競技人生を否定しかねない状況

 組織を立ち上げたのは、五輪代表経験者ら各競技で活躍した7人。名称は、新たな時代をつくるという思いを込めて「Making an ERA(以下ME)」で、自分たちで考案した。ホッケーで東京五輪にも出場した山田明季さんが代表を務め、アイスホッケーで五輪2大会出場の中村亜実さん、水上スキーで日本代表経験を持つ神谷晴江さん、ゴールボールでパラリンピックに出場した経験を持つ高田朋枝さん、 サーフィンの武知実波さん、米プロフットボールNFLでもチアリーダーとして活躍したチアダンスの西村樹里さん、パラ陸上の銭場望美さんがメンバーに名を連ねた。いずれも、大手監査法人のEY新日本監査法人などを展開するEY Japanが主宰したプログラムに参加して知り合い、意気投合した。

 例えば、青森県八戸市出身の中村さんは小学校低学年でアイスホッケーを始め、中学時代に上京して腕を磨いてきた。現役中にセカンドキャリアについて深く考えていなかったという。引退後、東京都内の勤務先で未経験だったオフィスワークを始めた。「電話対応やコピーの取り方など戸惑いばかり。競技に打ち込んだのは意味があったのかなという思いになり、人生を懸けて打ち込んだことを否定しそうな感じでした」と打ち明けた。自身のコミュニケーション能力が仕事にも生かせると気付いて前向きになったが「キャリアのことを考える重要性を知っていれば、将来のことを考えやすかったと思います」と吐露した。

 山田さんは高校時代に日本代表に選ばれ、注目の的になった。大学卒業後に海外留学を経験。外国の同級生がビジネスを立ち上げたことに衝撃を受けたり、海外のトップ選手には弁護士や看護士と両立している人たちがいることを知ったりと、人生を見つめ直すきっかけになった。「〝ホッケー=人生〟に疲れた面がありましたし、自分のキャリアについてあまり考えていませんでした。帰国してからは、どうキャリアを積んでいくのか考えながらホッケーをしていました」と説明。それぞれに壁にぶち当たりながら、乗り越えるべく奮闘した。

人生の深掘りと気付き

 MEは昨年11月、第1回ワークショップをオンラインと対面の2度に分けて開催し、現役選手たちも参加した。題して「アスリートの、アスリートによる、アスリートのためのワークショップ~少し先の未来を考えよう~」。東京都内で行われた対面形式では複数のグループに分かれ、各自が人生におけるモチベーションの高低について移り変わりを曲線で描いたり、自身の行動や競技活動が他人や社会に与える価値を分析したりしてディスカッションを繰り返した。例えばモチベーション曲線では、上がったり下がったりした理由や背景、立ち直った方法などについて他の参加者から質問を受け、指摘もされた。これによって人生の深掘りや発見につながり、アスリート経験者としての自身の価値や強みを発見していった。

 水上スキー日本代表で国際大会でも好成績を収めている定水萌さんは普段、一般企業の営業職に従事している。働きながら休日にびわ湖へ練習に行き、スケジュール調整を腐心しながら試合に出場している。「働きながら水上スキーと向き合っていますが、周囲には趣味みたいな感じで受け取られることもあります。アスリート以外の部分の自分が見えにくく、周囲に価値を提供できているかを知ることは難しかったです。でもワークショップに出席し、アスリートとしての自分もプラスに働いていて、仕事面でも知らない間に周囲にいい影響を与えていたんだと実感できました」と笑顔で話した。

 アイスホッケーに打ち込んでいた下平絵里加さんは現在、親族が創業した会社でマーケティング部長の職に就いている。「アイスホッケーであんなに頑張っていたのに成果が出なかったので、選手としての自分は負の時代だと思っていました。自分の存在価値って何だろうとか、今の仕事とどうつながっているのだろうとずっと思っていましたが、ワークショップを通じて選手時代のことが今にも生きていると実感できました」と明かした。MEメンバーが情熱を傾けて取り組んだことが早速、成果になって表れた形だ。

行動に移したことの意義

 東日本大震災が発生した2011年。女子サッカーのワールドカップ(W杯)で日本代表「なでしこジャパン」が初優勝して日本に元気を与えたように、スポーツ分野での女性の成功は社会的なインパクトをもたらす。同様にビジネスの世界でもスポーツと女性は深く関与している。EYなどの調査によると、世界の企業において女性の上級役員の94%が過去にスポーツ経験があり、そのうち52%が大学スポーツの選手だった。世界各地の女性起業家へのインタビューを通じ、スポーツを通じて培った成功要素に「①自信 ②ひたむきさ ③情熱 ④リーダーシップ ⑤立ち直る力(レジリエンス)」の五つを挙げる。

 それゆえに今回、アスリート出身者が力を合わせて実際に行動に移し、団体をつくったことの意義は大きい。MEを支援しているEY Japanの小野寺美穂さんは「アスリートだった皆さんがアクションを起こされたことを本当にうれしく思っています。多くの場合は計画だけでとん挫することがほとんどですが、今回はアスリートの持つ資質、やり切る力といったものを、彼女たちの成長する姿を近くで見守っている中で実感しました」とたたえた。

 ワークショップ参加者にとっても、同じスポーツ選手の先輩たちが導いてくれることのメリットは見逃せない。アーティスティックスイミングで2016年リオデジャネイロ五輪のメダリスト、丸茂圭衣さんは現在、企業の人事系の部署に勤務。「世の中で元アスリートという立場は少数派で、競技を終えて会社員になる人自体も少ない。自分は現役時代に引退後のことを考える余裕はありませんでした。今回は相談しやすかったですし、ありがたかったです」と感謝した。下平さんも「元アスリートの方たちが運営されているということで話していて共感できる部分も大きく、自分の内面をさらけ出すことができました」と話した。

格差大きい日本の突破口に

 女性の力を生かすことは、今後の日本社会にとっても避けては通れないテーマでもある。7月にスイスのシンクタンク、世界経済フォーラム(WEF)が発表した2022年版の「男女格差(ジェンダー・ギャップ)報告」で、日本は調査対象となった146カ国中116位と低迷した。特に女性議員・閣僚の少なさから政治分野では139位、管理職の少なさや収入格差の点から経済では121位と相変わらず低調。先進7カ国(G7)や東アジア太平洋地域諸国でともに最下位だった。女性の社会進出を阻む「ガラスの天井」が歴然と横たわっていることは否めず、ドラスティックに変わっていく世界情勢の中で、日本の国力を高めるためにも喫緊の問題といえる。

 ワークショップに立ち合ったスポーツ庁の担当者は「アスリートの皆さんのキャリア形成は重要な課題の一つ。元アスリートの皆さんが自発的に立ち上げたプロジェクトは珍しく、こういった動きは貴重です。今回の参加者の方々にはアンケートをいただいて、われわれも今後の施策の検討に生かしたい」と話す。

 MEの神谷さんによると、ワークショップのプログラムはメンバーたちで考えた。話を聞きつけた男性からも参加希望があったといい「これからもっと活動を広げていきたいですね」と意欲的。中村さんは「人生を懸けてスポーツをやってきたことは決して無駄ではなく、その後の人生につながっていると伝えたい。後輩のアスリートの皆さんと不安や悩みを共有しながら続けていけば、将来につながっていくと思います」と熱意を口にする。女性アスリートの心情は、実際に苦悩してきた人たちにしか分からないことが少なくないだけに、MEメンバーの説得力は絶大だ。状況改善の突破口になる可能性を秘めるMEから、2023年以降も目が離せない。

Making an ERA 公式Instagramより
高村収

著者プロフィール 高村収

1973年生まれ。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事