「本当にちょっと今回は説明がつかないんですけど、ふと、私は今シーズンでやめることが私にとっていい道だなっていうのを、まぁ、降ってきたじゃないですけど、そう感じる瞬間があった。深く考えた結果というよりはフィーリングでそうなったかな。ツアーを回って1年間戦うっていうことがこの世界なので、それを考えた時に自分のフィジカル的な部分、精神的な部分も衰えてくると思っていました。そういったところが引退に繋がったんだとは思う」

 翌週のITFインチョン大会では、けがで1回戦を途中棄権した奈良だったが、「自分がすごく頑張れている。やれている。努力できていると自分を認められる」、そう思える時に、奈良は引退を決意した。プロの中には、ボロボロになる最後まで戦うタイプもいるが、自分がいい状態の時に引き際を知るタイプもいる。いつも前向きでいようとする奈良らしい決断の下し方であったのではないか。

 ジュニア時代の奈良は、当時日本国内のテニス関係者で彼女の名前を知らない者はいないほどで、数々のジュニアタイトルを獲得した。2003年全国小学生大会で優勝。2004年全国中学生大会で優勝。全日本ジュニアでは、2003年に12歳以下、2006年に16歳以下、2007年に18歳以下、それぞれで優勝した。そして、2007年には、グランドスラムと同格のグレードA大会であるワールドスーパージュニアでも初優勝してみせた。

 ただ、身長155cmで、海外選手と比較して小柄な奈良が、どこまでできるかという疑問は常につきまとっていた。彼女は、何でも器用にボールを打てるような天才ではなかったが、努力をし続ける姿勢に関して並外れた才能の持ち主だった。そして、いつも本人は謙遜していたがテニスと向き合う強いメンタルは本当に素晴らしかった。

 奈良の才能が最大限に発揮されるようになったのは、2012年から原田夏希コーチとツアーを回り始めてからだ。グランドスラムでは、2013年USオープン3回戦進出、2014年オーストラリアンオープン3回戦進出。また、スベトラナ・クズネチォワ(ロシア)に勝利したり、イェレナ・ヤンコビッチ(セルビア)と接戦を繰り広げたり、世界の強豪選手と堂々と渡り合った。

 そして、2014年2月に、WTAリオデジャネイロ大会で念願のツアー初タイトルを獲得した。奈良は自分のテニスを、パワーによって1球、2球で仕留めるプレースタイルではなく、フットワークを駆使しながら、ボールをつくってロングラリーにもっていき、自分の形にもっていって勝っていくのが自分のスタイルと説明するが、それがレッドクレーのリオで結実したのだ。もちろん、奈良の強いメンタルがあって実現した初優勝であることも忘れてはならない。さらに2014年シーズンには、自己最高となるWTAランキング32位(2014年8月)を記録したのだった。

 ワールドプロテニスツアーは、1年間の活躍によって世界ランキングが決まるので、たとえ優勝1回があったとしても、決して安心できるわけではなく、常に走り続けなければならない過酷な世界だ。30歳の奈良は、その厳しさをよく知っているだけに、来シーズンに自分がプレーしている姿をイメージすることができず、引退の時が来たと悟った。

現役最後の記者会見では、原田コーチのことを語る時、奈良は、滂沱の涙を止めることができなかった。

「本当に原田コーチがいなければ、今の私はいなかったです。夏希さんとだからここまですごく楽しく、自分のテニスの向上を楽しめてこれたかなと思います。負けて辛い時もありました。夏希さんは本当に厳しかったので。数えきれないぐらい怒られて“くそジジイ”と思ったことも何回もありますけど(苦笑)。それでも、夏希さんは、一緒に、ずっと、本当に戦ってきてくれた。そういう意味ではすごく感謝しますし、ここまで夏希さんと最後終われたことが、何より私の選手生活の中では、本当に嬉しかったことの1つであります」

 いろいろなアスリートが引退する時に、「後悔はありません」という言葉をたびたび聞いてきた奈良は、本当かなと疑問を抱くことが多かった。しかし、いざ自分が引退する立場になった時、「本当に1つの後悔もないと言えることがすごく自分でもびっくりしました」と晴れやかな笑顔で語る。こんなに潔いプロキャリアの終え方はないというほど、奈良くるみらしい実にすがすがしいラケットの置き方だった。

奈良が、JWT50の新メンバーに加入。日本女子テニスの未来はどう変わるか!?

 10月17日に、奈良が、ジャパンウィメンズテニストップ50クラブ(以下JWT50)に新加入すると発表された。
JWT50は、2022年6月20日に設立された一般社団法人で、テニスに携わる次世代が本気で世界を目指せるような環境づくりを目指すと同時に、テニス普及の面では、小中高校生へ向けて興味喚起を働きかけていく。

 入会資格は、WTAランキング50位以上の実績をもつ元プロテニスプレーヤーで、メンバーには、理事に伊達公子氏、杉山愛氏、神尾米氏、会員に浅越しのぶ氏、長塚京子氏、森上亜希子氏、小畑沙織氏、中村藍子氏が名を連ねている。

 JWT50の活動として、メンバーの実体験や知識を若い選手やジュニア選手たちおよびその関係者への発信やメンタリングセッションを行っていく。
また、国際テニス連盟(ITF)公認の1万5000ドル大会の新設および運営も構想としてある。ITF1万5000ドル大会は、プロテニスプレーヤーの登竜門となる大会で、ここで世界ランキングを獲得して、WTAツアーへステップアップしていくための第一歩として非常に大切なものだ。日本から遠い欧米などで開催される大会を遠征することは、多くの賞金を稼げない若手日本選手にとって、それだけで欧米選手に比べ負担が大きくハンデにもなる。だから、プロとしてWTAランキング200位台あるいは100位台になるまで、なるべく日本でランキングと賞金を得る環境が整えられれば、世界への挑戦の道もより開けるかもしれない。

 ただ、日本では砂入り人工芝コートを使用している会場が多いという、日本ならではの特殊事情があるため、JWT50が大会新設をする際に、気をつけなければならないところだ。WTAツアー公認ではないコートサーフェスである砂入り人工芝ばかりでプレーしてしまうと、ハードコートやレッドクレー(赤土)コートで開催される欧米の大会で、日本選手がパワーやスピードについて行けず勝てないという悪影響が必ず起きる。これは、プロでもジュニアでも同じことだ。

 現在、日本女子は、世界のトップ100に、大坂なおみ(46位、10月17日付、以下同)1人しかいない。中国女子が、33歳のベテランのジャン・シューアイ(26位)や20歳の若手成長株であるジェン・チンウェン(27位)ら7人いるのに対して、日本女子は大きく差をつけられている。

 この差を早急に縮めるためにも、2010~20年代のワールドテニスツアーの現場を肌で知る奈良の新加入は、JWT50にとって大きいのではないか。
伊達氏や杉山氏はジュニア育成に力を入れ、中村氏はアカデミーで指導し、長塚氏や小畑氏は過去に選手に付いていたこともあったが、現在、ツアーに帯同しているのは本玉真唯に付いている神尾氏ぐらいで、いささか現場指導者としての経験と実績が少ないメンバーというのが、正直に言えば懸念材料だったからだ。

 まだまだJWT50は動き出したばかりの組織とプロジェクトなので、今後の動向を見守らなければならないが、誇張ではなく日本女子テニスの未来がかかっており、厳しい現状を打破するために危機感を常にもちながら臨んでいかなければならない。セカンドキャリアに足を踏み入れた奈良も、新戦力として大いに力が発揮されていくことを願いたい。

神仁司

著者プロフィール 神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。