高校選手権、テーピングで強行出場した選手たち

「土日がすべて練習で、家族でどこにも行けなくて……」
 
一昨年12月、僕が代表を務めるスエルテ横浜の体験練習に来た小学一年生のご両親の言葉だ。ご両親の言う通り、彼が所属している少年団では土日が全て練習日となっているらしい。当然、週末に家族で出かけるなんてことはできない。
 
彼の少年団に限った話ではない。ボランティアのお父さんコーチで形成されるチームは、平日に練習ができないため、週末にまとめて練習をするというチームがほとんど。それでも、「午前中だけ」「午後だけ」で終わらせてくれるのならまだいい。お弁当を持たせ、朝から夕方まで拘束してしまうチームも多い。例え半日だけとしても、4~5時間も拘束してしまうケースもある。
 
そんな長時間では集中力が続くはずもなく、練習強度を保てない。全くの非効率だ。子どもたちに無駄な時間を過ごさせ、無駄なことを強いていることを大人たちはもっと自覚すべきだろう。

正月に開催された全国高校サッカー選手権や全日本高校女子サッカー選手権でも、ひざや太ももにテーピングやサポーターを巻いて強行出場している選手がとても目立った。選手の能力が10あるとして、実力を7~9の間、時に10というアベレージで出せる選手が良い選手だ。しかしその能力はケガをしてしまえば半減、ヘタをすればゼロにすらなってしまう。ゼロにさせてしまうのは、100パーセント指導者の責任だ。
 
ケガをする一番の原因は、練習のさせ過ぎ。負荷が積み重なれば、ケガをするリスクは当然高くなる。そこに精神的な負荷も加われば、リスクはさらに上がる。テーピングにまみれた選手達の姿は、ジュニア年代から始まる日本中の指導者が今なお脱却できない「練習をやらせないと不安になる症候群」が生み出している。それが全てではないが、遠からず……だろう。この問題は、なかなか根深い。

休めばいいじゃん!

最近はFacebookなどのSNSで、練習試合のマッチングができる。これは本当にあった話なのだが、一昨年12月に「12月28日、活動できるグランドがありません。どなたか試合に呼んでくれないでしょうか!」という、切実さを感じさせる投稿が載っていた。
 
「おいおい、もう休めよ!」とスマホを見ながら思わずツッコミを入れたのだけれど、この方は冗談でもなんでもなく「試合させたい」「練習させたい」と本気で思って投稿していたわけだ。このケースだけでなく、一年中ずっとあらゆるマッチングサイトでいろいろなチームから「グランドがありません、試合に呼んで下さい!」ばかり。
 
反発覚悟で言うが「休めばいいじゃん」と思う。どうせいつも、子どもたちの週末をサッカーで潰してるんでしょ。グランドがないなら好都合、たまには休めばいい。そうしたら子どもたち、勝手に自分達で時間をコーディネートしますよ。普段のサッカーで息が詰まっている子は、家族でどこかに出かけるかもしれないし、遊びに夢中になるかもしれない。「もっとサッカーしたいよ!」という子は、1人でも仲間を誘ってでも、勝手にどこかでサッカーをするもの。
 
大人が全て管理して、スケジューリングして、教えて、鍛えて……「練習とはそういうもの」という概念から、大人がそろそろ自由になるべきだ。
 
どうしても週末にスケジュールを組まないと気が済まない指導者は、子どもたちより自分のことを優先しているのではないか。自分の居場所としての「少年サッカー」。その時間がなくなることが耐えられない、そんな人がとても多いのだと思う。これはあくまでも現場で感じる肌感覚でしかないけれど、かなり当たっている確信もある。「子どもたちのため!」と言ってるけど、本当はご自分がやりたいだけじゃないですか? 自分がやりたいからと、半強制的に子どもたちの時間を奪っていませんか。

心の遊び、ゆとりこそが成長を育む

休むことはマイナス、せっかく練習したことを忘れてしまう、錆びついてしまうという不安から、無理にでも練習を組み、時間を長くする……やればやるほど技術も体力もつく、コレができたら次はコレ、その次はコレ…と足し算にとらわれるばかり。
 
しかし、それは間違い。何かを練習するということは、何かを失うということ。何かを練習すれば、その何か以外のものが付随して上手くなったりするもの。コレができるようになったことで、できていたはずのアレができなくなったり…その繰り返しのサイクルの中で、子どもたちは成長していく。
 
コレとコレの要素を今一緒に練習に組み込むことによって、双方に爆発的な相乗効果が出るとか、コイツとコイツをペアで組ませて練習すればこういう効果が引き出せるだろうとか、その逆もあるとか……育成とはかけ算であり、たまに引き算、割り算、因数分解の要素もある。「やればいいってものじゃない」というごく簡単なことなのだが、大人のくせにそれを理解していない人が何故こうも多いのだろうと、不思議で仕方ない。
 
教えたことや練習したことは、全部伝わるわけがない。相手はロボットでもAIでもない、生身の人間なんだから。「教えたぜ……!」と自己満足していることは、半分も伝わっていればいいほう。ほぼ、その半分すら伝わらない。あとは選手それぞれの受け取り方と咀嚼の仕方次第。そこから先に、選手の個性を育む可能性がある。
 
だから、子どもたちに「もう無理」とか思わせたらいけないです。「もっとやりたい、もっとサッカーしたい!」という心の遊び、ゆとりがあるから、練習後にでも子どもたちは遊ぶ。練習がない日でも、自分たちで勝手に遊ぶ。その時間を残すことこそが大人の最大の役目だと、僕は確信を持って言える。
 
「週末だけの練習じゃ足りないから、あの子が行ってるから…」と、平日にあらゆる「スクール」に通わせる親も同様だ。「うちの子は週6でサッカーやってます」とか平気でいるからね。週末でも平日でも、子どもたちをサッカー漬けにして、サッカー以外のものに触れる機会を奪っている大人たち。
 
子どもの頃からサッカーしかして来なかった、なんてほぼ悲劇だ。サッカー以外にも楽しいスポーツはたくさんある。スポーツだけじゃなく、音楽や美術など他の芸術に触れる機会を、一番感受性が豊かなこの時期に奪ってしまうのは実にもったいない。旅行にだって、行けるならたくさん行ったほうがいい。
 
どうしても日本では「何かひとつに打ち込むことが美徳」のような風潮がある。「二兎を追う者は一兎をも得ず」なんて言葉もあるが、そんなのは二兎を追う意思すらなかったやつの言い訳だ。二兎を追うための時間のデザインの仕方が拙いだけ。サッカーだけが唯一の価値ではなく、他にも素晴らしいものがたくさんあること、そしてサッカーよりも大切なことが世の中にはたくさんあるんだよということを教えるのも指導者の重要な役割であり、親も含めた、大人全ての重責だと思う。

女の子と遊んだっていいし、社会活動に参加したっていい

「サッカーは自由なスポーツや。それを理解できないのなら、選手に伝えられないのなら、指導者失格やで」と、尊敬する方に言われたことがある。
 
自由の意味を伝えるのなら、まずはその本人が自由でなくてはならない。時間をデザインし、自分を、そして人生そのものをコーディネートする。それこそが真の自由だと自分は思う。しかしそんな観点や発想のカケラもない「不自由な」大人が、指導者側の多数を占めているのが育成年代の現状なのだと思う。
 
Time is Life。時間は人生そのものだ。時間の概念を、指導者はもっと大切にすべきだ。時間をどう使うか、どう使わせるよう導けるかを、もっと真剣に考えたほうがいい。時間を費やさせる、時間を共有する(させる)ということは、良くも悪くも、その相手側の人生の一部を奪うこと。大げさに聞こえるかもしれないが、そういうことだ。
 
スエルテ横浜では、今年からジュニアユース(U-15)カテゴリーも始める。練習は週2回で各日90分、週末は土日どちらかのみの活動とする予定だ。
 
つまり週4回、サッカーをやらない日がある。そこで何をするか、しないか。それを選手達自身がデザインし、自分をコーディネートしてほしい。塾に行ってもいいし部活をしてもいいし、女の子と遊んだっていいし、こっそり社会活動に参加したっていい。
 
サッカー以外のものにたくさん触れ、サッカーでお腹も頭も心もいっぱいになっていない状態の選手達が表現するサッカーは、必ずや魅力的なものになる。それぞれが主体的な意思を持つ魅力的な選手達に育ってくれると確信しているし、それを今からとても楽しみにしている。
 
週末しか練習日がないチームが、1日に4~5時間も練習時間を設定しているのならば、指導者が関与する練習は90分~120分にして、後の時間は全て子どもの自由にすればいい。もっとサッカーしたい子はゲームを始め、自主練したい子は頭の中でメッシやネイマールを思い浮かべながら、黙々とボールを触るかもしれない。
 
大人はそれを、ゆっくり眺めていればいいじゃないですか。ドッジボールを始める子だっているかもしれないし、用があるから、映画観に行くからと帰る子がいたっていい。それをあっさり許容してあげる懐の大きさを持つこと、それが大切なのだと思う。
 
テーピングまみれの選手を見るのは悲しい。「もう燃え尽きた、サッカーから引退する」と高校生に言わせるのも悲しい。そう言わせてしまう最初のスタートは、間違いなく少年期にあります。ご自分の経験則を捨て、今までの概念も捨て、大人がもっと自由になりましょう。

<了>

日本は、いつまで“メッシの卵”を見落とし続けるのか? 小俣よしのぶ(前編)

今、日本は空前の“タレント発掘ブーム"だ。芸能タレントではない。スポーツのタレント(才能)のことだ。2020東京オリンピック・パラリンピックなどの国際競技大会でメダルを獲れる選手の育成を目指し、才能ある成長期の選手を発掘・育成する事業が、国家予算で行われている。タレント発掘が活発になるほど、日本のスポーツが強くなる。そのような社会の風潮に異を唱えるのが、選抜育成システム研究家の小俣よしのぶ氏だ。その根拠を語ってもらった。(取材・文:出川啓太)

VICTORY ALL SPORTS NEWS

野球のトレーニングに「走り込み」は必要なのか? vol.1

日々、進化し続けるスポーツのトレーニング事情。近年、とりわけ話題になっているのが「走り込み」と「ウェイト・トレーニング」の是非をめぐる問題だ。野球という競技において「走り込み」はそれほど効果がなく、「ウェイト・トレーニング」にもっとしっかり取り組むべき、という考え方が広まってきている。

VICTORY ALL SPORTS NEWS

日本はいつまで「質より量」の練習を続けるのか? 坪井健太郎インタビュー

「長時間の練習、絶え間ない努力が結果に結びつく」。日本では長らく、スポーツのトレーニングに質より量を求める風潮があり、その傾向は現在も続いています。結果として、猛暑の中での練習による事故、罰走を課せられた選手が重体になる事件など、痛ましいニュースが後を絶ちません。 海外に目を移せば、十分な休養、最適な負荷がトレーニングに必要な要素という認識がスポーツ界でもスタンダードになっています。サッカー大国・スペインで育成年代のコーチを務める坪井健太郎氏にお話を伺いました。(取材・文:大塚一樹)

VICTORY ALL SPORTS NEWS

なぜ、日本では雑用係を「マネージャー」と呼ぶのか?

ベストセラー「もしドラ」が流行ってから随分経ち、「マネジメント」という概念も以前に比べると浸透するようになりました。しかしながら、スポーツ界とりわけ学生スポーツにおけるマネージャーの役割は、「マネジメント」のそれとはかけ離れているように思います。どうしてこの乖離は生まれたのでしょうか? 帝京大学経済学部准教授であり、VICTORYプロクリックス大山高氏(スポーツ科学博士)に解説を依頼しました。(文:大山高)

VICTORY ALL SPORTS NEWS
躍進を見せた高校生たちのカゲにある日本スポーツ界の問題点チーム名で進路は決めない 高校生、大学生の「蹴活」事情

VictorySportsNews編集部