1994年大会以降のW杯直前での監督交代を紐解くと

日本サッカー協会は、2018年4月7日付けでヴァイッド・ハリルホジッチ監督を解任し、技術委員長を務めていた西野朗氏を新監督に就任させた。ロシア・ワールドカップ開幕まで2カ月あまりというタイミングでの、急転直下の解任劇。各メディアで様々な論争が巻き起こっているので、この人事の是非についてはここでは割愛するが、それだけショッキングな出来事だったのは間違いない。

過去のW杯を見ると、大会直前に監督交代を断行したチームは、それほど多くはないが存在する。各国はどのような理由でW杯直前の監督交代に踏み切ったのか。そして、本大会での成績はどうだったのか。1994年アメリカ大会以降の例を挙げつつ見てみよう

94年大会では、サウジアラビアとカメルーンが監督交代を断行した。サウジアラビアはオランダ人のレオ・ベーンハッカーが94年1月から指揮を執っていたが、親善試合をわずか4試合こなした段階で、同国サッカー連盟側が「戦術を浸透させるのは不可能」と判断。3月にアルゼンチン人のホルヘ・ソラーリへとバトンタッチさせた。当時のサウジアラビアは守護神のモハメド・アル=デアイエや“砂漠のペレ”ことマジェド・アブドゥラー、“砂漠のマラドーナ”ことサイード・オワイランらを擁し、「サウジアラビア史上最強」とも称されたチームだった。本大会では初戦でオランダに1-2と惜敗したが、第2戦はモロッコに2-1、第3戦はベルギーに1-0で勝利し、グループ2位でノックアウトステージを決めた。決勝トーナメント1回戦では同大会3位となるスウェーデンに1-3と敗れたが、直前の監督交代にも関わらずこの成績を残したのは見事だった。なお、ソラーリは翌95年には横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の監督に就任したが、サントリーシリーズ第16節終了時点で個人的理由により退任している。

一方のカメルーンは、同年3月から4月にかけて行われたアフリカ・ネイションズカップへの出場を逃したことで、93年12月にフランス人のアンリ・ミシェルが新監督に就任している。彼は86年メキシコ大会で祖国フランスを3位に導いた名将だが、わずか半年間の準備期間では十分にチームを作ることができず、1分け2敗でグループステージ敗退を喫している。

サウジアラビアとカメルーンは、続く98年フランス大会でも本番直前の監督交代を経験している。サウジアラビアはとにかく代表監督がコロコロと変わる国で、97年12月の時点でオットー・プフィスターからカルロス・アルベルト・パヘイラへと指揮権を移して本大会に臨んだが、グループステージ第2節終了時点で成績不振を理由にパヘイラを解任し、最終節はモハメド・アル・ハラスヒ監督が指揮を執るという泥沼状態だった。一方のカメルーンは、アフリカ・ネイションズカップでの成績不振によって監督の首をすげ替えたのだが、実はW杯直前の監督交代は、ほとんどがこの時のカメルーンと同じようなケースで発生している。

アフリカ・ネイションズカップは、2012年の第28回大会までは偶数年に隔年で行われていた(現在は奇数年に隔年で開催)。概ね1月から2月にかけて行われる大会で、好成績を残せなかった国の代表監督は容赦なく解任されるのが通例となっているため、W杯出場国の代表監督が、大会直前の時期に解任される事象が頻発していたのだ。02年日韓大会の南アフリカ、チュニジア、ナイジェリア、06年ドイツ大会のトーゴ、10年南アフリカ大会のコートジボワールとナイジェリアは、すべてW杯イヤーに開催されたアフリカ・ネイションズカップの成績が監督交代につながったケースだ。

直前の監督交代、成功したのは1カ国のみ

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ちなみに、98年フランス大会で南アフリカを率いたフィリップ・トルシエは、本来なら1月中に就任する予定だった。しかし南アフリカが彼の前任者であるジョモ・ソノ暫定監督の下、アフリカ・ネイションズカップで準優勝と躍進し、トルシエ自身も小国ブルキナファソを率いて4位の好成績を残したために監督交代が遅れ、4月にズレ込んでしまった。W杯終了後に日本代表監督に就任し、02年日韓大会で決勝トーナメントに進出させたのは周知の事実だろう。一方、彼から南アフリカの指揮権を受け継いだのは現イラン代表監督のカルロス・ケイロスだったが、彼もまた02年のアフリカ・ネイションズカップでの成績不振によって解任され、日韓大会で指揮を執ることはかなわなかった。後任がトルシエの前任者のソノだったというのは、不思議な因果である。

このソノのように、登場人物が重複するのもW杯直前の監督交代の特徴と言えるだろう。94年大会でカメルーンを率いたミシェルは02年大会では直前でチュニジア代表監督を解任されているし、98年大会直前にサウジアラビア代表監督を辞したプフィスターは、06年大会ではトーゴを率いた。彼がサウジアラビアを去ったのは王族の干渉に嫌気が差したからだとされており、トーゴでもボーナスを巡ってサッカー協会と対立し、開幕直前に一度は辞任を明言している(後に撤回し、大会で指揮を執った)。シュアイブ・アモドゥに至っては、02年、10年と2度にわたってW杯直前のタイミングでナイジェリア代表監督を降ろされている。今回、不本意な形で日本代表監督の座を追われたハリルホジッチも、10年にはコートジボワール代表監督を解任されている。この時はアフリカ・ネイションズカップで3位という成績を残したが、優勝候補のコートジボワールとしては受け入れがたい成績だったようだ。

同じ人物が何度も登場し、監督交代を断行する国もサウジアラビアやカメルーン、南アフリカ、ナイジェリアなど、偏りがある。国の重複はその国のサッカー協会の体質と言えなくもないが、人物が重複するのは「そういった星回りにあるのではないか」と思わざるを得ない。

もう一つ傾向を挙げるとすれば、「外国籍監督→母国出身監督」あるいは「母国出身監督→外国籍監督」という交代劇が多い点だろう。その交代に継続性があるわけではなく、「とりあえず目先を変えてみる」という思惑が見え隠れする。94年アメリカ大会のサウジアラビア以外、すべての国がグループステージ敗退を喫しているのは、決して偶然ではないだろう。

そう考えると、すでに各メディアで言われているとおり、ロシアW杯に挑む日本の見通しも決して明るくはない。これまでの流れを断ち切るような活躍を期待したいところだが、果たしてどうなるだろうか。

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池田敏明

大学院でインカ帝国史を専攻していたが、”師匠” の敷いたレールに果てしない魅力を感じ転身。専門誌で編集を務めた後にフリーランスとなり、ライター、エディター、スベイ ン語の通訳&翻訳家、カメラマンと幅広くこなす。