団体ではフリーで2位の得点をマークし、日本初の銅メダル獲得に大きく貢献すると、個人戦でも7位に入り、日本勢初の入賞を果たした。長年、弱点種目とされてきたペアでの大躍進を支えたのは、「結果を残さないと、皆さんに知ってもらえない。私たちが日本のペアの未来を変える」(三浦)との強い使命感からだった。

 2人の出会いは2019年7月末、名古屋市内のアイスリンク。きっかけは当時17歳だった三浦から投げかけた9歳年上の木原へのペア結成の打診だった。2014年ソチ、18年平昌の両五輪にそれぞれ別のパートナーと出場した木原は、同年4月に前パートナーとの解消を発表。それまで約6年間、練習拠点としてきた米デトロイトから帰国、右肩と脳しんとうの治療を受けながら、今後の進退を考えていた。「2013年にシングルからペアに転向して6年間やったが、自分の技術が正しいのか自信が持てない。もったいない、こんなはずじゃないと思いつつ、このままやめるべきなのかなと思っていた時期に話をもらった」。

 前パートナーと解消したばかりだった三浦にとっては、ペアの大先輩にあたる木原への打診に躊躇したものの、2人と親交のあるアイスダンスの小松原美里(倉敷FSC)からの「龍一君はすごく優しい。人柄も良くて競技にも熱心だよ」との言葉に背中を押された。

 7月末にお互いの技量と相性を確認するトライアウトを実施。この時、木原は「体に雷が落ちたような感覚」を味わったという。決め手になったのは男性が女性を頭上に回転させながら投げるツイストリフト。滞空時間の長さに「人ってこんなに浮くんだ」と衝撃を受け、「もしかしたらこれは最後のチャンスかもしれない」と確信した。すぐさまビザを取得し、2週間後には新たな練習拠点となるカナダに渡った。

 この2年半、新型コロナウイルス感染症の影響でリンクから離れざるを得なかった時期もあったが、平昌五輪の銅メダルペアを育てたブルーノ・マーコット氏から「心・技・体」を徹底的に鍛え上げられた。ソチでSP18位、平昌では21位に終わり、ともにフリーにすら進めず「技術力のなさに絶望していた」木原に対して、マーコット氏は「おまえたちは必ず世界トップ10に入るんだ」と言い続け、意識改革を図った。高難度のリフトやツイストリフト、三浦の踏み切りのタイミングで木原が空中に投げるスロージャンプを次々に挑戦。2人の同時性が求められるスピンもマーコット氏から「他の技はセンスかもしれないが、スピンだけは努力だ」と猛練習を課され、歯を食いしばって耐えてきた。

2年半の思いが凝縮された北京五輪でのフリー演技。そして、さらなる高みへ

 その成果は顕著に出た。結成約1年半で臨んだ21年3月の世界選手権では4度目の出場となった木原にとって自己最高順位を大幅に更新する10位に入り、北京五輪出場枠を獲得した。そして迎えた今季、2人の自信は表情と言葉からうかがい知ることができた。合言葉は「前回の自分たちに勝つ」。初戦となった昨年9月のオータム・クラシック(カナダ)では初の200点越えとなる合計204・06点で国際大会初優勝を飾ると、翌月のグランプリ・シリーズ第1戦スケートアメリカでは2位に入り、日本人同士のペアとしては初めて表彰台に立った。続く、GP第4戦のNHK杯では3位となり、新型コロナの影響で中止にはなったが、上位6組で争うGPファイナルに進出した。

 このNHK杯、2人は国立代々木競技場の観客席の光景に目を奪われた。国内で絶大な人気を誇る男女シングルでは常に満席だが、ペアやアイスダンスでは半分程度も埋まらないのがこれまでの常識。だが「満席に近い観客がいて、大声援をもらえるのが心からうれしかった」と三浦。自身らが欠場した昨年12月の全日本選手権で出場したペアはわずか1組で競技力向上のためにも競技人口の増加が急務だ。一過性のものにしないためにも2人は「結果を出さないと注目もしてもらえない。結果を出し続ける」と決意を新たにした。

 その思いを一つ形にしたのが北京五輪の団体だった。木原にとっての過去2大会は「一緒に出場させてもらうだけでメダルが取れるんじゃないか」という実力のある男女シングル頼み。だが、今大会のSPでは女性の美しいボーカルが響く「ハレルヤ」に乗り、冒頭のツイストリフトを鮮やかに決めると、ジャンプ、スピンも一体感のある滑りで自己ベストを更新する74・45点で4位。過去2大会の8位から大きく順位を上げると、フリーでは2位の好結果で銅メダルの原動力となり「やってきた練習に自信を持っていた。それが助けになった。8年間の悔しい思いは少し晴らせた」と感慨に浸った。

 個人戦では、日本勢過去最高順位だった1992年アルベールビル冬季五輪の井上怜奈、小山朋昭組の14位を大幅に更新する7位入賞。これまでの2大会では個人戦ではSP落ちだった木原は三浦に「フリーを滑らせてくれてありがとう」と演技前に声を掛けてリンクに立った。今できる力の限りを尽くしたフリーは2年半の思いが凝縮された過去最高の内容だった。珍しく氷上で感極まる木原を三浦が労るようにそっと肩を抱きしめ、そして「本当に龍一君と組んで良かった」と語る様子はほほえましく、胸を熱くさせるシーンだった。

 過去の五輪とは比較にならないほど、各新聞紙面には2人の写真と記事がでかでかと掲載された。ただ、ここで満足するコンビではなかった。試合後の取材ゾーンで記者から「ペアをアピールしたいと言っていた。広める役割をできたのではないか」と問われると、木原は「五輪期間中は注目してくださるが、五輪が終わってしまったら結果を出さないと注目し続けていただくことは難しいと思う。まだまだ僕たちが頑張らなければ、ペアは次の世代が出てこない。ここがゴールではない。世界と今、戦えるようになってきた。まだまだ走り続けたい」とよどみなく答え、そして「4年後も8年後も目指したい」と力強く言い切った。三浦も思いは一緒だ。「ここが最終地点ではない。次もあるし、その次もある」。まだまだ2人の志は道半ば。ここからさらなる高みへ駆け上っていく。


VictorySportsNews編集部