参加国枠と出場機会

16か国の参加により開催されてきたワールドカップの参加枠が24か国に拡大されたのは1982年のスペイン大会からであった。アジアの出場枠が、それまでの1から2か国になったことで日本が本戦に出られる可能性が多少出てきた。そして1986年メキシコ大会のアジア予選ではあと一歩まで勝ち上がったが、最終戦で敗れ、本大会出場は韓国に先を越された。

1998年のフランス大会を機に参加枠は8か国増え、32となった。アジアはその恩恵を受け、出場枠が3~4か国に拡大した。日本は予選グループ1位にはなれなかったものの、3番目の参加国としてフランスへの切符をやっと手にしたのである。当時、ジョホールバルの歓喜と呼ばれた3位決定戦での勝利である。もし仮に、FIFAが参加国数を増やさずにいたら、ワールドカップ本大会に一度も参加せずに2002年を迎えることになったに違いない。幸い、以来日本は6大会連続で出場権を得ることになり、多くの国民にとってSAMURAI BLUEがアジア予選を突破することは当たり前になった。三菱UFJリサーチ&コンサルティングとマクロミルの調査(2018年10月29日発表)によれば、サッカー日本代表のファンはピーク時よりは減少したものの3324万人とされ、あらゆるスポーツの中で最も支持されるチームとして確固たる地位を築いている。ちなみにプロ野球ファンは、総数でも2775万人にとどまっている。

2か国共催とスタジアム

日本が初出場を逃がした1994年アメリカ大会では、スタジアムは一つとして新築されなかった。極力コストを抑え、もっぱらアメリカンフットボールのスタジアムを使用したのである。1986年メキシコ大会では一つ、1990年イタリアでは新築スタジアムは二つだけだった。両国ともにサッカーが盛んなだけでなく、立派な競技施設は過去のワールドカップ開催の遺産(レガシー)といえる。

2002年の代表的レガシーは、日本各地に建設された大型スタジアムである。首都の東京で試合が一つも行われないという変則的な運営であったが、大阪の長居陸上競技場と増築・拡張されたカシマスタジアム以外の8会場は、全てワールドカップを目指して新築されたスポーツ施設だ。宮城の「ひとめぼれスタジアム」のように、立地などの問題から稼働率の低さが改善しないケースもあるが、とにかくスタジアムあってのサッカーである。

2002年の招致がスタートした時点で開催都市に名乗りを上げたのは15都市だった。それが予期せぬ韓国との共催になり、圧縮を余儀なくされた。共催決定後の1996年11月、10都市に絞り込むことが決まったが、実は10でもまだ多い。韓国も10都市を挙げ、合計20都市でワールドカップの全64試合をこなすことになったのだ。1都市の試合数の平均は3.2にすぎない。これではホストシティが元を取ることは実質的にほとんど不可能だ。ちなみに、64試合を始めて開催した1998年のフランス大会は9都市(10会場)であり、各スタジアムの平均試合数は6.4だった。

候補から落ち、最も衝撃を受けた都市のひとつが愛知県の豊田市であろう。中部地域で試合がなくなっただけでなく、ワールドカップを目指して着工していたサッカー専用の豊田スタジアムが日の目を見ないことになったのだ。これには推進者のトヨタ自動車も落胆した。間接的とはいえ、この影響は大きく、招致委員会は翌1997年に立ち上げる準備をしていた大会組織委員会の会長として豊田章一郎氏に要請することをあきらめざるを得なかったのである。

キャンプ地の費用対効果

共催になったとは言えワールドカップへの期待感は官民ともに下がることはなかった。試合のホストシティに選ばれない自治体は、それでもなにがしかの好影響をワールドカップから得ようと参加国のためのキャンプ地に興味を示した。なんと全国、大小84もの自治体が手を挙げたのである。大陸別予選も始まっていない1999年10月のことである。日本でのキャンプを希望した参加チームは23か国。カメルーン代表がやってきて何かと話題を振りまいた大分県の中津江村は、少ない経費で飛躍的に知名度を上げたが、多くの自治体は各国サッカー協会への契約金やエージェントへの支払いなど数千万から億単位の経費をかけてキャンプを実現させた。

立候補した自治体の多くはJリーグクラブのホームタウン、あるいはキャンプ地としての実績はあった。しかし、国際的な交渉事となるとまるで勝手が違った。独自で切り開くことは難しく、代理人が介在する余地が大きくなった。鳥栖市は中津江村に先駆けてカメルーンと交渉していたが、確定までに2億円かかるとほのめかされ手を引いたといわれている。誘致に成功した自治体に共通しているのは有力なコネクションだ。パラグアイのキャンプに決まった長野県松本市は、南米に明るい信頼できる企業の仲介が功を奏したと取材に答えている。契約金や運営費に約2億円かけたが、親善試合の観客動員やメディアなどの関連ツーリズムで約8億3000万円の波及効果を見込んでの誘致だった。経済効果は定かではないが、その後の松本山雅FCの活躍と地元スタジアム「アルウィン」の有効利用を考えれば成功事例のひとつに挙げられるだろう。

ワールドカップ出場チームが開催国内でキャンプ地を探す目的は、あくまでも試合のためのベストなコンディション作りのためであり、地域の住民や子供達と触れ合うためではない。練習も基本的には公開せず、戦術が外部に洩れることを防ぐために高いフェンスなどで目隠しをすることが常態化している。ファンサービスは限定的だ。一方、メディアはチームを取材するために押しかけるのであって、地域の観光に関心はない。PRに協力する意思もないのである。それでも自治体にとってキャンプ地に選定されることは、ワールドカップ出場チームが滞在したという半ば自己満足的「名声」の獲得と、世界に向けての何らかのアイデンティティ発信を期待するからであろう。

一都市の開催によるオリンピックとFIFAワールドカップが大きく異なるのは、その具体的な影響が開催国の各所に及ぶことだ。それはプラスもあるし、マイナスもあるだろう。
2002年ワールドカップのキャンプ誘致に関し、その費用対効果を真剣に議論し、あるいは事後に検証した行政はほとんどなかった。また、試合数に対する開催都市数のアンバランスも、その是非が論じられてこなかった。サクセスストーリーは強調され、よほどのことがなければ傷口はそっと癒えるのを待つのが普通かもしれない。

2002年以降、サッカーというスポーツは全国に浸透し、小学校から高校まで男子が最も親しむ身体活動になった。ワールドカップが架けたブリッジを、数多くの若者が希望を持って渡っているのである。


〔平成最大のビックイベントの裏側・後編〕
<了>


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参考:2002FIFAワールドカップ大会報告書(JAWOC編)

平成最高の視聴率を叩き出した裏側の攻防 ~2002FIFAワールドカップ開催へのタイトロープ

国際サッカー連盟(FIFA)は昨年ロシアで行われたワールドカップに関し、全世界の視聴者が35億7000万人を超えたとして調査結果を公開した。

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2002FIFAワールドカップ共催へのワインディングロード ~平成最大のビックイベントの裏側

AFCアジアカップ2019。アラブ首長国連邦(UAE)で開催されたアジアナンバーワンを決める大会で、日本代表は惜しくも準優勝に終わった。

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海老塚 修

著者プロフィール 海老塚 修

桜美林大学客員教授。専門はスポーツマーケティング。1974年慶應義塾大学卒業後電通入社。ワールドカップ、世界陸上、アジア大会などを担当。2010年より慶應義塾大学健康マネジメント研究科教授。現在日本BS 放送番組審議委員、余暇ツーリズム学会副会長などを務める。著書に『マーケティング視点のスポーツ戦略』、『スポーツマーケティングの世紀』、『バリュースポーツ』。日本ランニング協会認定ランニングアドバイザー。