増幅した朝乃山待望論

 いきなり幕下力士の話から入るが、異例の6場所連続出場停止の処分を食らった元大関朝乃山にとって、最後の処分対象の場所だった。昨年夏場所中、外出禁止期間のキャバクラ通いが発覚。日本相撲協会の聞き取り調査に対しては当初「事実無根です」などと断固否定した。しかし再聴取に一転、キャバクラ通いを認め、新型コロナウイルス対策のガイドライン違反が確定した。

 当時は今ほどワクチン接種が進んでいないなど、現在とは状況が大きく違った。もし外出先で新型コロナウイルスに感染にして本場所で他の力士にもうつしてしまうと生命の危機にさらす怖れがある上に本場所打ち切りの可能性があった。さらには最初に協会側にうそをついていたこともあって重い処分となった。

 187㌢、170㌔と申し分のない体格に右四つの本格派四つ相撲。元々人気があり、ファンからは「犯罪でもないのに処分が長すぎる」などの声が上がっていた。番付は大関から夏場所では西幕下42枚目まで転落。自業自得ではあるが、月給250万円だった大関時代から打って変わり、3月の春場所からは月給なしの幕下に落ちた。稽古場でのまわしの色も、関取衆の白から幕下以下の黒に替えて汗を流しているが、ここに来て、図らずも追い風が吹いている。現在の大関陣3人のていたらくぶりが朝乃山待望論を増幅させた。

 角界関係者によると、復帰する7月の名古屋場所に向けて早くもチケットに関する問い合わせが相次いでいるという。次の場所では三段目中位の番付が予想される。このため「テレビ中継に入らないから何とかして見に行きたいけど、チケットはどうすれば手に入るのか」といった具合である。名古屋場所は観客の上限をなくし、2年半ぶりの〝通常開催〟で実施される。大相撲は番付社会。強い上位陣を中心とした白熱の土俵が大きな魅力だが、幕下以下が大きな話題を呼びそうな状況は皮肉でもある。

正代に新型コロナ禍の影響?

 夏場所の大関陣はいつも以上にもろさを露呈した。3人のうち、正代と御嶽海の2人が負け越し。ただ一人勝ち越した貴景勝にしても千秋楽に正代に勝ってようやくだった。仮に正代に敗れて7勝8敗となっていたら、3大関が皆勤して全員が負け越すという、現行のかど番制度では初の不名誉となっていた。場所後の横綱審議委員会でも厳しい意見が相次ぎ、池坊保子委員(元文部科学副大臣)からは「大関というのは横綱予備軍。正直言ってお粗末だった」との酷評を受けた。

 特に正代は5勝10敗とさんざんだった。しかも1月の初場所に続いて今年2度目の負け越し。もともと腰高の立ち合いで、以前はそこから馬力を利かせて攻め込んでいたが、すっかり鳴りを潜めている。外的要因として考えられるのが新型コロナ禍によって部屋間を行き来する日常的な出稽古ができないことや、それに関連する横綱白鵬(現間垣親方)の引退である。

 コロナ禍以前、所属する時津風部屋には多くの出稽古力士が集まっていた。白鵬や横綱鶴竜(現親方)もしかりで、真っ向勝負の正代は両横綱ら上位陣から指名されて相撲を取ることが多かった。正代が大関へ昇進する以前、この状況について日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)が「知らず知らずのうちに自分も強くなるという流れだと思う」と分析したように、鍛えられて力をつけていった。

 しかし2020年春場所前を最後に出稽古が途絶え、場所前に数日間、相撲教習所で合同稽古が行われるくらい。相撲界には「三年先の稽古」という格言があるように、長い目で地道に鍛えることが大切にされている。正代のここ数場所の不振を鑑みると、格上との鍛錬の場がなくなった影響がじわじわと及んできているとも推測できる。ここにきて6月6日から出稽古が解禁。巻き返しを期す正代の動向が注目される。

まげ姿最後のかき入れ時

 土俵の外に目を向けると、夏場所中の両国国技館内で自身の引退相撲のチケットを売る元関脇豊ノ島の井筒親方、元関脇安美錦の安治川親方の姿があった。世間的にも新型コロナ禍への対応が進んでいくにつれ、開催が滞っていた興行としての引退相撲が完全に戻ってきた。幕内力士の取組などが実施される東京・両国国技館での引退相撲は通常、東京開催場所が終わった後の土日に開かれる。井筒親方は夏場所後の5月28日、安治川親方は翌日の29日に大銀杏に別れを告げた。

 引退相撲は後援会や所属部屋が主催することが多く、主役の直接の実入りにつながる。これを将来の独立資金に充てる親方もいる。また、引退興行の中で執り行う断髪式では、はさみを入れてもらうゲストたちからご祝儀があるのが一般的。力士の象徴であるまげによってお金を稼ぐ最後の晴れ舞台だ。新型コロナ禍の影響で、以前のように自由に後援者や団体などにあいさつ回りができない中、本場所中に国技館内にブースを設けて親方がチケットを売れるようになった。元三役力士自らが店頭に陣取ってチケットを売りさばく光景は以前なら想像もできなかったが、それだけ必死さも伝わってくる。

 関係者によると、師匠への感謝の印として引退相撲の収益から数百万円を届けた元力士もいるという。また、引退相撲が終わると税務署から電話がかかってきたと明かした親方もいて「すぐに連絡があってびっくりした。売り上げの話とかをされたけど、やっぱり税務署はよく見ているね」と驚きを口にした。10月に予定されている秀ノ山親方(元大関琴奨菊)の場合、チケットの特典として、購入者がデジタル上で記念品として保存できるデジタル資産「非代替性トークン(NFT)」を無料贈呈。舞台裏では何かと金銭的な話題がついて回る引退相撲も、時代によって変化している部分もある。



【大相撲夏場所総括 (前編)・了】


VictorySportsNews編集部