心憎い冷静さ

 文字通り、前代未聞の復活を遂げたのが照ノ富士だった。両膝の負傷や内臓疾患で休場が続き、大関から序二段にまで転落。2019年春場所で土俵に戻ってくると、ひたむきな鍛練で番付を戻していった。今年春場所後に大関に復帰し、名古屋場所後には第73代の横綱に昇進した。

 実力をいかんなく証明したのが一年納めの九州場所だった。白鵬の引退で番付上の一人横綱として臨むと、プレッシャーなどどこ吹く風。初日から白星を重ねた。大関以下との違いを特に明確に表したのが、14日目の平幕阿炎戦だった。優勝争い重視で割を崩され、再入幕で好調な相手との初顔合わせ。精神的にやりにくい状況が想像される中で、心憎いほどに冷静に料理した。

 阿炎は突き、押しを身上とし、勢いに乗ると怖いタイプ。立ち合いでいかに組み止められるかに事前の注目が集まったものの、照ノ富士の考えは違った。「やっぱり勢いを止めるには、ちょっとでも(相手の体を)伸ばさないといけなかった。こっちが伸びないと相手も伸びてくれない」。つまり、自分の上体を少し起こしてまでも、相手の体を伸びるように仕向けた。

 相撲では通常、相手に圧力負けしないように前傾姿勢が良しとされ、棒立ちに近づかないことがセオリー。さらに照ノ富士には両膝に古傷があり、体が伸びることで不利な体勢になる怖れが出てきそうなものだが、相手の上体を伸びさせて突き、押しの威力を減少させる方が得策との結論に至った。実際の取組を見てみると、立ち合いからやや攻め込まれながらも下がりながらしっかりとつかまえた。ある意味で、照ノ富士のイメージした通りの流れ。結果的に押し倒しで勝ち、2場所連続6度目の優勝を決めた。

「キンシャサの奇跡」を想起

 相手との力量の差を緻密に分析し、外観的には一見不利に見えながらも着実に勝利をものにするスタイル。お互いの立場や力関係など付帯状況は大きく異なるが、同様の思考による見事な勝ちっぷりという点で、ボクシングヘビー級の歴史的大一番「キンシャサの奇跡」を想起させる部分を感じた。

 1974年10月、アフリカ中部のザイール(現コンゴ)の首都キンシャサ。ムハマド・アリ(米国)は怪物と称された無敵のジョージ・フォアマン(米国)に挑んだ。下馬評では圧倒的に不利だったが、ロープを背にしての闘いに持ち込み、たるみを利用してフォアマンの猛打をしのぐ作戦を敢行。相手の攻め疲れを逃さずに反撃し、8回KOで番狂わせを演じた。絶頂期の王者と自分の差を計算。相手に攻めさせながら巧みにロープを使い、のちに〝ロープ・ア・ドープ〟と呼ばれた戦法で最終的に勝ちをもぎ取った。照ノ富士の阿炎戦ではその冷徹なまでの鮮やかさに、アリの勇姿を連想した。

進化を体で覚えた阿炎

 阿炎も大きくよみがえった力士だ。平幕時代の昨年7月場所中、新型コロナウイルス対策のガイドラインに違反し、当時「夜の店」とされた接待を伴う飲食店に行っていたことが発覚。初のケースとなったために世間的にも大きな耳目を集め、3場所出場停止処分を受けた。その後、家族と住んでいた自宅を出て部屋での寝泊まりに変えるなど相撲に集中して生まれ変わった。

 幕下下位から7場所ぶりに幕内へ返り咲いた九州場所。ある進化が12勝3敗の快進撃を支えた。突き、押しで機先を制した後、腕を伸ばしながらぐっと頭を下げて前傾を深め、追撃する動作が目立った。相手に圧力が伝わる様子で、久々の幕内力士に対しても威力を発揮し、白星につなげた。攻め込みながらさらに低い体勢になることについて、押しを武器に第61代横綱になった日本相撲協会の八角理事長(元北勝海)は次のように解説する。「手だけで攻めていくのとは違い、突っ張りに体重が乗るから効果がある。頭を下げて圧力をかけるのはやはり、体で覚えるしかない。一瞬でやれと言われてもできないものだ」と地道な鍛錬の成果を指摘した。

 ガイドライン違反が発覚後、責任を示して相撲協会に引退届を提出した。しかし、協会理事会の温情で受理はされず、協会の預かりとなっている。幕下から復帰して以降は負け越し知らず。元小結という地力に加え、力士生命を救ってもらったことへの感謝を示すかのようにファンを喜ばせる元気な相撲を取っている。

 また、業師で人気の宇良も膝のけがで一度は序二段まで落ちながら、名古屋場所で幕内の土俵に戻ってきた。以前は小兵として居反りなどのトリッキーな技がクローズアップされていたが、最近では体重147キロとパワーアップし、相手を押して攻める取り口に進化。九州場所では10勝して初三賞の技能賞を獲得して飛躍を遂げた。

来年は朝乃山

 照ノ富士や阿炎も含めて共通するのは、下にいる間にバージョンアップしてよみがえったことだ。番付を下げた理由がけがにせよ、出場停止にせよ、自らを律しながら再起を果たしたことは、他の力士たちへ好影響を与えることが予想される。

 2022年もこの流れが続くかもしれない。関心の的となりそうなのが元大関の朝乃山。週刊誌報道が発端となり、新型コロナ対策のガイドライン違反が夏場所中に発覚した。しかも相撲協会から事情を聴かれ、当初は「事実無根です」などと虚偽の供述をした上に、報道後も本場所で相撲を取って勝っていた。しらを切ろうとしたのは、外出禁止期間中にキャバクラへ同行した記者から口裏を合わせるよう打診があったことが判明したが、極めて印象は悪かった。

 187センチ、170キロの堂々たる体格を誇り、右四つの本格派。息の長い四つ相撲で横綱に上がることを期待されていた。それだけにファンへ与えた衝撃も大きく、6場所出場停止という異例の厳罰を受けた。部屋関係者によると、秋場所前から相撲を取る稽古を再開し、精進の日々を送っている。九州場所では番付が西前頭10枚目。出場が可能になるのが来年7月の名古屋場所で、三段目からの出直しが濃厚だ。三段目力士を弟子に抱えるある親方は「朝乃山と力の差があり過ぎるので、対戦してけがをしないか心配」と話すように、いろいろな意味で注目の再出発となる。

 最終的には照ノ富士の〝1強時代〟到来を予感させた今年。角界を席巻するような若手がなかなか出現していない昨今だけに、復活劇を遂げた力士たちの奮闘はいつも以上に大きな見どころとなっている。本場所に出られない間に、朝乃山がどのような姿勢で稽古に打ち込み、照ノ富士や阿炎らのようにレベルアップを図ってくるか。右の相四つの照ノ富士にはこれまで5戦全敗と歯が立たなかっただけに、新生して再び番付を駆け上がっていくことが待望される。 


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事