シャドーボクシングからも伝わる『違い』

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「ミスタータイガース」こと掛布雅之を輩出した野球部をはじめ、習志野高校は伝統的に部活動での実績が多い。そのため、堤駿斗がボクシングで様々な日本史上最高の成績を生み、学校に横断幕が掲げられる頻度が増えても、マスメディアへの露出が増えても「他の生徒との関わりに変化はなかった」と、堤自身が言う。卒業式にも一般の生徒たちと変わらずに出席したが、式後の校長室では、PTA会長や後援会長らに在校中の実績を表彰された。そして、校長室の外では在校生や卒業生のみならず、卒業生の父兄までが、このチャンスを逃すまいと、サインや写真撮影のリクエスト待ちの行列を成していたのだ。

リング上ではすっかり隠せるようになった「困惑」を思わず顔に出し、「話したこともない人ばかりですけど」とはにかんだ堤だが、実績的にはこれくらいのヒーロー扱いをされてもまったく申し分あるまい。未来には東京五輪・金メダリストとなる可能性を秘めているのみならず、この日までの堤は、世界最強の高校生ボクサーだったのだ。

同校ボクシング部の関茂峰和顧問は、堤をいかに「普通の生徒」であったかから振り返った。
「極端に大人しい生徒でも極端に騒ぐ生徒でもない。担任から褒められることもあれば、叱られることもある。勉強の成績もそうでした。極端だったのはボクシングだけなんです。部活動でシャドーボクシングを始めると、それだけでオーラを放つような別格ぶりがありました。海外遠征で部活を休んでいるときと、彼がいるときでは他の部員の動きが無意識のうちに変わっている。他の部員たちをリードしていたんです」

習志野高校のインターハイでの学校対抗成績はおととしが5位で、去年が3位。好成績の秘訣に「堤効果」が大きかったとは、部員全員が共感していると同顧問は断言した。

ボクシングにおける堤の強さには、「旧ソ連の強豪」を彷彿とさせる心、技、体の安定感が挙げられる。昨年11月、堤は高校生の枠を越えて全日本選手権に出場し、東西トップの大学生や社会人を連破して優勝した。大会前、ライバルたちから堤は「なんだかんだで高校生」と思わせるような、技術的なスキや精神的なモロさを見せるとも期待されていたかもしれない。何しろ彼はまだヘッドギアをつけずに試合をしたことが一度もなかったのだ。だが事前に堤は、他の高校生なら戸惑うはずの状況をなるべく多く、大会前のスパーリングで経験しておいた。結果的にほぼ完璧だった安定感は、逆に対戦相手を戸惑わせる最高の材料になっていたようにも思える。

堤を大きく成長させた高校1年時の3敗

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その安定感を培うきっかけには、高校初期の挫折が大きかった。

「入学してすぐにウズベキスタンでアジア・ジュニア選手権(15歳、16歳対象)があって、その5カ月後にはロシアで世界ジュニア選手権があったんですけど、自分は両方とも1回戦負けでした。その合間に国内でもインターハイがあって、ここでも決勝で負けています。どの大会でも、同級生が活躍しているので本当に悔しかった。だからこの3回の負け試合で、自分の意識の持ちかたがズレているんじゃないかって見つめ直しました」(堤)

世界ジュニア選手権で自身の階級を制したマーク・カストロ(アメリカ)には、どうしても、自分が技術で劣るように見えなかった。ただ、パンチを放ったあとにバランスを崩さぬ肉体的な強さには大きな差を感じた。それから練習に自宅での体幹強化を加えると、次第に、今まで練習の成果を発揮できなかった技術も活かせるようになった。堤は翌2016年のアジア・ユース選手権(17歳、18歳対象)、さらに同年は世界ユース選手権でも、日本史上初の金メダルを獲得。世界随一のエリート国家、キューバの代表とも、絶妙なポジショニングからの左ジャブを駆使して堂々わたり合う光景は、若年層の育成が遅れていると言われてきた日本にとって、センセーショナルそのものだった。

ちなみに、プロボクシング界で世界王座を2階級制覇している現役選手では、井上尚弥(相模原青陵高校)がアジア・ユース選手権で銅メダル、世界ユース選手権でベスト16、田中恒成(中京高校)が世界ユース選手権でベスト8、アジア・ユース選手権で銀メダルだった。両選手権を制した堤は、井上と田中をルール適応力で超えたのは確かだが、イコール、両者を超える潜在能力の持ち主だと直結させることには、本人が否定する。

「自分は先に2つのジュニア選手権を経験できたので、この成績を収められたと思いました。外国人の動きでいいと思うものを真似して、自分流にアレンジしているうちに、国際大会で学べるものが増えていくのを実感できた。国内の大会でも国際大会を意識できるようになったんです」

国内での堤は最終的に高校6冠王(選抜、インターハイ、国体を2度ずつ制覇)となったのに加え、全日本選手権も制覇。その一方で昨年は国際大会にも2度出場したが、いずれも優勝。2度目の出場となったアジア・ユース選手権では、大会の最優秀選手にも選ばれた。高1のインターハイで一歩及ばなかった井上彪(日章学園高校)には、国体で雪辱を果たし、翌年の高校選抜大会でも勝利している。井上は堤の印象をこう語った。

「3回目に戦う前に駿斗は自分を『今回は倒す』って宣言をしていたので“虚勢を張っているのか”とも思ったけど、確かにまた急激に強くなっていて、ダウンカウントを奪われたとき“虚勢じゃなくて本当に実行しようとしていたんだ”って分かりました」

目の前の目標は、24年ぶりのアジア競技大会優勝

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格闘技自体は、ボクシングの前に、空手とキックボクシングに励んだ。その幼馴染には、今をときめく人気キックボクサーの那須川天心がリーダー格にいた。

「自分が大会ごとに具体的な目標を設定して、それを目指すのは天心の影響です。ようやく自分が勝てるようになった頃、天心はもう競技の枠を超えたスターになっていたし、今も競技者として追いつけていない。負けていられないっていう気持ちにさせてくれる一方で、自分たちはハイレベルだったんだという誇りも持たせてくれます」

高1で味わった3敗以後、堤は勝ち続けている。とはいえ、今後に直面するのがエリート(19歳以上)の壁だろう。堤に限らず、ユースでの実績を着実に高めている日本ボクシング界だが、エリートでは、2012年のロンドン五輪で村田諒太(東洋大学・職員)がミドル級金メダル、清水聡(自衛隊体育学校)がバンタム級銅メダルを獲得したハイライト後、日本はアジアの中堅クラス以上には成長していない。

それでも堤は、目標を聞かれると「東京五輪で金メダルを獲ること」と即答し続けてきた。ただ、その難しさを本当に痛感したのは最近になってからだと言う。

「昔から実際は難しいと思っているつもりでしたけど、いま思えば小さな子が『世界チャンピオンになりたい』って言っているような夢だった。ハードルの高さをちゃんと理解できたのは、全日本選手権で自分と勝ったか負けたかわからない試合をした田中亮明さん(田中恒成の実兄)も苦戦しているのを見たときです」

言い方を変えれば、自分自身にいよいよ、その現実味が出てきてからでもある。現時点で出場の可否は分からないが、東京五輪は堤が21歳のときに開催される。ハタチ前後。近年でもワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)、ロベイシ・ラミレス(キューバ)、クラレッサ・シールズ(アメリカ)がハタチ前後の初出場で金メダルを獲得しているが、3選手とも、その4年後に連覇まで果たした天才たちだ。一般的な出場選手にとって五輪は、20代中盤以降に2度目の挑戦で上位進出を期待できる舞台だろう。堤の挑戦は単に世界一になれるか否かより、さらに高度な「歴史的な天才ボクサーになれるか否か」が問われていると言ってもいい。

しかし、有言実行で勝ち続けてきた堤がその可能性を感じさせているのも確かだ。次の目標は今夏にインドネシアのジャカルタで開かれるアジア競技大会。1994年広島開催での八重樫剛(東京農業大学)以来、日本ボクシング界が疎遠になっている金メダル獲得を照準に定めた。

「アジア大会にはオリンピックや世界選手権のメダリストもたくさん出てきますし、それ以外の選手も強い。ただ自分も、今までさすがに越えられないと思っていた壁を全部越えてきたので、今回も乗りきれると思っています」

習志野高校ボクシング部のOBでは、粟生隆寛(WBCフェザー級、スーパーフェザー級)、木村悠(WBCライトフライ級)、岩佐亮佑(現IBFスーパーバンタム級)が、プロボクシングの世界王座を制した。同校ボクシング部の関係者は堤の卒業前に改めて「あとはオリンピックだけ」と、夢を託したという。

「この3年間、結果が良いときも悪いときもボクシング漬けだったので、精神的にキツいときもあったけど、学校は息抜きにも励みにもなりました。ここで学んだことをオリンピックまで活かして、最後はメダルにつなげたいですね」(堤)

卒業式の翌々日、堤は進学先の東洋大学が合宿を張っている奄美大島に向かった。大学の卒業式では、はたしてどう振り返られる存在になっているだろうか。

井上尚弥は、なぜ圧倒的に強いのか? 大橋秀行会長に訊く(前編)

さる5月21日、WBO世界スーパーフライ級2位のリカルド・ロドリゲス(アメリカ)にTKO勝ち。WBO世界スーパーフライ級王座の、5度目の防衛に成功した井上尚弥。その衝撃的な強さの秘密はどこにあるのか? 井上を育てた大橋ジム・大橋秀行会長に伺った。

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ネリが見せた比類なき“ヒール”、次のターゲットは井上尚弥か

大きな注目を集めたバンタム級元王者の山中慎介(帝拳)と前王者ネリ(メキシコ)のリターンマッチは、2回TKOで前王者が勝利した。3階級上のウェイトで試合に臨んだネリは試合後にドーピングや体重超過がなかったかのように歓喜を爆発させ、リング上でインタビューに応じ、記念撮影もしてみせた。ファイトマネーも手にし、日本を「重要なビジネスの場」と位置付けているネリ側は、日本で付いた「ヒール」のイメージを武器に、次の戦いも模索している。(文=善理俊哉)

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山中慎介、ネリをぶっ倒せ! 増加する体重超過を許さぬプライドを懸けた一戦

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山中慎介またも裏切られる なぜ疑惑のデパート、ネリとの再戦が組まれたのか?

注目のリマッチが近づいてきた。WBC世界バンタム級タイトルマッチ、ルイス・ネリ(23=メキシコ)対現1位、山中慎介(35=帝拳)の12回戦が3月1日、東京・両国国技館で行われる。二人は昨年8月に対戦し、当時ランキング1位だったルイス・ネリが同王者だった山中を4回TKO勝ちで破り、ベルトを奪い取った。こうして一度はTKOで決着がついた両者だが、再び拳を交えることになった。28日の前日軽量でネリが体重超過となり、王座を剥奪される前代未聞の出来事が起きたが、そもそも両者はなぜ半年後に再び戦うことになっていたのか。(文=原功)

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井上尚弥、2018年はバンタム級へ 「緊張感のある試合を」

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善理俊哉(せり・しゅんや)

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある。