今回ご紹介するのは、史上初めて4王座を統一したチャンピオンである。バーナード・ホプキンス(アメリカ)。2004年9月にオスカー・デラホーヤ(アメリカ)とのビッグマッチでKO勝ちし、世界ミドル級のベルト4本を束ねた、同級史上屈指の名チャンピオンだ。

 このホプキンスが4団体王座を統一するまでの道程はとにかく長かった。30歳で手にした最初の世界タイトル(IBF)を実に19度も防衛して達成した偉業である(最終的に20連続防衛)。なぜこれだけ防衛し続けたのかというと、ホプキンスは実力は認められてもビッグファイトに恵まれず、長く日陰の存在に甘んじていたからだ。

ドン・キングの力

 ホプキンスにようやく運が巡ってきたのは2001年のことだ。名物プロモーターのドン・キングが「ミドル級統一トーナメント」を企画したのである。IBF王者(V12)ホプキンスとWBC王者キース・ホームズ(アメリカ)がまず統一戦を行い、その翌月にWBA王者ウィリアム・ジョッピー(アメリカ)が1階級下のフェリックス・トリニダード(プエルトリコ)の挑戦を受ける。これを準決勝として、勝者同士が3団体王座統一戦を行う——というものだった。そう、当時はまだマイナー団体だったWBO王座は蚊帳の外で、3王座統一がゴールだった。

 もっとも、この企画はキングが中量級スターのトリニダードを目玉商品として当て込んだスターウォーズだった。キングにすれば支配下選手のトリニダードに勝ち抜いてもらい、その後は近隣クラスの大物のロイ・ジョーンズJr(アメリカ)とのスーパーマッチまで計算していただろう。

 それでもビッグチャンスにホプキンスは欣喜雀躍した。そしてミドル級最強と目されていた実力を本番でいかんなく発揮したのである。2001年4月、ホームズに判定勝ちしてIBF−WBC2冠王となり、その5ヵ月後にトリニダードを破ってWBA王座も吸収した。

 無敗トリニダードを圧倒したホプキンスの強さは語り草になっている。クリーンなボクシングも、ラフファイトも自在にこなし、最後はトリニダードを沈めてみせた。この試合はトリニダード人気でホプキンスは3−1で不利予想だった。ファイトマネーも、トリニダードの900万ドルに比べて2冠王ホプキンスは270万ドルだった。

 しかし、勝ったホプキンスは「1980年代の名チャンピオン、マービン・ハグラー(アメリカ)以来となるミドル級3団体統一チャンピオン」「カルロス・モンソン(アルゼンチン)に並ぶミドル級歴代最多防衛V14」を達成し、最強ボクサーの称号も手にした。まさにすべてをかっさらう一世一代の大勝利だった。

念願の“ゴールデンボーイ”デラホーヤとの闘い

 ミドル級3冠王となったホプキンスの前途は洋々のはずだった。前述の通り、当時の最強トーナメントはこれにて終了。晴れてミドル級を平定したホプキンスはトリニダードの代わりにジョーンズJrやほかの著名選手とのビッグマッチに突き進むはずだった。

 しかし望む試合はなかなか組めず、ホプキンスは再びこつこつと3王座を守り続けることに。しかもプロモーターやトレーナーとの法廷闘争も絡み、思うようなキャリアをつくれない。そこに現れたのが、中量級のもうひとりのアイドル、デラホーヤだった。下の階級からタイトルをコレクションし続けたデラホーヤがホプキンスの領土に攻め込んできたのだ。

 デラホーヤは2004年6月、史上初の6階級制覇をかけてミドル級王座にアタックすることになった。その標的はホプキンスではなく、唯一残されていたWBO。このデラホーヤ戦と同じリングでホプキンスも3冠防衛戦を行い、ともに勝って9月に対戦するというシナリオが描かれた。その試合は史上初の4団体王座統一戦となる公算が大だった。

 「この日を待っていた!」。ホプキンスは言ったものである。その言葉通り、デラホーヤと対戦し、9回KO勝ちし、ホプキンスは4王座統一チャンピオンの栄誉とキャリア最高の報酬を手にした。

 この時39歳。まさに人生の絶頂だが、ホプキンスの驚くべきキャリアはデラホーヤ戦が終わりでなかった。王座統一を実現して以降も実に12年もの長きにわたって活躍したのである。

昨日の敵は今日の友

 2004年9月のデラホーヤ戦でIBF(国際ボクシング連盟)、WBC(世界ボクシング評議会)、WBA(世界ボクシング協会)、WBO(世界ボクシング機構)すべてのチャンピオンとなったホプキンスがまず周囲を驚かせたのは、この試合後にライバルのデラホーヤとビジネス・パートナーとなったことだ。

 デラホーヤが現役ながらに経営するプロモーション会社(ゴールデンボーイ・プロモーションズ)の東地区社長の要職に就いたのである。自分を倒した憎き相手を傘下に収めたデラホーヤも大したものだが、ホプキンスはさっそくゴールデンボーイ社と複数試合契約を交わし、さらに同社のイベントでは出場選手のプレゼンなども取り仕切るようになった。

 しかしホプキンスは統一王座としての防衛に1度しか成功しなかった。2005年7月、挑戦者ジャーメイン・テイラー(アメリカ)にまさかの判定負けを喫し、4本のミドル級ベルトを一挙に手放したのだ。テイラーは史上2人目の「4団体統一王者」の称号を手にした。

 判定は際どい2−1だったため、両者は5ヵ月後にダイレクトリマッチを行ったが、ここでもホプキンスはテイラーに判定負け。タイトル奪還に失敗すると、長年主戦場にしたミドル級に別れを告げ、一気に14ポンド(6・35キロ)上げたライトヘビー級で「引退試合」を公言してリングに立った。

年齢と収入を考慮した闘い

 2006年6月、同級最強と目されたアントニオ・ターバー(アメリカ)と対戦したホプキンスは見事なパフォーマンスで判定勝ち。やはりといおうか、この一戦を有終の美とはせず、以降もロナルド・ライト(アメリカ)、ジョー・カルザギ(イギリス)と時のトップ選手たちを相手に、年に一度のペースで戦い続けた。タイトルよりも対戦相手を重視したビッグマッチ限定路線は、年齢面と収入面の両方で効率的だったろう。

 そうこうするうちに世界王座まで到達した。2011年5月、初戦のドローを受けた再挑戦でジャン・パスカル(カナダ)を破り、なんと46歳4ヵ月にして世界タイトル(WBC)を獲得したのだ。

 これはヘビー級のジョージ・フォアマン(アメリカ)の45歳9ヵ月を上回る最年長奪取記録となった。さらにホプキンスはWBCタイトルを失ってから取り戻したり、別団体のタイトルをコレクションしては自分の高齢記録を塗り替え、最終的には「49歳3ヵ月」まで更新している。2014年4月、ベイブット・シュメノフ(カザフスタン)に勝って2団体統一(IBF&WBA)を成し遂げた時の年齢である。

 こうなるとホプキンスも、
「50歳までに“比類なきチャンピオン”と呼ばれることが私の仕事だ」。
この年齢で再び完全統一をもくろんでいたのだから開いた口がふさがらない。

 結局、次戦のライトヘビー級3団体王座統一戦で敗れ、ホプキンスの野望は実現しなかった。ホプキンスは50歳を目前にした最後の世界タイトルマッチで100万ドルのファイトマネーと、試合を観戦した現役チャンピオンから「40代なんて若造だ」と賛辞を贈られた。

 28年に及んだプロ生活でホプキンスは67戦55勝32KO8敗2分2無効試合のレコードを残した。30歳で初めて世界タイトルを握ってから20年も第一線で戦った伝説の男。57歳になったホプキンスはいまもゴールデンボーイ社の幹部として活躍中である。


VictorySportsNews編集部