本音をぶつけ合い、チームの空気が変わった

 ドイツW杯最終予選。北朝鮮、イラン、バーレーンと同組に入った予選で、早々に日本は危機的状況に陥る。

 2005年2月9日の北朝鮮との初戦に、FW大黒将志の劇的なゴールで2-1と辛勝したジーコ・ジャパンだったが、3月25日の敵地テヘランでのイランとの第2戦を前に、不穏なムードが漂い始める。股関節のけがからMF中田英寿が復帰したことに伴い、3-5-3から4-4-2布陣へと回帰した中、試合を2日後に控えた練習でトラブルが起こった。中田とMF福西崇史がピッチ上で口論。2人のポジショニングを巡る見解の相違が原因だった。

 試合はその“混乱”を引きずるように1-2で完敗。主将のDF宮本恒靖が、帰国便の機内でジーコ監督にシステムを3-5-2に戻すよう直談判する事態へと発展した。これが一時的には功を奏し、中田と福西をボランチに据える3-5-2の新布陣で同30日のバーレーン戦(埼玉)に何とか勝ち切ったが、事態は深刻さの度合いを増す。2勝1敗で迎えた6月3日のW杯最終予選・バーレーン戦(マナマ)、同8日の北朝鮮戦(バンコク)を前にした国際親善試合でペルーとUAEに連敗。チームは最悪の雰囲気で直前合宿地のUAE・アブダビに降り立った。

 ここで、チームの統一感のなさに危機感を抱いたのが主将の宮本だった。練習、夕食を終えた午後11時。「ちょっと遅いけど、みんな集まってくれ」と呼び掛け、リラックスルームに選手のみ20人余りを集めると、まずフィールドプレイヤーでは最年長のMF三浦淳宏に発言を促した。そこで、三浦が口にしたのは「俺は年齢的にも最後のチャンスだし、どうしてもW杯に行きたい。スタメンで出られなくても、勝つためには何でもやる」という熱い言葉だった。後に「アブダビの夜」と呼ばれることになるミーティングである。

 そもそも、チームがギクシャクしていた理由の根本には、戦術面以上に精神的な面で大きな問題があった。ジーコ監督は欧州リーグのクラブに所属していた中田、中村俊輔、小野伸二らを重用。常に試合直前の合流となり、コンディションの問題がある中でも「欧州組」を絶対的な存在としてスタメンに固定していた。そんな状況を「国内組」が面白く思うはずがない。「いきなり来た人が出るのは残念」と、当時鹿島に所属していたMF小笠原満男がもらしたことが、スポーツ紙で報じられたこともあった。

 「欧州組VS国内組」。ともすると、そんな空気にもなっていたチームだが、本音をぶつけ合い、「W杯に出たい」というシンプルな答えに行き着いたことで「全てが解決したわけではないけど、空気が変わった」とDF宮本。直後のバーレーン戦。1-0で勝利した試合で生まれた唯一の得点は、中田のパスを起点に中村がつなぎ、小笠原が決めたもの。続く中立地での北朝鮮戦にも勝ち切り、終わってみれば日本は“世界最速”でドイツW杯出場を決めることとなった。

後に選手たちが「転機」となったと振り返る、ザースフェーの夜

 2010年2月の東アジア選手権(国立、味の素)は4チーム中3位。4月7日のセルビア代表(長居)との親善試合に0-3で敗れ、W杯の壮行試合として行われた5月24日の韓国戦(埼玉)にも0-2で敗戦。岡田ジャパンに沈滞ムードが漂う中、直前合宿地のスイス・ザースフェーのホテルの一室にDF田中マルクス闘莉王の怒声がこだました。

「俺たちは下手くそなんだ。それを自覚しよう。今のままじゃ駄目だ。下手くそなら、もっと泥臭く戦わないといけない」

 このままでは、岡田監督が目標に掲げる「ベスト4」どころかW杯で惨敗する。そんな危機感を胸に抱いた34歳のベテラン、GK川口能活は、韓国戦から3日後の5月27日、合宿2日目の夜に立ち上がった。選手だけをミーティングルームに集め、緊急会議を開いたのだ。32人が円卓を囲んで椅子を輪にして並ぶと、そこで飛び出したのが闘莉王の「へたくそ」発言。「30秒で済む話を5分くらい言っていた」とMF遠藤が苦笑して振り返ったほどの熱弁に、多くの選手が共鳴した。

 当初は15分ほどで終わる予定が、議論は1時間を超えた。結論は出なかったが、「腹を割って意見をぶつけ合えたことで、危機感を共有できた」と川口。その後、日本はイングランド、コートジボワールとの強化試合に敗れたが、カメルーンとのW杯初戦での劇的な勝利、さらにデンマークを破っての決勝トーナメント進出につながっていく。通称「ザースフェーの夜」。後に、このミーティングを選手たちは「転機」になったと口をそろえて振り返ることになる。

 本大会で、岡田監督はザースフェーでの高地合宿で心肺機能の数値が上がってこなかった中村、FW岡崎慎司をスタメンから外し、布陣を4-2-3-1から4-3-3に変更。アンカーにMF阿部勇樹を据え、1トップにMF本田圭佑を置く“守備的布陣”を選択した。直前の戦術変更に戸惑いや疑問を抱くことなく選手が対応できたのも、「へたくそ」という“弱者の論理”の共有が事前にあったからこそと証言する選手は多い。スタメンを外れた中村は、ハーフタイムに相手の癖を出場している選手に伝えるなど腐ることなく献身的にチームを支えた。

 事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ…というのは某映画の有名な台詞だが、こと日本代表においては「会議」が重要な意味を持ってきた。たかがミーティング、されどミーティング。それぞれが実績を残し、自身への誇りも持っている代表選手たちだけに、一つになること、団結することは言うほど容易なことではない。思いをぶつけ合い、置かれた状況を冷静に自己分析することが、時にチームに一体感を生み、現状打破への大きなカギになる。いくつもの夜を越え、日本サッカーは危機的状況を脱してきた。

歴史で探るサッカー日本代表、危機的状況から脱出する方法 「監督交代」~”アルマトイの夜”から”ジョホールバルの歓喜”へ

ワールドカップ(W杯)アジア最終予選で4試合を終えて早くも2敗を喫するなど、苦戦を強いられているサッカー日本代表。森保一監督の進退が多くのメディアで話題となるなど、危機的状況にさらされている。11月11日のベトナム戦、同16日のオマーン戦と、今後を大きく左右する重要なアウェーでの2試合を控える中で、浮上の手立てはあるのか。歴史を紐解くと、浮かび上がってくるのが(1)監督交代(2)スター誕生(3)夜間ミーティング -という3つの“ヒント”。今回は「アルマトイの夜」を例に、(1)監督交代に焦点を当てる。

victorysportsnews

歴史で探るサッカー日本代表、危機的状況から脱出する方法 「スター誕生」~岡野、大黒、本田…救世主の存在

ワールドカップ(W杯)アジア最終予選で4試合を終えて早くも2敗を喫するなど、苦戦を強いられているサッカー日本代表。森保一監督の進退が多くのメディアで話題となるなど、危機的状況にさらされている。11月11日のベトナム戦、同16日のオマーン戦と、今後を占う重要なアウェーでの2試合を控える中、果たして浮上の手立てはあるのか。歴史を紐解くと、浮かび上がってくるのが(1)監督交代(2)スター誕生(3)夜間ミーティング -という3つの“ヒント”だ。今回は(2)スター誕生に焦点を当てる。

victorysportsnews

VictorySportsNews編集部