さらに、2019年5月下旬頃から、右ひじの痛みに悩まれていた錦織は、昨年10月22日に右ひじの内視鏡手術を実施。戦列を離れて日本でリハビリに励んでいたため、世界ランキングはトップ10から陥落し、ATPランキング31位(3月9日付け)まで落ちた。

 錦織は、デビスカップの予選ラウンド「日本 vs. エクアドル」(3月6~7日、兵庫ブルボンビーンズドーム)を、復帰戦と定めて、リハビリと練習に励んで何とか代表入りまでこぎつけたが、試合にはエントリーされず、結局1試合も戦うことはなかった。リハビリは順調としながらも、試合に向けては準備不足の部分があることを否めなかった。
「だいぶひじの方は治っているけど、体調面がまだマックスではない。自分の体がもうちょっと鍛えられて、自信がついてから臨もうとは思っている。でも、ひじの痛みもないですし、もうちょっとだと思います」(錦織)

 錦織を日本代表に選抜しながらも、試合のエントリーを見送った理由を、デビスカップ日本代表の岩渕聡監督は次のように語る。
「彼(錦織)は、ずっとNTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)にいて、何とかデビスカップを復帰戦にしてもらいたいと見ていました。チームとして、もちろん錦織には出てほしいという気持ちがずっとありましたので。彼も一生懸命調整をしてくれたんですけど、やっぱり、ちょっとこの時期までには間に合わなかった。シングルスがきつかったら、ダブルスの可能性も話していたんですけど、最初から(試合のエントリーに)名前を入れるところまでにはやはりまだ来ていない。
 ただ、錦織がチームにいることは、いろんな意味で選手にいい影響があります。ずっと何カ月もリハビリをしている彼(錦織)本人にとっても、間近で他の選手のプレーを見ることがいいことだと思う。もちろんオリンピックのことも少しありますし、総合的に見て彼をチームに入れた」

 岩渕監督のコメントからもあるように、錦織のデビスカップ参戦は、7月下旬に控える東京オリンピックへ出場させるための思惑も含まれている。
 基本的にプロテニスプレーヤーが、オリンピックへ出場するには、オリンピックとオリンピックの間の4年間に、国の代表として3回プレーしなければならない。そのうちの出場1回は、直近の2年でなければならず、例えば、東京オリンピックの場合は、2019年と2020年に、国別対抗戦で最低1回プレーしなければならない。

 錦織の場合は、今回のエクアドル戦を含めても合計2回で、国際テニス連盟(ITF)の定める基本条件を満たすことができない。
そのため今後、日本テニス協会からITFへ、錦織を東京オリンピックへ出場させるためのワイルドカード(大会推薦枠)を申請することになり、錦織のデビスカップ・エクアドル戦の参加をプラス材料としてITFに加味してもらい、ワイルドカードを獲得しやすくする狙いがあったと推察される。

 とはいえ、錦織のワイルドカード申請が却下されることはまずないだろう。錦織は、東京オリンピックの最大の目玉と言っても過言ではないからだ。彼の母国日本のテニスファンは、錦織が東京でプレーするのを心待ちにしている。そのファンの期待を裏切って、錦織の出場を認めなければ、ITFをはじめとした各種組織委員会が、世論を敵にすることになるのは目に見えている。
 さらに、錦織には、東京オリンピックでの活躍を見込んだスポンサーが付いており、もはや“商業主義”といわれるオリンピックが、そのスポンサーをないがしろにできないのも明白だ。錦織のスポンサーをしている株式会社LIXIL(リクシル)は、東京2020ゴールドパートナー(住宅設備部材&水回り備品)となっている。

 ただ現状では、東京オリンピック出場のことより、錦織がいつ復帰できるかが問題だ。
「(復帰時期は)まだ目途はたっていないです。なるべく早く戻って来られたらいいなという感じですね。マイアミになるかもしれないし、(4月からの)クレーシーズンになるかもしれない。何とも言えない状況です」

 こう語る錦織は、とりあえずATPマスターズ1000・マイアミ大会(3/25~4/5)を復帰目標にしていたが、新型コロナウィルスの影響で、フロリダ州も緊急事態宣言をしたのを受けて3月13日に大会側が中止を発表したため、プレーの機会を失った。
かつて錦織は、2009年8月にも、右ひじの手術をしたことがある。そのときは復帰まで半年を要したが、テニスコートに戻ってからも痛みが残っていたりして、本調子に戻るまでに時間がかかった。
 加えて10年前の復帰は、20歳のリスタートだったが、現在錦織は30歳になり、プロテニスプレーヤーとしてはもう若くはなく、とにかく復帰への焦りは禁物だ。

 デビスカップ終了後、錦織は渡米し、3月11日には自身のアプリで、マイケル・チャンコーチと軽いラリーをしている動画をアップした。昨年末に、新しいツアーコーチとして指名したマックス・ミルニーとはまだ合流しておらず、本格的な練習はこれからというところだ。
 ただし、3月12日に、世界保健機関(WHO)が、新型コロナウィルスのパンデミック(世界的大流行)を宣言したため、新型コロナウィルス感染拡大が、今後のプロテニスツアーへ与える影響も大きくなっていくことは間違いない。
 3月13日にはATPが、3月16日の週から4月20日の週までに開催されるツアー大会とチャレンジャー大会をすべて行わないと発表した。
 4月から、ワールドプロテニスツアーの舞台は、ヨーロッパでのクレー大会が中心になるが、ヨーロッパ各地で開催されるATP大会のさらなる中止や延期の可能性があり、錦織の復帰プランにも軌道修正が必要となる可能性もある。

「出るか出ないか、勝手に盛り上がっているのはそっちサイド(メディア)で、僕は何も発信していない。どっちかと言うと盛り上がっているのは、メディア側という感じです」

 このように錦織はユーモアを込めてメディアをけん制したが、今も変わらず錦織への注目度は非常に高いということだ。
もし30歳の錦織が今回の復帰に失敗すると、それは彼の選手生命の危機につながりかねない。今は新型コロナウィルスが暗い影を落としているが、そこは逆に右ひじの完全回復のための時間を、テニスの神様から与えてもらったと前向きに捉えて、有効に活用していってもいいのではないだろうか。

 錦織にプロテニスプレーヤーとして残された時間は決して多くはないものの、再びトップレベルに戻って、活躍できるチャンスはまだまだ残されている。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。