自分が好む服と他人に提供する服とは違う
――まず、好きな色を教えてください。
伊藤 「黒」です。ほとんど黒しか着ません。中学生くらいからずっと黒です。黒がカッコいいと思います。
――自分の服を作ることはありますか?
伊藤 作りません。買います。自分がモデルじゃ何もインスピレーションが湧かないです。
――買った服に刺繍やラインストーンをつけたりは…しなそうですね。
伊藤 絶対にしません。デザイナーさんの大切なデザインですから、手は加えません。特定のブランドやデザイナーの服を買うのは、その人のアイデンティティを買うようなものです。年に1~2回そういった服を買いますが、外では着ません。家の中でたまに着て、ディテールを見たりして。後はカバーを掛けてクローゼットに戻します。絵画と同じ感覚ですね。
――普通に考えたら、もったいない気もしますが。はじめにお会いした時から、ご自身がデザインする衣裳のイメージがまったくない印象でした。「ビーズやスパンコールとの出会いを教えてください。少女時代に…」という質問を用意していたのですが。
伊藤 本当に申し訳ないのですが、ないんですよ。“出会い”は会社に入ったときです。自分のテイストの中にビーズやスパンコールはまったくありませんでした。もともとフィギュアスケートの衣裳デザイナーを目指して服飾デザインの学校に通ったわけではないので、素材としてはレザーが好きでした。モード系の学校なので、舞台衣装もデザインしたことがありません。
――テイストの違うデザインに抵抗はありませんでしたか?
伊藤 それはないですね。自分が好む服と他人に提供する服とは違うと思っています。人によるかもしれませんが、自分の場合は「私は黒が好きだけど、この人だったら色味があったほうがいい」「この光があったほうがいい」「明るい色が似あう」「新葉ちゃんは太陽のイメージ」とか。そんな感じです。曲のイメージは大事ですし。
――「母親の影響は?」という質問もありました。私なんかはよく母親の指輪やアクセサリーをこっそりいじっていましたが。
伊藤 ないわけでもないのは、うちの母親は若い頃にオートクチュールを縫っていました。わたしが生まれる前までですけど。ただ、生まれた後も洋服は作ってもらいましたね。仕事ではウェディングドレスとかも。普段着るものというよりは特別なドレスですね。写真で見ました。
――血ですね。お母さまはある意味同業者じゃないですか。フィギュアスケートのデザインについて何か言われたりしますか?
伊藤 喜んでいますよ。「聡美のが一番よ!」って言ってます(笑)ありがたいです。
――親は一番のファンですよね。ご自身が影響を受けたデザイナーとかは?
伊藤 いっぱいいます。基本はモードですけれど、アレキサンダー・マックイーンやジャン=ポール・ゴルチエ、ジョン・ガリアーノ、ちょっと毛色が違いますけど、KENZO by Antonio Marrasのときのアントニオ・マラス。創立者の高田謙三さんも好きなのですが、それをさらにオートクチュールのテイストにしたイタリアのデザイナーです。
――テキスタイルが面白いデザイナーですよね。サルディーニャ発の。
伊藤 KENZO by Antonio Marrasのデザインを見て服を作りたくなったんです。
今日の雲、夕焼けの色とか。自然の色味は参考にしている。
――美術展によく行かれるとか。
伊藤 ベタですけど、印象派が好きです。印象派の人たちのバックグラウンドも好きなんです。最初は受け入れられなかったじゃないですか。酷評されて、その誹謗中傷の中でも自分たちのやりたいことを貫いたところが本当にすごいと思っています。しかも死んじゃった後に世界的に評価されたという。
――作品も好きだけれど、生き様も好きということですね。画家では誰が?
伊藤 画家というより、印象派のコンセプトが好きなんです。一瞬の光を捉えたり、光の移り変わりをそのまま描くとか。
――モネの「ルーアン大聖堂」を思い浮かべました。そのまま纏いたい感じですよね。
伊藤 普段ジョギングをしているのですが、空の色とか見ると、それを活かしたいなって思うんです。今日の雲、夕焼けの色とか。自然の色味は参考にしています。
――本田真凜選手のSPの衣裳は印象派っぽいですよね。前が入り江のようになっている。色味がジェリーフィッシュのような、ヌーディ―な。
伊藤 あれは天使とか女神の羽根のイメージです。曲名が『The giving』で、初めて聴いたのですが、温かみのある印象でした。givingって直訳すると、与えたり、与えられたりっていう意味なので、教会で祈っている雰囲気を出そうと思いました。後からテーマを聞いたら「愛と希望」ということで、イメージがけっこうリンクしていてよかったなと思いました。
――宇野選手のSP『冬』も、見る角度によって石の光が多色に見えて面白いですね。シルバーグレーをベースにしているからなのか、逆に色味がよくわかります。
伊藤 紫の大きい石以外は3種類くらいなんですよ。ただ、それこそ角度によって紫に見えたり黄緑に見えたりするラインストーンを使っています。自分の衣裳はよく「色をたくさん使っている」と思われるのですが、そうでもないんです。海外の衣裳に比べたらぜんぜんです。
海外はコンセプトを大事にする。作る服にもちゃんと意味がないとダメだと学んだ。
――抽象的な質問になりますが、伊藤聡美さんにとっての「衣裳デザイン」とは?
伊藤 難しい質問ですね。あくまでも「フィギアスケートの衣装デザイン」ということでお話しするならば、そもそもフィギアスケートは振り付け師さんがいて曲があって、それありきのデザインなんです。そのふたつがないと、自分もデザインができません。そこからしかインスピレーションをもらえないので。
学生時代に遡りますが、まず自分でデザインコンセプトを決めて、全体のテーマを決めて、リサーチしながらビジュアルいろいろ集めて…。学生の時に「2008年神戸ファッションコンテスト」で特選を受賞した作品ですが、“建築”をイメージしたファッションなんです。
建築といってもいろいろあります。まず、どんな建築をモチーフにするのか。私は「脱構築主義」の建築に興味があって、その中でも「フランク・ゲーリー」の作品がとても好きなんです。この人が作る建築の特徴を服で立体的に再現できないかな、というところからはじまるんです。
――そこがスタートラインで、徐々にモチーフとするポイントを絞っていく“過程”があるわけですよね。デザインとは元来、考える作業です。
伊藤 フィギュアスケートの場合ですが、決められた曲の中でデザインをすることになります。納期の関係もありますが、できるだけリサーチする時間を作るようにしています。「振り付け師さんはどういう意図でこういう曲を選んだのだろうか?」「どういう作品にしたいのか?」「なにを伝えたいのか」とか考えるわけです。
あまり器用な方ではないので、コンセプトがないとデザインができません。センスもよくて、すぐに方向性が決められるデザイナーであれば、「あなたにはこれが似合うよ」って即座に提案できるのでしょうけど、自分にはできない。自分の中でストーリーを作り込んで、はじめてデザインに落とし込めるんです。
――できないのではなく、“するべきではない”と考えていませんか? イギリスにデザイン留学されていましたよね。ものづくりに対する考え方やプライオリティーにかなりの違いがあったと思います。
伊藤 海外はすごくコンセプトを大事にします。仕上がり具合よりも、その過程を重視するんです。作る服にもちゃんと意味がないとダメだと学ばされました。とても勉強になりました。
――その辺りは今のデザインの姿勢に現れているし、活かされてますよね。今は 「考える時間(過程)が足りない」ということでしょうか。
伊藤 自分のデザインが好きでオーダーしてくれる人は、ある程度こちらの納期を聞いてくれます。ちょっと待ってでも私の衣装を着たいと言ってくれる。私としては、そうしていただければありがたいです。
――デザイナー側から、他にリクエストはありますか?
伊藤 装飾などのディテールは、好みもあるし参考になるのですが、構造的な部分はこちらに任せていただきたいと思います。後々、直すにしても難しくなってしまう場合が多いからです。そこは信頼していただくしかありません。最近は選手や親御さんがデザインをするケースもあります。それは構わないのですが、私のテイストを理解したうえでオーダーして頂きたいです。
――そこは「プロフェッショナルの領域」ということですね。
――衣裳デザイナーとして、これから挑戦したいものはありますか。
伊藤 そうですね、スケート以外のこともやりたいです。近いところでは「新体操」でしょうか。元々、五輪まではスケート一本でやると決めていたので、そろそろ新しい事に挑戦しようと考えています。来季はスケートのオーダーを減らすつもりです。
現状、自分も幅がなくなってきたなという自覚はあって、同じ雰囲気のものがすごく増えた気がしています。4年後だれもオーダーしてくれないのではなかろうか?という危機感は常に持っています。そういった意味でも、違ったジャンルに挑戦し、それをまたスケートのほうにフィードバックさせるのが大事だと思っています。
――展開を楽しみにしています。そちらの仕事もぜひ取材させてください。
◆伊藤聡美(いとうさとみ)高校卒業後、服飾専門学校のエスモードジャポンに入学。08年神戸ファッションコンテストで特選を受賞し、英ノッティンガム芸術大学へ留学。帰国後、チャコット社でフィギュアスケート衣装に携わるようになり、15年に独立。
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