大迫本人は「活動には全く支障がない」

同プロジェクトに所属する大迫は、その余波を受けることになる。ただし、ナイキは今後も所属選手の支援を続ける予定。大迫も自身のSNSで「僕を強くしてくれた大切なチームが無くなるのは悲しい。ナイキは今後も今までと変わらないサポートを約束してくださり、活動には全く支障ありません」と綴っている。

箱根駅伝は1区で2年連続の区間賞。1万mでは日本人学生最高記録を樹立するなど、早大時代から特別な輝きを放っていた大迫だが、渡米してさらに強くなった。

転機となったのは2012年のロンドン五輪だ。当時大学3年生だった大迫は日本選手権1万mで佐藤悠基(日清食品グループ)に敗退。0.38秒差で逃したロンドン五輪の1万mでオレゴン・プロジェクトに所属していたモハメド・ファラー(英国)とゲーレン・ラップ(米国)がワン・ツーを飾り、「どんなチームなんだろう!?」と強く惹かれたという。

オレゴン・プロジェクトはアフリカ系選手と対等に戦えるアメリカ人選手の育成を目的に設立した長距離チームだ。ニューヨークシティマラソン3連覇(1980~82年)の実績を誇るサラザールをヘッドコーチに迎えて2001年にスタートした。誰でもウエルカムというチームではない。大迫は何度も断られたが、「速く走りたい」という純粋な気持ちが彼を駆り立てた。熱意と走りが認められて、アジア人として初めて正式加入した。

「本当に自分がこの環境でやりたいと思って来ただけなので、理由はすごくシンプルです。環境もそうですし、トレーニング内容も当時の日本と大きく違っていました。今でこそ、日本の長距離選手もウエイトトレーニングを取り入れていますが、当時は走るのが主流でしたから。自分の身体がどう変わるんだろう、という興味がありましたね」

オレゴン州ポートランドの郊外、ビーバートンにあるナイキ本社とその周辺には、オールウエザーの400mトラック、芝生のフィールド、ウッドチップコース、クロカンコース、ウエイトトレーニング場などが完備。素晴らしい環境が整っている。

オレゴン・プロジェクト加入後の大迫は確実に強くなっている

大迫は2015年からオレゴン・プロジェクトに正式加入すると、同年7月に5000mで13分08秒40の日本記録を樹立。日本選手権は2016年に5000mと1万mの2冠を達成して、翌年は1万mで連覇を果たした。そしてマラソンに挑戦後も順調にステップアップしていく。2017年4月のボストンは2時間10分28秒、同年12月の福岡国際は2時間7分19秒、翌年10月のシカゴでは2時間5分50秒の日本記録を打ち立てた。

7月に米国で取材したときには、「確実に強くなっていることは自分自身でもわかります。生活面でも不自由なくできるようになっているので、そのへんも進歩かなと思います」と語っていた大迫だが、今後はどうなるのか。

オレゴン・プロジェクトに加入した当初は、ファラーやラップとも練習をしていたが、最近は5000mと1万mで日本歴代2位のタイムを持つ鎧坂哲哉(旭化成)ら日本人選手と一緒に練習することが多い。すでにオレゴン・プロジェクトのトレーニングを熟知しており、米国ナイキ本社と、その周辺施設が使用できるならば、これまで通りのトレーニングをこなすことができるだろう。

ただし、メンタル面を含めてコーチ不在の影響がどう出るのか。大迫のコーチングはサラザールではなく、ピート・ジュリアンが務めてきた。プロジェクトは解散しても、ジュリアンの指導を引き続き受けるなら、ほとんど影響はないと思われる。

すでにファラーはオレゴン・プロジェクトから去っており、マラソン前にはロンドンに住む家族と離れ、エチオピアで高地トレーニングを行っている。大迫も米国ではなく、別の地をトレーニング拠点にすることも考えられる。クレバーな大迫のことだから、現在よりもより良い環境を自分でしっかり確保するはずだ。

今後はオレゴン・プロジェクトに所属していた選手がドーピングについて、疑惑の目を向けられることになるが、それもさほど心配はないだろう。

ドーハ世界陸上で女子の1万メートルと1500mという歴史的な2冠を達成したシファン・ハッサン(オランダ)もオレゴン・プロジェクトに所属する選手だ。1500mで大会記録を16年ぶりに更新する3分51秒95で完勝した後の記者会見では、「私は世界に、自分がクリーンなアスリートだと示している。望むなら毎日検査してくれて構わない」と熱く語っている。もちろんハッサンがドーピング検査に引っかかることはなかった。

プロランナーとして新大会の立ち上げも発表

所属チームの閉鎖に揺れる大迫だが、プロランナーとして新たなマラソンのかたちも模索しているようだ。自身のSNSで、「2021年3月辺りを目処に日本で世界との差を縮めるための大会を作ります。 候補地、正確な時期、スポンサー、全く決まっていません。 でも、意志があるその先に、同士を含め、色々なものが着いてくると僕は思います。これが本当のアスリートファーストだと信じて」とツイートした。

すぐに設楽悠太(Honda)、神野大地(セルソース)、窪田忍(トヨタ自動車)らは賛同の意を示すと、川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)も反応。すでに多数の問い合わせがあるようで、大きな反響を呼んでいる。

これは9月15日に行われたマラソングランドチャンピオンシップ(以下、MGC)での〝違和感〟が大きかったようだ。TBS系列が放映した男子のレースは、関東地区の平均視聴率が16.4%(デオリサーチ調べ)。沿道観客数は52万5千人に上るなど、MGCは日本中から注目を浴びた。レース2日後の取材で大迫はこんなことを話していた。

「例えば米国のトライアルなら賞金が出るわけです。これだけ注目されるレースで選手に対しての還元はどうなっているのか。僕らは年に数回しか走ることがないマラソンで生計を立てています。放映権や協賛金などはどこにいっているのか。選手全員が納得できればいいんですけど、どうなんですかね」

たとえば東京マラソンでは、1位が1100万円、2位が400万円、3位が200万円という具合に10位まで賞金が用意されている。加えて公表はされていないが、国内の主要レースでも目玉選手には数百万円の出場料が支払われている。MGCでは、選手が受け取れるギャランティーが基本的にはなかった。大迫が問題提起したくなるのもよく理解できる。

新レースが3月に開催されると、川内が指摘したように、東京マラソンやびわ湖毎日マラソンと日程が近いため、出場選手の調整は難しいかもしれない。また、文面を見る限りだと、10月12日にウィーンで行われた『INEOS 1.59 Challenge』のような非公認レースになる可能性もある。いずれにしても、選手主導で新たなレースが立ち上がるのは、これまでにはなかったこと。新たな価値を生み出すのではという大きな期待感がある。

日本で開催されたラグビーW杯は大いに盛り上がったが、ドーハ世界陸上はその陰に隠れた印象がある。マラソンの人気を引き上げるためには、様々な取り組みが必要になってくるだろう。2021年にどんなレースが開催されるのか非常に楽しみだ。その前に、大迫には来夏の東京五輪で日本中が待ち望んでいる〝メダル〟をぜひつかんでいただきたいと思う。


酒井政人

元箱根駅伝ランナーのスポーツライター。国内外の陸上競技・ランニングを幅広く執筆中。著書に『箱根駅伝ノート』『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。