地上波でW杯出場決定の瞬間が放送されない可能性がある。かつてなかった状況に、日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長は2月1日のサウジアラビア戦(埼玉)に勝利した翌日、こう危機感を口にした。

「自腹を払ってでも(地上波で中継)できないかと考えている」
「地上波でいろんな人が見ることが欠かせない。それが、ひいては(日本の)サッカー人口にも影響する」

 同28日には改めて粘り強く交渉していく考えを明かした。しかし、DAZN側はJFAに交渉を持ちかけられた事実を公表した上で「ご提案内容が、既にご加入いただいているお客さまやファンの皆様にとってフェアなものではなく、両者の共通認識として交渉は既に終了していると捉えております」とリリースで声明を発表。その“応酬”がニュースなどで伝えられると、サッカーファンを中心に大きな注目を集めた。

 JFAがより多くのファンに視聴の門戸を開こうと頑張っているようにも見えるやり取り。今回の試合が無料の地上波で見られれば、日本時間午後6時10分というゴールデンタイムのキックオフでもあり、高視聴率は確実だっただろう。実際に、2月1日のサウジ戦(午後7時10分開始)の世帯平均視聴率は関東地区で20.0%を記録した。そうした状況も踏まえ、独占での中継というスタンスを崩さないDAZNを“悪者扱い”するようなネガティブな反応が、報道を含めて一定数あるのは事実だ。

 ただ、本当にこれは的を射た意見なのだろうか。議論をする上で、まず今回のアジア最終予選を、なぜ地上波のテレビ局が放映できないのか、経緯を知っておく必要がある。

放映権問題

 発端は、アジア予選の主催者で放映権を一括管理しているアジア・サッカー連盟(AFC)が、中国とスイスの合弁会社「DDMCフォルティス」と8年総額20億ドル(約2400億円)とされる大型契約を結んだことにある。

 AFCが放映権ビジネスに乗り出したのは2005年。その時、テレビ朝日が結んだ契約は4年90億円だった。その後、3度契約は更新され、これまで日本国内での独占放映権料は最高でも4年170億円ほど。しかし、昨年の契約満了後に提示されたのは、前述の通り桁違いといえる額で、日本のテレビ局は放映権獲得を断念せざるを得なくなった。そこで、代わって手を挙げたのが資金力のあるDAZN。W杯アジア予選、アジア杯、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)などAFC主催14大会の放映権を一括で獲得することに合意した。

 テレビ朝日は、それでも何とかW杯予選の地上波での中継を実現しようとDAZN側と交渉。ホーム5試合の放映権を“バラ売り”してもらう形でまとめた。関係者によると1試合の放映権料は推定2、3億円程度。総額からすれば“良心的”ともいえる金額だ。それでも、スポンサー離れに苦しむ昨今のテレビ局にとって、決して簡単に出せる額ではない。時差の関係で深夜や早朝帯のキックオフとなる試合が多く、スポンサーが集まりにくいことなどから、アウェー戦のテレビ中継は見送られることとなった。

 ところが、くしくも今回、アウェーの地で7大会連続のW杯本大会出場が決まる可能性が出てきたことで、この“放映権問題”が再燃した。W杯予選の日本戦がテレビで放送されなかったのは、過去に1989年6月25日のW杯イタリア大会アジア1次予選・北朝鮮戦(アウェー)の例があるが、W杯切符をつかむ瞬間がテレビで生中継されなかったことは一度もない。史上初めての“危機”に直面し、JFAが打開を図ろうと策を練ったものの、実らなかったというのが事の真相だ。

 「ドーハの悲劇」「ジョホールバルの歓喜」など、これまでも数々の歴史が刻まれてきたW杯出場権を懸けた大一番。ファン拡大に大きくつながるビッグマッチを幅広い層にも見てもらいたいと思うのは、サッカー界のトップとして当然の発想だろう。田嶋会長が、強い言葉で無念さを表すのは無理もない。とはいえ、DAZN側からすれば、“おいしいところ”だけを求められても、簡単に応じるわけにいかないのもビジネスである以上当たり前の話。DAZNは世界的な戦略の中で、2月22日から日本国内でも利用料を月額税込み1925円から同3000円に値上げしたばかり。そのタイミングでキラーコンテンツの価値、希少性を、わざわざ下げる必要性はない。

 また、JFAの田嶋会長は国際サッカー連盟(FIFA)の理事を務め、アジア予選の放映権を管理するAFC内でも一定の発言力を有する立場。今後も含めてDAZNによる独占配信を是としないのならば、当事者として問題の解決に臨むことが求められる。19年4月に行われたAFCの会長選では、現会長のシェイク・サルマン・ビン・イブラヒム・アル・カリファ氏(バーレーン)を支持し、日本サッカー協会会長名で「アジアサッカーのさらなる発展のためにDDMC Sports International Limited社と2021~2028年の新たなパートナーシップ契約を締結するなど、積極的に未来への投資を行っています。こういった施策は、アジアサッカーのさらなる発展を促し、各ステークホルダーの成長を後押しするものだと考えています」と、今回の放映権問題につながるAFCの施策を後押しするコメントもJFAの公式サイトに18年11月28日付で残している。

18年11月28日付「AFC会長選挙について 田嶋幸三 JFA会長コメント」

“放映権バブル”の中で存在感を増すIT企業

 一方で、こうしたネット配信サービスなしに、いまやスポーツの放映権ビジネスは語れなくなっているのも事実だ。たとえ有料といえども、そもそもDAZNが日本に進出していなければ、高騰する放映権料を誰も支払えず、ホーム、アウェーともに自国の代表戦を正規の手段で見られないという“異常事態”に陥る可能性すらあった。いわば、テレビ局が放映権獲得をギブアップした中、救いの手を差し伸べたともいえる。

 W杯カタール大会の本大会にしても、インターネット放送局「ABEMA」が放映権を獲得することが発表されたばかり。W杯は02年日韓大会からNHKと民放各社からなるジャパンコンソーシアム(JC)が一括して放映権を獲得してきたが、今回は価格の高騰から民放の足並みが揃わず頓挫。実は、日本で本大会の中継が見られない可能性も浮上していた。

 全体の購入額は明らかにされていないものの、スポーツニッポンなどによると180億円程度といわれ、NHKが半額を払い、次ぐ金額をABEMAと、その資本関係にあるテレビ朝日が支払う形で合意したという。ABEMAにとっては過去最大級のコンテンツ投資となるが、W杯全64試合を日本のファンが無料視聴できるのは、スマホゲームアプリ「ウマ娘プリティーダービー」のヒットなどでコロナ禍の中でも収益を拡大していたサイバーエージェント(株式会社AbemaTVはサイバーエージェント社のグループ企業)の存在あればこそ。テレビ朝日、フジテレビは各10試合、NHKは開幕戦、決勝戦を含む21試合を地上波やBSなどで放送する予定で、日本が出場した場合の1次リーグ3試合は、この3局で生中継する。

 スポーツの世界は今、放映権バブルの様相を呈している。W杯は98年フランス大会で約5億円だったものが、前回18年のロシア大会では200億円まで高騰した。2月10日付英紙ミラーによると、イングランドプレミアリーグの放映権収入は初めて100億ポンド(約1兆6000億円)を突破。22-25年の放映権の入札で、特に海外向けが12億ポンド(約1900億円)から53億ポンド(約8500億円)に高騰したことが主な要因になっているという。サッカーを離れれば、さらに巨大な額が動いており、米プロフットボールNFLは年間の放映権が1兆円を超えるというから驚きだ。

 その中で存在感を増しているのが、国境をまたいでメディア事業や配信サービスを展開できるIT企業だ。プレミアリーグにしても19年から放送を手掛けてきたDAZNに代わって、動画配信サービス「SPOTV NOW」(以前の「SPOZONE」)を運営する韓国のエクラ・メディア・グループが放映権を獲得したと英メディア・スポーツビジネスが報道。日韓で計2600万ドル(31億2000万円)だった放映権料は、今回5670万ドル(約68億円)まで高騰したと伝えている。また、アップル社は米大リーグ(MLB)の金曜日2試合の放映権を8500万ドル(約98億円)で取得。「フライデーナイト・ベースボール」としてAppleTV+で配信することを決めるなど、大手企業もスポーツ配信ビジネスに乗り出している。世界的にみるとスポーツ中継における放映権交渉の主戦場は、もはやIT業界に移った感もある。

 もちろん、こうした企業の競争が放映権の高騰を招いている側面もあるが、収入が増えれば業界は活性化する。例えばプレミアリーグでは、優勝チームに1億7600万ポンド(約280億円)、最下位のチームでも1億ポンド(約160億円)が分配されるようになる。JリーグもDAZNの進出により、理念強化配分金として実質的な賞金が大幅に増加(現在はコロナ禍の影響で停止)。イニエスタら大物選手の来日が実現したのを一例に、競技の魅力向上に一役買っている。

 それほどまでにIT企業がスポーツや配信事業に投資するのも、顧客に受け入れられ、ビジネスとして魅力あるものになったからこそだ。W杯予選が地上波で見られなくなることに、サッカーの普及・大衆化を掲げてきたJFAが危機感を募らせるのは当然ではある。ただ、かつて「巨人・大鵬・卵焼き」などと言われ、不動の大衆コンテンツとして位置づけられていたプロ野球も、いまや一部の趣味を満たすコンテンツへと変化してきているように、「テレビを囲んで一家団欒」という光景は、既に過去のもの。スマートフォンやタブレット端末、はたまたスマートTVなどで思い思いに趣味の動画を見たり、配信サービスを利用したりといった形が浸透し、配信でのスポーツ観戦への抵抗感は、ここ数年でかなり薄くなっているといえる。

 スポーツのコアなファンにとって、有料であることは大きな壁にはならず、逆に時間や場所を問わず豊富なコンテンツを楽しめるサービスとして歓迎する向きも多い。一方のライト層は、動画サイトにアップされる5分程度の「まとめ映像」やスポーツニュースのハイライトで十分。それが忙しい現代人の本音といえるかもしれない。

 今回のW杯予選の“放映権問題”は、日本のスポーツ中継が過渡期にあることを表している。フジテレビでセリエAの中継やダイジェスト番組が人気を博し、中田英寿らスター選手の活躍を地上波で見られた時代も今は昔。レンタルビデオ店がNetflixやAmazon Primeなどネット配信サービスへと急速に置き換わっているように、スポーツの世界でも“主役”の担い手は確実に変わろうとしている。

DAZN公式サイトより

VictorySportsNews編集部