金儲けのためではない努力

 このパフォーマンスがなぜ、野球チームの士気向上のために導入されたのか?由来を探るには「ペッパーグラインダー」という言葉の方が分かりやすい。鍵となるのが「grind(グラインド)」という単語で、「歯ぎしりをする、うすなどでひく、細かく砕く」という意味がある。転じて、スラングとして「身を粉にして働く、一生懸命に働く」との意味で会話に用いられている。英語の参考書によると、「お金儲けのためだけではなく、目標を達成するために努力し続ける」というニュアンスが込められているという。

 ヌートバーによると、昨季にチームが不調に陥っていた時期に雰囲気を明るくする狙いで始めた。起源については、ある選手が「バッティングの調子が悪いときでも、バッターボックスでは投手の球をよく見たり、四球を選んだり、進塁打を打ったりと、チームのために『grind out(粘り強くやり抜く)』できることはある」とチームメートに話したことであると、現地メディアに紹介されている。その後、選手が両手を重ねてひねるパフォーマンスをするだけではなく、カージナルスのベンチには大きなペッパーミルが用意されてホームランを打った選手の頭上からこしょうを振る場面も見られるなど定着していった。

栗山監督の眼力

 日本代表に浸透するきっかけとなったのは大谷の存在だった。ヌートバーにペッパーグラインダーをやることの承諾を得ると、3月6日の強化試合でホームランを放った後、ダイヤモンドを回りながら早速披露。チーム内で拡大するとともに、テレビのワイドショーなどでも繰り返し取り上げられ、日本中に伝播した。

 今回の代表では大谷、ヌートバーの他にダルビッシュ有(パドレス)吉田正尚(レッドソックス)といったメジャーリーガーも活躍し、日本のプロ野球組とうまく融合した。その一因にペッパーグラインダーがあるのは間違いない。〝象徴〟を共有することで組織が団結しやすくなり、ひいては高い成果を生み出すことにつながる好例となった。

 大きな下支えとなったのが栗山英樹監督の眼力だ。ヌートバーを初の日系選手として代表に選出する決断を下し、見事に戦力として生かした。日本人の母親を持ち、カージナルスファンの間では明るい言動で以前から人気者のヌートバー。栗山監督は代表に呼んだ理由に守備力や長打力といったプレー面に加え、人間性に触れて次のように説明した。「愛すべき人柄だし、魂を持った選手。一球一球、一生懸命にプレーを続ける。直接話したら全員が好きになる」と太鼓判。ふたを開けてみれば、ペッパーグラインダーをチームにもたらすと同時に、1番打者として堂々と存在感を放った。

世情に乗った社会現象

 WBCが始まるまで、ペッパーミルはレストランなどによく置いてあり、一般家庭でも利用が広がっている調理器具の一つに過ぎなかった。今やこしょうをひく動作は社会現象になっている。関係者によると、ペッパーミル自体の売れ行きが加速度的に伸びており、1本5千円前後の業務用も自宅やスポーツバーでの観戦用に購入する人が後を絶たないという。

 また、3月18日から甲子園球場で行われている選抜高校野球大会ではペッパーグラインダーを巡って一騒動が起きた。1回戦で東北(宮城)の選手が相手のエラーで出塁した際、ベンチにいた複数選手がこしょうをひくポーズをしたところ、一塁塁審から注意を受けたという。同校の佐藤洋監督は「なぜ注意を受けるのか分からない。日本中が野球で盛り上がって一つになっている。子どもたちは楽しんでやっているのに、なぜ大人が止めるのか」と話した。ただ、ヌートバーらは自分たちの好プレー時に行っており、相手の失策にはそぐわないなどと賛否両論が起きた。

 3月13日から新型コロナウイルス対策に関し、マスク着用が個人の判断に委ねられるようになった。スポーツにも軒並み、声出し応援が戻ってきた。2020年に始まった我慢の生活が、徐々に元通りに向かっている状況下で日本代表が奮闘した。テレビ中継の視聴率は準々決勝で48・0%をマークする(ビデオリサーチ調べ)など驚異的な数字。コロナ禍からの制限緩和という前向きな世情に乗ってフィーバーを巻き起こし、ペッパーミルはキッチンや食卓から一躍、侍ジャパンのシンボルとして足跡を残した。

日本国民の歯ぎしり

 昨日行われた準決勝のメキシコ戦では胃が痛くなるようなゲームを、不振に喘いでいた村上の劇的なサヨナラ打で制した。“歯ぎしり”をしていた日本国民を解放してくれた村上。村上はもちろんチーム全員がペッパーミルを忘れていたのはご愛嬌。決勝戦こそは余裕を持って何度もペッパーミルのポーズで騒ぎたい。泣いても笑ってもこの1試合でWBCが終わってしまう。


VictorySportsNews編集部