中でも「最優秀選手賞」は文字通り、その年に最も活躍したボクサーに贈られる栄誉である。一年に一度、一人しか手にすることができない。当たり前だが、ひと口に5度目と言っても5年ということだから、いかに長く活躍しているかが分かろうというもの。

 日本初の世界チャンピオンである白井は、年間賞が制定された49年度から5年続けてMVPを受賞した。世界タイトルを獲って日本中をわかせたのは52年のことだが、それ以前からわが国を代表するボクサーだったのだ。栄えある第1回のMVP受賞にしても満場一致で推薦された。「アメリカ・ボクシングの粋をマスターし、ボクシングの技術を高めた」(郡司信夫『ボクシング百年』)のが高く評価されたという。

 具志堅は76~80年度までの5年間をこちらも連続受賞。この期間はそっくり具志堅の世界王座在位と重なる。76年10月にドミニカの強打者フアン・グスマンをKOして世界ジュニアフライ(現ライトフライ)級チャンピオンとなってからというもの、攻撃的な「カンムリワシ・ボクシング」で13度連続防衛。14度目の防衛に失敗したラストファイトは81年の3月だった。

過去のMVP受賞者とその拘り

 続いて、MVPを4度獲得したチャンピオンにはファイティング原田、渡辺二郎、長谷川穂積がいる。

 原田は日本人2人目の世界チャンピオンとなった62年度、そして64年度からは3年連続でボクシング界のMVPに選ばれた。バンタム級最強と目されるエデル・ジョフレに2勝した原田は世界的にも大きなインパクトを与え、日本人で初めて国際ボクシング名誉の殿堂博物館のメンバーに選ばれている。

 ジュニアバンタム(現スーパーフライ)級で事実上のWBA、WBC王座統一戦を行うなど世界戦12連勝をマークした渡辺もまた、世界チャンピオンとして活躍中はMVPが指定席だった。82年度から4年連続の受賞。

 一方、長谷川(05、06、08、09年度に受賞)は07年も負けずにWBCバンタム級チャンピオンの座を張ったが、MVPはフライ級の内藤大助に譲った。この年の内藤はタイのポンサクレック・ウォンジョンカムのV18をストップして戴冠したのみならず、亀田大毅との初防衛戦で一躍ボクシングファン以外にも知られる「時の人」となり、実績と話題性ともに申し分なかったのだ。

 翌年(08年度)は長谷川、内藤ともに年間3度防衛で競り合ったが、全勝2KOと圧倒的な強さを発揮した長谷川がMVPを奪回した(内藤はこの年2勝1分)。「前年は何ももらえず、すごく悔しかったので、ざまあみろって感じ」という長谷川の率直な感想が、MVP賞へのこだわりを感じさせたものだ。

 かように、時に選考レースでトップボクサー同士の熾烈な争いが生まれることもある。有名なのは91年度、MVPをめぐる辰吉丈一郎と井岡弘樹の例だ。辰吉が年間最高試合に選ばれる内容で、しかも最短レコード(プロ8戦目)も樹立してWBCバンタム級チャンピオンになったのに対し、井岡も日本人3人目となる2階級制覇を難攻不落のV17王者柳明佑に初めて黒星を擦りつけて達成していた。

 選考の結果、MVPには辰吉、技能賞に井岡と決まったが、井岡のジム会長が不服を唱え「受賞辞退」を表明したほど。これは辰吉よりも井岡の功績が上だと主張したのではなく、成し遂げた偉業は「ともに最優秀選手賞ではないか」との旨だった。しかし2人に最優秀選手賞を贈ることはできない。

今後も井上尚弥から目が離せない

 世界王座が現代よりもはるかに遠い存在だったころは別にして、MVPは例年世界チャンピオンが手にしている。88、89年度の「MVP該当者なし」は異例ながら、当時は世界チャンピオン不在が続いていた。その不振を反映したかたちだが、その後のチャンピオンラッシュと比べると隔世の感がある。(MVPが選出されなかったのは72年の歴史で6度)。

 さて昨年度のMVP井上はどこまで到達するのか。ボクサーとして老境に入ったわけでもない、円熟期のチャンピオンだからMVPの受賞回数で単独1位に躍り出るのはかなり現実味がある。ちなみに井上は同時に「KO賞」も5度目の受賞となったが、こちらはすでに歴代ナンバーワンである。


VictorySportsNews編集部