世間に聞こえる“一件落着”は真相とはほど遠い

ようやくスポーツ界の暗部にメスが入った。大相撲そして女子レスリングに始まった一連の問題を取材して、大きく変わる動きへの期待と、容易には変わらない頑強な権力構造、支配体質の手強さ、その両方を感じている。
あれだけテレビやネットで繰り返し話題になり議論されながら、多くの問題が実際の真相とは違う。誰かに都合のよい、あるいは、多くの視聴者やスポーツファンが心地よく受け入れられる着地点に落ち着く傾向にあることだ。

テレビのミステリードラマで言えば、番組の終盤まで、「この人が犯人に違いない」と多くの視聴者が信じるパターンがよくある。2018年に起こったスポーツ・パワハラ問題はまだこの段階にある。ドラマの土壇場では『動かぬ証拠』とともに真犯人があぶりだされ、カタルシスを得る。視聴者の多くは「まさか」と思いつつ、真のカラクリに胸を衝かれ、自分の常識や想像を超える犯罪真理の複雑さに呆然とする。あるいは、答えがわかってしまえば、あまりに単純な人間の心理に気付かされる。

一連のスポーツ・トラブルの大半は、真犯人の解明には至っていない。それなのにメディアもファンも、一件落着したかのような思い込みで、すべてが終わったかのように思い込んでいる。私の取材を通して言えば、世間が思っている悪役と被害者の立場が大きくずれていないのは、「日大アメフト危険タックル問題」と「ボクシング山根前会長の独裁支配」の問題くらいだろうか。その他の事件の中には、世間が思う悪役と善玉が正反対ではないかと思われるものも少なくない。後述するが、「女子レスリングのパワハラ問題」や「水球女子日本代表合宿打ち切り事件」などはその典型だ。


善悪の評価が妥当と思われる日大アメフト問題にしても、「内田前監督の危険タックル指示は認められない」として、警視庁が刑事訴追を見送る方針を固めたと報じられている。このままだと、内田前監督が日大を相手どり、「解雇処分不当」を訴えている裁判も内田勝訴になりそうな見込みだ。そうなれば、「自動的に理事への復権」が認められるという。

ボクシング山根前会長も、日本ボクシング連盟の会長はじめ全役職を辞任したのにとどまらず、協会から「除名処分」を受けた。私のその後の取材からは、「除名」ですら武士の情け、本来なら刑事訴追をすべきではないかと指導官庁からも打診されているほど、調べれば調べるほど経理不正なども新たに露呈しているという。しかし、これ以上、山根氏をバッシングするのが目的ではないとして、新体制は新たな訴訟などは控える方針だ。それにつけこむように、山根氏はラッパを吹き続けている。メディアも、あのキャラクターが得がたいためか、山根氏の放言を面白おかしく題材にしている。そのため、まるで山根氏は些細な過失のために職を追われた「可哀想な人」といったイメージが膨らみ始めてもいる。

女子レスリング、被害者は本当に伊調馨選手なのか?

女子レスリングの問題は、真っ直ぐに取材すればするほど不可解だ。
世間は「伊調馨選手が栄和人監督をパワハラで訴えた」と理解しているが、告発者は伊調馨ではない。伊調馨自身は告発者の訴えを認める形で、事件の外にいる。

谷岡郁子学長が自ら開いた記者会見で「パワーのない人間にできるパワハラとは何か?」と問いかけた。「伊調馨さん、可哀想」の空気に染まった雰囲気の中、その言葉は反感を買う格好の材料になったが、冷静に判断すれば谷岡学長の言葉はいたって的確だ。

告発者は、栄監督のパワハラのよって田南部力コーチが警視庁内で異動になり、レスリングの指導からはずされたかの訴えをしている。だが、警視庁の一員でも上部団体でもない栄監督がそのような人事介入をするなど不可能だ。ところが、世論は感情的に動いた。

現状を端的に指摘しよう。12月23日の全日本レスリング選手権大会女子57キロ級決勝で、伊調馨選手は至学館大学の後輩である川井梨紗子選手に残りわずか10秒で逆転勝利し、2020東京五輪出場に向け、一歩階段を登った。その伊調馨の傍らには田南部こーちの姿があった。フルタイムではないが、日体大で伊調馨は自分が望むコーチの指導を受けている。代表権をかけた次の大会(6月の明治杯)まで、二人三脚でさらなるレベルアップを図る。一方、川井梨紗子は、栄和人前監督の指導を望みながら、それが叶わない状況が続いている。言うまでもなく、すでに直接指導を受けているわけでない伊調馨さん側が、川井梨紗子から栄和人前監督を奪った形だ。来年6月まで、現状では川井梨紗子は孤軍奮闘を強いられる。このような不公平が放置されたまま、来年6月を迎えていいのだろうか?

世界のリーダーを自ら追い落としかけた水球界

水球の騒動も不可解きわまりなかった。

7月に行われた女子水球日本代表の合宿が途中で打ち切りになった。その理由は、男子日本代表の大本洋嗣監督のSNSの書き込みだと、あるスポーツ新聞が報じた。これをきっかけに大本監督が非難される立場になった。

私はこの問題が報じられてすぐ取材に動いた。大本監督にも直接会い、事情を聞いた。合宿打ち切りには背景があった。フェアプレーを基本姿勢に据え、それで男子日本代表を強くしている大本監督へのやっかみも感じた。どう考えても、大本監督が糾弾されるのは筋違いな現実が理解されたが、『第三者委員会』の調査が行われたにもかかわらず、結局は大本監督ひとりに責任が課せられ、けん責処分を受けた。代表監督の立場を失わずに済んだことが不幸中の幸いだったが、なぜ合宿とは直接関わりのない大本監督に濡れ衣が着せられるのか、体操やレスリング、重量挙げなど、他団体でも疑問符がついた『第三者委員会』のあり方も含め、問題を提起する出来事となった。

ちなみに、世界の水球界は今年、さらなるフェアプレー推進を図るため、ルールを改めた。これは大本監督が提唱する方向に沿ったものだという。それほど「世界」がリーダーシップを認める日本人指導者を、自ら抹殺しかけた日本のスポーツ社会、スポーツ・メディアは、もっと自らののど元に刃を突きつける必要がある。

スポーツの真の魅力と本質とはなにか?

スポーツの問題を論じる中で、決定的に欠けていると感じる一面を指摘しよう。
顕著にわかりやすいのは、相撲協会と貴乃花元親方のバトルだ。

長年の相撲ファンにとって、平成最大の人気者だった元横綱・貴乃花が相撲界を追われるなど、受け入れがたい出来事だ。が、約一年に及ぶ騒動の末、自ら「親方引退」を決断したのは、一年前は「被害者」だったはずの貴乃花だ。それ以前からの権力闘争があり、相撲協会の現体制が何かにつけて貴乃花親方を冷遇した結果であることは広く知られているが、「貴乃花にも問題がある」といったもっともらしい主張を支持する論調も広がり、貴乃花引退は粛々と見過ごされた。

この事件には、権力者側が法律や規則を都合よく運用して、また時にはそのために規則を新たに作って意のままに組織を動かせる現実を思い知らされた。

私は一貫して貴乃花の思いを尊重する立場でこの問題を発信した。理由は明快だ。スポーツは天才たちが稀有な才気を発揮し、理屈を超えた感動をもたらす「常識を超えた世界」だ。それでこそ崇高であり、この世知辛い世の中に存在する価値がある。もっと言えば、貴乃花は「相撲に選ばれた人」であり、八角理事長は横綱経験者ではあるが、才気や次元において、それほどではない。どちらが相撲の魅力や本質に打たれ、人生をかけて自分の使命を全うしようとしているのかは明らかだ。こういう言い方をすると「暴論だ」と糾弾されるかもしれないが、そのことをきっちり前提にできなければ、スポーツの本質的な運用がなされなくなる。圧倒的に感性や天性がモノをいうスポーツの世界を「常識的な論理」で動かそうとし、「多数決の論理」で支配する滑稽さこそ、もっと糾弾されるべきだと感じる。

昭和と平成、新旧の『価値観の対決』

もうひとつ、全体を俯瞰して気付くことがある。
一連のスポーツ問題を「パワハラをした人」「された人」という構造で見る報道が大半だった。そのため、両者の善悪を判断する基準は、「一体、どちらの言い分が正しいのか」「どの程度、悪質だったのか。選手やチームを強くするには必要だったのではないか」といった方向になる。

真相を理解するには、もうひとつ別の視点を持つ必要がある。
すごくわかりやすく集約すれば、「これは、『昭和』対『平成』の価値観の対決であり、主導権争い」だ。

経済界にもこの対決構造はあるが、もはや社会は、ネットやIT技術の隆盛に抗うことができない。IT企業や、その中心となっている若い起業家たちの自由で革新的な発想を受け入れずにはこれからの経済や日本という国の行く手を語れない。旧態依然の経営者たちも長年に渡って抵抗していたが、もはや彼らの優位は否めない。新しい価値観を貪欲に学び、国際的なムーブメントにも敏感な若い担い手たちは、軽やかに斬新な手法を編み出している。ところがスポーツ界は、いまもなお、古い価値観にしがみついている。
「データや科学、ITなども積極的に採り入れている」と、名監督と呼ばれる人たちも姿勢の転換を訴えるかもしれないが、それは表層のことで、心根にある「勝利至上主義」さらには「儲け主義」に毒された本質は変わらない。

データや科学は「自分たちが勝つため」に採用するのであり、競技の発展や感動を与えるために「自分を変えたい」と思って向き合うのではない。そもそもスポーツは、自らの表現によって他者に無償の感動を与えるからこそ「文化」なのであり、自分を変えるために取り組むことが基本である。そうした本来の目的をすっかり忘れ、勝つこと、そしてのし上がることばかりに意識が向かう貧しさを日本のスポーツ界はあまりにも忘れている。

幸いなのは、平昌五輪のメダリストたちの多くが、いち早く本来の価値観に目覚め、理屈抜きの感動と未来への道しるべを示してくれたことだ。小平奈緒がライバルのイ・サンファを伴ってリンクを一周する姿には、彼女のスケートへの想いがあふれ出ていた。小平奈緒は金メダルのために打ち込んだのではなく、打ち込んだ日々の貴さを証明・表現したくて金メダルを獲った……。まったく次元が違う。まさに、平成もまもなく終わり、さらに新たな時代に突入する、その次の姿勢を明快に示してくれていると感じる。

相撲の問題はさしずめ、「昭和の結束が平成を押し出した」ような格好だ。またそれを呆然と見送るだけだった私たちの心の奥には、「いくら非難しても、権力者はどうせ居座るし、支配体制は変えられない」というあきらめが日本中に蔓延している背景を感じる。それは本当に深刻な末期症状だ。対照的に、日本ボクシングを再興する会が自ら動き、山根前会長のおかしな独裁体制を打倒した。これこそはもっと光を当てるべき快挙だ。

貴ノ岩引退は個人の自覚の問題なのか? 悪しき伝統が加速させる大相撲の“終わり”

7日、大相撲の冬巡業中に付け人に暴力を振るった前頭・貴ノ岩が日本相撲協会に引退を申し入れ、同日これが受理されました。1年前は「暴行事件の被害者」として注目を浴びた貴ノ岩が今度は自ら弟弟子に暴力を振るって土俵を去ることになりました。作家・スポーツライターの小林信也氏は、一連の騒動は「日本相撲協会の末期現象の表れ」と指摘します。暴力根絶はもとより、魅力ある相撲界にしていくために相撲協会は何をすべきなのか? 岐路に立たされる大相撲の真の問題点について寄稿いただきました。(文=小林信也)

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女子体操問題の真の“キーマン”と宮川選手、速見コーチが寄せる“恩師”への思い

速見佑斗コーチによる宮川紗江選手への暴力事件とその処分に端を発した「女子体操問題」は、日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長らのパワハラ疑惑をはじめ、双方の主張が入り乱れる大問題となった。現時点では宮川選手・速見コーチ対塚原夫妻の戦い、「一体、どちらが正しいか」という構図になっているこの問題の隠された“本質”とは何なのか?作家・スポーツライターの小林信也氏が取材の過程で明らかになった事実を明かす。(取材・文=小林信也)

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至学館・谷岡学長は手のひら返しなのか? 知られざる解任の経緯を直接訊いた

レスリング日本代表にして金メダリスト、伊調馨選手に対するパワハラ告発に端を発した問題は、14日に開幕した全日本選抜選手権大会を境に大きく動き出しました。大会初日、現場復帰を果たし、謝罪会見を行った栄和人氏でしたが、大会終了後の17日、至学館大学の谷岡郁子学長が解任を発表。監督復帰からわずか3日での解任となりました。これまで栄氏をかばうような発言をしていた谷岡学長の決断の是非、解任理由をめぐる報道が激化しています。この問題で連日テレビ出演をしているのが、作家・スポーツライターの小林信也氏。レスリングパワハラ問題追求の急先鋒だった小林氏が、谷岡学長と会うに至った経緯とは? ファーストコンタクトからそこで交わされた会話が明かされます。(取材・文=小林信也)

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悪質タックル問題から何を学ぶべきか? “日大のスキャンダル”で終わらせてはいけない理由

内田正人前監督が日本大学事業部取締役辞任するなど、その“暗部”が、大学全体、組織にまで及ぶなど大きな広がりを見せる日大アメフト部による悪質タックル問題。いち早くこの問題を「経営体制」や「組織」の問題と指摘していた作家・スポーツライターの小林信也氏は、内田前監督、井上前コーチを“絶対悪”として断罪し、この問題を勧善懲悪の物語に落とし込んでしまうことの危険性を指摘します。テレビなどでタックル問題の裏にあるスポーツ界のパワハラ体質、体制の不備などを糾弾してきた小林氏が、「日大のスキャンダルに終わらせてはいけない」と危機感を抱く理由とは? (文=小林信也)

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小林信也

1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。