割を担ってこともあるのだが、「守護神・高津」が将来、監督としてヤクルトを優勝に導く姿は想像できていたのだろうか?

「全然、不思議じゃないです。抑え(投手)として結果を正面から受け止める、ある程度自分で責任を背負っていくっていう野球に対しての向き合い方は、変わっていないと思うんですよ。現実を受け入れて、向き合って、どう次に対処するかっていうところのやりくりが非常に上手い人でした。切り替えもそうですし、何か良くない時に『じゃあ、次にどうしようか』みたいなところの対処は早かったような気がしますね。

 もちろん打たれた時は、悔しい感情って絶対あったと思うんですよ。去年の(監督としての)戦い方を見ても、悔しい表情だったり、どうすることもできないもどかしさとか、どうしたらいいんだっていう迷いもすごくあったと思います。その悔しさを選手にも伝えて、悔しさを忘れちゃいけないし、じゃあ(やり返すには)どうするかっていうところで、タイミングを見て言葉をかけたりだとか、その声のかけ方であったり、かけるタイミングっていうのも高津さんらしいなと思いましたね」

 首位の阪神と3.5ゲーム差で敵地・甲子園に乗り込んだ9月7日からの3連戦。その初戦を前に行われたミーティングで、選手に「絶対大丈夫」という言葉を送ったのも、実に高津監督らしいと五十嵐氏は言う。

「ああいうのも、高津監督ってなんとなくじゃないんですよ。選手って不安を常に抱えてるんですけど、あの言葉で何か心が『100』になるというか、行けるんだって思わせるタイミングでしたよね。あれでタイミングがズレたり、本当に心から思ってなかったりすると結果がまた違ってくるので。うん、あのタイミングですね。プレーヤーの時から、高津さんはああいった感じがありました。感性がズバ抜けて良かったんですよ」

「このチームスワローズが一枚岩でいったら、絶対崩れることはない。絶対大丈夫。何かあったら僕が出ていくから」という熱い言葉が指揮官の口から飛び出してから、ヤクルトは7割近い勝率で勝ち進み、阪神を抜いて逆転優勝。20年前は若松勉監督の下、チームをリーグ優勝に導いた指揮官が、今度は監督として横浜の夜空の下で5回宙に舞った。

※文中の今季データは10/27現在
(了)

1年目の奥川を間近で見てきた五十嵐亮太が見る、活躍の要因。力を発揮しやすい環境が今のヤクルトにはあった

阪神とのデッドヒートを制して、2015年以来、6年ぶりのセ・リーグ王者に輝いたヤクルト。その最大の勝因は投手陣にある。昨年はリーグワーストの4.61だったチーム防御率は、今季はリーグ3位の3.45と劇的に改善。計149ホールドでリーグ新記録を樹立した救援陣はもちろんのこと、昨年は計17人を起用して26勝しか挙げることのできなかった先発陣が、今年は12人で合わせて49勝を挙げたのも光った。

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菊田康彦

1966年、静岡県生まれ。地方公務員、英会話講師などを経てメジャーリーグ日本語公式サイトの編集に携わった後、ライターとして独立。雑誌、ウェブなどさまざまな媒体に寄稿し、2004~08年は「スカパー!MLBライブ」、2016〜17年は「スポナビライブMLB」でコメンテイターも務めた。プロ野球は2010年から東京ヤクルトスワローズを取材。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』、編集協力に『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』などがある。