貴乃花の経歴については今更語る必要もないが、角界のプリンスと女優の次男として生まれ兄と共に幼い頃から常に周りにメディアがいる環境で育った。中学卒業と同時に兄と共に入門し出世街道をかけあがり頂点である横綱にまで上り詰めた。
現役時代は、華麗なる一族で端正な顔立ち、兄・若乃花との兄弟愛で人気を博していたが、その影で様々な闇も露呈していた。
そのすべてを帳消しにしたのが日本のスポーツ史にインパクトを残すことになった平成13年夏場所の鬼の形相だ。千秋楽、横綱・貴乃花は前日の取組みで重傷を負った右ひざの痛みを押して強行出場、同じ横綱の武蔵丸に本割ではあっけなく敗れた。誰もが終戦を感じ取っていた優勝決定戦、あの鬼の形相を見せた貴乃花は武蔵丸を投げ飛ばし22回目の優勝を果たしたのだ。当時の小泉首相が土俵上で発した言葉は後世に語り継がれる名言となった。「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」。平成の大横綱・貴乃花の名を不動のものとし、生きる偉人になった瞬間だった。優勝回数はもとより相撲に向き合う姿勢などから横綱・貴乃花の実績、名声を否定する人はいないだろう。本当に素晴らしい横綱だった。しかし、本人が語ったものではないこの名言により、それまでにあったトップアイドルとの婚約破棄や2年後のトップアナウンサーとの“でき婚”。洗脳騒動や若乃花との絶縁宣言など、あまたの暗部が一気に覆い隠される事になったのだ。
このことが後の貴乃花騒動で混迷に陥った最大の原因ではないか。インパクトがありメディアが喜ぶ言葉ひとつで報道が変わり世論が変わる事を肌で感じ、どんなことがあってもメディアさえ味方につければ、たとえ内容がなくとも好感度はアップ、メディアを通じて自分の思ったことが実現できる世の中になると。
引退後の貴乃花はまさにメディアによって作られた偶像を、メディアによって傷つけられ、メディアによって修復される、の繰り返しだった。2010年の相撲協会理事選挙で一門から離脱し、突然の立候補。4期8年にわたり選挙がないまま理事を決定していた相撲協会に激震が走った。選挙では下馬評を覆し理事に当選。理事になって何か具体的に改革を宣言したわけではないのにメディアはこぞって「貴の乱」「角界の改革者」と持て囃した。その後、その選挙で貴乃花に1票を投じた琴光喜が野球賭博で解雇処分になったことなど関係者の処分を不服として退職届を提出したが一夜で撤回。このことも批判されることはなく、仲間を守ってやれなかった責任を退職という行動で示しながら自身の角界改革のために退職届を撤回したと好意的に受け取られた。
その後、順調すぎるくらい順調に理事となり要職の審判部長、大阪場所担当部長、巡業部長を歴任。現在相撲協会と係争中の元顧問や元外部理事、御用メディアと互恵関係を築きながら貴乃花一門をまとめあげ、理事を4期8年務めたが改革といえるものは何ひとつしていない。相撲協会のSNSや女性ファン拡大の施策などについて貴乃花の功績と言う人はいるが、貴乃花の発案ではなく広報部職員とコンサルタントの実績である事は事実だ。
2017年11月、翌年2月に控えた理事選で5期目を狙う貴乃花は理事長を目指すも、以前は盟友関係にあった伊勢ヶ濱親方と方針が合わず決裂。すでに解決済だった同年10月に起こった日馬富士(伊勢ヶ濱部屋所属)による貴ノ岩(貴乃花部屋所属)殴打事件を11月場所中にマスコミにリークした。使ったのは御用メディアと言われている某スポーツ紙。本場所中には相撲以外の話題を出さないという角界の暗黙のルールを破り協会に知らせずにリーク、世論を味方につける作戦に出た。
実はこの貴ノ岩殴打事件はモンゴル人コミュニティの内々でのトラブルで、貴ノ岩は日馬富士に殴打され怪我をしたが事件翌日の巡業でこの2人は土俵下で握手し和解している。その後の貴ノ岩は九州場所に出場するために稽古を重ねていた。
しかし、けがのことを知った貴乃花は裏で動いた。すでに報道のとおり殴打事件があった4日後の巡業最終日に巡業部長でもある貴乃花が警察に被害届を提出した。巡業部長という巡業を管理監督する立場の貴乃花は協会に報告することもなく被害届を提出。協会、いや八角理事長に対抗するカードを握ろうとしていたのだった。
そうとは知らない貴ノ岩は殴打事件から1週間後に貴乃花部屋の九州場所宿舎がある田川市役所を師匠と訪ね、市長や同席した記者の前で2桁勝利を目指すと高らかに宣言し場所に臨む姿勢をみせていた。弟子の事などおかまいなしの貴乃花はここでカードを切る。事件をこの時点では公表せず貴ノ岩を入院させ協会上層部に宣戦布告、その後貴乃花は相撲協会危機管理部長の聴取にも応じず貴ノ岩の休場が発表され九州場所初日を迎える。
九州場所3日目の朝、貴乃花の御用新聞と言われるスポーツ紙が殴打事件を1面に掲載。あえて場所にぶつける暴挙だった。そこでは警察に提出された診断書とは内容が異なり、より重傷と思われる診断名が羅列されていた。相撲協会の聴取や相撲協会理事長との面会でも、事件について一切語らず、事件の報告義務がある巡業部長としての業務を放棄したため、相撲協会としても事実関係を発表する事ができず、憶測に基づく報道が世間を埋め尽くすこととなる。そんな中、相撲協会記者クラブ会友という相撲記者OBや自称関係者などの有象無象が連日メディアに登場し収集がつかなくなっていく。日馬富士の引退、貴ノ岩は翌1月場所を全休する結果になったが、最も得をしたのは会友だった。よく取材もしてないことを話し相当な小銭を稼いだであろう事は想像に難くない。さらにもうひとり忘れてはいけない人物がいる。貴乃花の有力タニマチである新興宗教の祭主だ。ワイドショーに出まくり、自分では一言も発しない貴乃花にかわりまくしたてる。広告業界の関係者に言わせれば、自らの宗教のPRとしで何億円分もの広告効果が得る事ができたそうだ。
貴乃花は、年末に開催された臨時理事会で、相撲協会危機管理委員会への協力拒否と巡業部長としての報告義務を怠ったとの理由で理事を解任され役員待遇に降格となった。翌1月に実施された理事候補選挙では、貴乃花一門は貴乃花に今回の騒動があったため1期限定の出馬辞退を迫り阿武松親方を擁立することを提案するも拒否され、貴乃花が強行出馬。結果、惨敗した。落選した直後に相撲協会に無許可でテレビ出演し協会批判を繰り広げた。この批判についても貴乃花自身の言葉というより、司会者が世論の同情を引くように誘導しながらコメントさせる形であったが、以前の小泉首相に匹敵するようなインパクトがある言葉が出てこなかったことは司会者の力不足か。
その後も相撲協会の公式の会合を次々と無断欠席。3月に入り、本場所の2日前に内閣府の公益認定等委員会に今回の相撲協会の対応に問題があったとして告発状を提出。これは協会員の一員でもある貴乃花にとっても自爆行為に等しい所属組織に弓を引く行為であると同時に、本場所中に本場所以外の話題を出さないという暗黙のルールをまたもや破ってしまった。本場所が始まると無断欠勤状態が続き、この状況にメディアの報道も過熱。無断欠勤で処分を恐れた貴乃花は本場所5日目から出勤を始めると役員室に滞在する時間を連日メディアが25秒、90秒と報道。件の祭主も同伴して出勤するなどやりたい放題だった。
しかし本場所8日目に大きな事件が起こる。祭主の本名から四股名をつけた貴公俊(現貴ノ富士)が支度部屋で付け人を暴行したことが発覚。ちなみに貴公俊の双子の弟である幕内力士の貴源治もこの祭主の父でもある初代祭主の名前から付けられている。この暴行事件をきっかけに長時間の出勤・常駐が始まり、臨時の役員会でも貴公俊と共に事件について謝罪。内閣府への告発状も取り下げた。貴乃花は日馬富士事件の際、暴行事件が起こった場合、所属部屋に関係なく警察に被害届を提出するように主張していたが、この事件では加害者被害者共に自身の部屋のため警察に通報しなかった。そのため角界関係者や一部ファンから言行不一致と非難された。
3月場所が終わると臨時年寄総会での追及や苦情、理事会で下された厳罰(降格)を受け入れた事で、一旦メディアの報道も沈静化。ちょうどこの頃、メディアではほぼ取上げられなかったが、今回の騒動を示唆していた別の事件が和解という形で決着していた。
(後編に続く)
貴乃花とは何だったのか~メディアがおもちゃにした大横綱の人生(前編)
世間の話題をさらった日馬富士暴行事件から始まった貴乃花騒動、そして日本相撲協会からの電撃退職。あれからまもなく1年になる。秋場所が開催されている今月、またもや元貴乃花部屋の力士たちが土俵外で話題を振りまいている。大関から陥落した関脇・貴景勝の反社タニマチ疑惑。十両・貴ノ富士(元貴公俊)の付け人への暴行。これに至っては去年春場所、当時の親方を窮地に追いやった事件からわずか1年半後の暴挙だった。この2つの問題は師匠・貴乃花からの影響を消し去る事ができない弟子たちが起こすべくして起こしたものだといえるだろう。
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